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社会不適合者とネグレクト  作者: アストロコーラ


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それでも

 覚悟だ。

 いつだって足りないものは、覚悟だけだ。

 半端な自分はいつだって自己保身しか頭になくて、傷つく覚悟も傷つける覚悟もなかったのだ。

 自暴自棄になった訳でも、自己犠牲の精神でもない。

 ただ、できることをする。

 それだけのことだ。

 公園のベンチ、空を見上げることなくただただ地面を眺め続ける。

 アリが行列を成して餌を運んでいる。

 何もしていないアリも、列からはぐれてしまったアリも、何かしらの役割があるのだろう。

 自分も、その役割を果たすだけだ。


「ありんこなんか見て楽しいか、宮沢」

「時間つぶしには最適でしたよ」

「誰か待ってんのか? お前が誰かといるところなんか、見たことないが」

「待ってたのは、仁和さんですよ」


 声のした方向に顔を上げる。

 水色でしわの寄ったワイシャツの上からチョッキを着て、制帽で仰いでいる仁和さんが立っていた。

 春の日差しの下、しっかりと着こんで巡回するのは暑いのだろう。

 オールバックの白髪が少し乱れ、眉間のしわは一層深く刻まれている。

 仁和さんを待っていた。

 そう告げると彼は眉を上げて怪訝そうな顔をした。

 会えるかどうか確証はなかったが、警察官が巡回をしないということはないだろう。

 公園で待っていれば、いつか声を掛けられると思っていた。

 ベンチで何もせず座りっぱなしという暇な苦しみを、少しだけ理解できた。

 雪も降っていない穏やかな日の下だから、あの少女と比べるにはあまりにも甘い条件であるが。


「なんだ、面倒事か」

「はい」

「そうなる前に誰かに相談しろって言っただろうが」

「そうですね、本当にその通りだと思います」

「素直なお前は気持ち悪いな」


 春の慟哭を思い出す。

 楽観視していたから、自分でもどうにかなると思っていたのだ。

 自分が知識も経験も何もない素人だというのに、そう信じ込んでいたのだ。

 甘えだ、人を頼る覚悟がなかったのだ。

 上辺だけ救ったところで、根底にある問題をどうにかしなければ一時しのぎにしかならない。

 学生の間はそれだけでいいかもしれない。

 ただ、春が大人になった時、好きな人ができて家族となった時、根付いた問題は顕在化するだろう。

 虐待を受けた子どもが虐待する親になる確率は7割もあるらしい。

 育てられたように育ててしまうのだろう。

 春に、そういう親になってほしくない。

 余計なお世話だと思われるかもしれない。

 自分がそこまでする必要はないかもしれない。

 今のなあなあの生活でいいのかもしれない。

 ただ、それは根本的な解決にはならない。

 プロの介入が必要なのだ。

 素人の自分では、少女の表面しか誤魔化してやれないのだ。


「はぁ、話せ。現場から外されるようなロートルでも、聞くだけならできるからよ」

「ありがとうございます」


 仁和さんはどさりと音を立てて自分の横に座った。

 何から話せばいいか分からなかったので、とりあえず事実だけ口にすることにした。


「今、15歳の少女と半同棲のような状態になっています」

「......お前、自首がしたいのか?」

「決して手を出してはいないですよ」

「未成年を家に入れるのはそれだけで犯罪なんだよ。本人の同意があってもな」

「でも、それって親告罪ですよね?」


 それぐらいは調べている。

 刑法224条、未成年者略取・誘拐罪になるらしい。

 ただそれが罪となるには、未成年者の親からの告訴がなければならない。

