発見
日曜日、朝早くから目が覚めたものの、特に何も起きる気にもならず、ぼんやりとスマートフォンをいじっていた。
本当なら朝食を準備した方がいいのだろうが、そういう気分ではなかった。
やろうと思って毎日できるなら、自分はもっと優れた人間になっている。
納豆と卵かけて終わりでいいや、今日は。
全国の親たちが、毎朝子どものために料理をしていると思うと頭が下がる。
急ぎの仕事もサークルの活動も精神的な問題も、今は何もない。
一日中だらけるということも、たまには必要だろう。
二度寝でもして、起きたらゲームでもしようかな。
そう思っていると、居室の扉が開いた。
ボーっとしすぎて、玄関を開けた音は聞き逃したらしい。
いつもの紺色のパーカーを着た春が立っていた。
ご飯は勝手に盛って食ってくれ。
そう言おうと春の方を向いた時、いつもより固い表情をしていることに気がついた。
何か、イヤな事でもあったのだろうか。
面倒事の気配に内心ため息をつき、ベッドから起き上がる。
学校での問題だろうか、それとも自分が何か気付かない間にやらかしたのだろうか。
考えてみても心当たりは思い浮かばない。
気まずい沈黙の後、春が恐る恐る口を開いた。
「あのね、芥お兄さん。春用の服を、買ってほしいの」
「......え、それだけ?」
春の口から出た言葉に、拍子抜けする。
何か問題があったわけではないようだ。
そういえば冬服しか買っていないから、温かくなってきた今着る私服がないのだろう。
だから、新しい服が欲しいという要望は分かる。
不思議なのは、どうしてそこまで深刻そうな顔をしていたのかということだ。
今までたくさん物を買ってきたのに、何故服ぐらいで?
そう思って、はっと気づく。
春から、何かを買ってほしいと頼まれるのは初めてかもしれない。
春は我慢しがちなところがあって、物欲もない。
その姿を見るに耐えないから自分が買い与えているのであって、欲しいと物をねだられたことはない。
年頃の少女らしくなってきたのか、自分に気を許してくれたのか、どちらにせよいい傾向だろう。
買う買わないは別として、欲しいものがあると伝えられる環境は子どもにとって当たり前なのだから。
「そんなに深刻に言うことか?」
「だって、自分から言うの初めてだから。それに何も言わないと、芥お兄さん、気を利かせて買ってくれるでしょ? そこまで甘えるのは、イヤだって思ったの。結局、買ってもらうんだけど、ちゃんと自分からお願いしたかったの」
「おぉ......」
成長を感じ、思わず感嘆の声が漏れる。
物を買ってもらえることに罪悪感を覚えてほしくはないが、それを当たり前だと思っていない姿勢は素晴らしいと素直に思う。
自分が子どもの時は、服やお小遣いはあって当たり前と思っていたから、春の方が大人びているかもしれない。
ちゃんとした理由があって、誠意を込められたお願いを、意味もなく断る理由はない。
「じゃあ、昼頃買いに行くか」
「……いいの?」
「必要だから頼んだろ? ワガママや贅沢なら考えるけどな。 休みの日にも制服で来られるのは俺もイヤだしな」
断られると思っていたのか、春は願いが受け入れられたことに驚いている。
欲しい物が娯楽品なら、自分も悩みはしただろう。
例えば、スマートフォンが欲しいとか。
今時は小学生すらスマートフォンを持っている時代なんだろ?
特定のメーカーじゃないと仲間にすら入れてもらえないと記事で読んだことがある。
子どものコミュニティはシビアなんだなと思ったものだ。
それを思えば、服なんて安いものだ。
ブランドにこだわるほどのオシャレさんじゃないからな、全然許そう。
「いつか、3倍返してくれればそれでいい」
「うん」
気負い過ぎないようにあえて茶化した言い方をしたが、春は真面目な顔で頷いている。
なんというか、言葉通り受け取ってそうで不安になる。
返せよと言えば、買った物をそのまま返してきそうだ。
女物の服なんて返されても困る。
家事をするとか、そういうことで力になってくれればいいのだが。
まぁ、その辺りはゆっくり教えていけばいい。
頼ることを覚えたのだ、今はそれでいい。
——————
休日の昼頃というのもあって、ショッピングモールは非常に混みあっていた。
田舎の休日、出かける先なんて限られている。
家族連れ、若い学生のグループ、杖を突いた老夫婦。
そんな人混みの中、隣を歩く春が話しかけてくる。
「こんなに買ってもらって、いいの?」
両手に紙袋を抱えた春が、嬉しそうに、そして不安そうに尋ねてくる。
買ってもらったことに対して喜びと罪悪感が入り混じっているようだ。
ファッションが分からない2人だから、とりあえずマネキンが来ていたものを一式買った。
黒のスキニーに、白のビッグシルエットのシャツ。
適当な肌着と涼しそうなパジャマ。
靴もボロボロだったから歩きやすいスニーカーを買ったから、紙袋はパンパンだ。
出費としては痛いが、必要経費なのだからしょうがない。
「いいよ、別に」
「でも──」
「買った