 春の両親が、そんな面倒な事をするとは思えない。

 もしされても、それならそれで虐待の事実を声高に叫ぶだけだ。


「おい、子どもの親側に問題があるって言いたいのか?」

「ええ。虐待されていて、保護している形になります」


 今まで起きてきたことを全てさらけ出す。

 真冬に一人で放置されていたこと、私服を持っていなかったこと、十分な栄養状況ではなかったこと、社会的常識が欠けていたこと。

 誰にも話したことがないことを赤裸々に語る。

 それを黙って聞いていた仁和さんは、組んでいた足をほどいて、膝に肘を置いた姿勢で深く息を吐いた。


「警察は、動けないな」


 帰ってきた答えは、望んでいたものではなかった。

 その言葉の意味をかみ砕くのに、少し時間が掛かった。


「どうして! 虐待なんだぞ!?」


 理解した時には、立ち上がって声を荒げていた。

 困っている子どもすら助けられないというのなら、なんのための権力だと言うのか。


「警察の力があれば! 子ども一人ぐらい助けられるだろ!」

「国家権力を万能だと思うんじゃねぇよ。限られたリソースしかないんだ、優先順位が必然的にできちまう」

「春は優先される対象じゃないと?」

「あぁ。話を聞いた限りの情報なら、警察は動かない。動けないんだよ、その嬢ちゃん相手にはな」


 怒りのあまり制服の襟元に手が伸びていた。

 誰かの首元に手を伸ばすなんて初めてのことだった。

 それが警察官相手なら、捕まっても文句は言えない。

 そう冷静になれたのは、仁和さんの鋭い目つきがひどく悲し気に伏せられていたからだった。


「暴力の痕は? 精神的疾患の症状は? 性的な行為を受けた形跡は?」

「......それは何もないけど、明らかにネグレクトだろ」

「そうだな、俺もそう思うよ。金だけもらっても、愛情が注がれないのは問題だってな」

「なら!」

「でもな、全部、遅いんだよ」

「は?」

「ガリガリで、服もなくて、常識がなくて、感情のないガキだったんだろ?」

「そうだ」

「記録はあるのか?」

「記録?」

「それが本当だって、記録はあるのか?」


 何を言っているのかが理解できなかった。

 どうして記録が必要なのだろうか。

 なにが遅いというのだろうか。


「お前が丁寧に世話して、全部解決したんだろ? 飯を食って健康になって、物を買ってもらって人並の生活になって、教育を受けて常識を知った」

「......そうだ。親じゃなくて、俺がやった」 

「それを、何か証明できるものはあるか? 文章でも映像でも、何かしらの物的証拠はあるのか?」


 ぐにゃりと視界が歪んだ。

 体に力が入らずに、首元を掴んでいた手はだらりと垂れた。

 証拠なんてあるわけがない。

 言いたいことが分かってしまった。

 俺が、俺が、全て無くしてしまった。

 見た目が明らかに不健康であれば、年齢にそぐわない知識であれば、私物が明らかに少なければ。

 一目見て、虐待を受けているという状況であれば、警察が介入できる口実はあったのだろう。

 それなのに、全部、俺が無くしてしまった。

 健康にしてしまった、知識を教えてしまった、物を与えてしまった。

 何も、問題がない状態にしてしまった。


「通報されればな、家にはいくさ。ただな、一見して問題がないとなれば、警察は大して力になれん。児相も変わらんな。親と話して、何も問題がありませんと言われたら深くは追及できないだろうよ。『忙しくて家庭環境が少し疎かでした、反省します』、それで終わりだ。現行犯じゃないなら、迅速な対応は難しい」

「......」

「15歳、自立ができると思われても仕方がない年齢だ。三者面談も電話とはいえ出席してる。提出しなきゃいけないプリント類も出して、教科書代給食費の未払いがあるわけでもない。とてもじゃないが、介入する口実はないわな」


 吐き気がした。

 覚悟とは、なんだったのだろうか。

 今はもう、何も考えたくなかった。

 うなだれた自分の肩に、しわだらけの手が置かれた。


「だから言っただろ、誰かに相談しろって」

「全部、俺のせいで......」


 あの時に、全て話していれば結果は変わっただろうか。

 後悔しても、もう遅い。

 言われていたのに、それを真に受けなかったのは自分なのだ。

 俺が、春を救えない状態にしてしまった。


「ふん!」

「いったぁ!」


 ぱぁんと大きな音がした。

 それが自分の背中に力いっぱい仁和さんに叩かれた音だと、反射的に声が出てから気がついた。

 ロートルといっても現役の警察官、その力は十分に痛かった。

 ジンジンと痛む背中に、自然と視線が上を向く。


「ガキが、深刻ぶりやがって。しけたツラしてんじゃねぇよ」

「深刻ぶりって......実際深刻でしょ」


 乱暴な口調の仁和さんを思わずにらむ。

 軽い問題だと思われるのは、心外だ。


「その嬢ちゃんの両親は許せねぇけどよ、お前がしたことを全部無駄だと思うのは、嬢ちゃんに悪いとは思わないのか?」

「春に?」

「飯をくれた、話し相手になってくれた、居場所になってくれた。そんな恩人が、その行為全部無駄だって言うのは、辛いだろ」


 恩人、自分は春の恩人になれているのだろうか。

 力になれていたのであろうか。


「今まで通り力になってやればいいじゃねぇか。それが世間的によくねえことでも、嬢ちゃんにとってはベストだろうよ」

「それだと、根本的な解決には──」

「根本的ってなんだ? 親が捕まれば解決か? 嬢ちゃんが施設に行けば解決か? お前ときれいさっぱり縁を切れば解決か?」

「......」


 返す言葉に詰まる。

 両親が罰されて、春はしっかりとした施設に行けばいいと思っていたが、それではダメなのだろうか。

 世間的によくない関係を続けることは、果たして春にとっていいことなのだろうか。


「嬢ちゃんと話し合ったか?」

「え?」

「何がいいか、話し合ったか?」

「......いいえ」

「だから言ってるだろうが、相談しろって。本当に思うならよ、何が望みかぐらい知っておいてやれよ。世界でお前だけはよ」


 そう言うと腕時計を一瞥してから、仁和さんは自転車の方に歩いて行った。

 その途中でくるりと振り返って、先ほどとは違って明るい調子で話しかけてきた。


「あぁ、手を出したらさすがに捕まえなきゃならんから、気をつけろよ」

「......出しませんよ」

「それならいい。またなんかあったら言えよ。力になれるかは知らんがな」


 そう言って自転車を漕ぎだして去って行った。

 その背中が見えなくなってから、どさりとベンチに倒れるようにもたれかかった。

 頭の中がぐちゃぐちゃになっていた。

 覚悟も後悔も全部ないまぜになって、何も落ち着きがなかった。


「話を、するか」


 一人、ポツリと空にこぼした。

 結局自分は、また春と向き合うことを避けていただけなのかもしれない。

 春の望みは、なんだったのだろうか。


『私、もうひとりぼっちは、イヤだよ』


 ファミレスの帰り、このベンチで泣きながら呟いた春の声を思い出した。

 あぁ、望みはずっと前に聞いていたのに、どうして自分は忘れていたんだろう。

 怒りに飲まれ、何が大切なのかが見えなくなっていた。

 根本的な解決を、春から望まれたわけではない。

 ただただ、自分が許せないと思っただけのことだ。


「独りよがりだったなぁ」


 居場所であると、決めたはずだったのに。

 それすら投げ出して、勝手に一人で背負い込もうとしていた。

 そんなこと、春が望むわけないのに。

 ふと思い立って、自動販売機でココアを買う。

 頻繁に業者が見に来るわけでもないのか、4月も半ば過ぎだというのにまだホットの飲み物が売っている。

 熱いココアを一口飲む。


「……甘すぎる、これのなにがいいんだか」


 舌に残る甘ったるさに顔をしかめる。

 そうだ、自分は春の好きな物を理解することはできない。

 だから、話し合うことが大事なんだろう。

 すれ違わないように、思い違えないように。

 缶を傾けて、また一口すする。

 ……春の分も、買って帰るか。

 きっと、喜ぶだろうから。


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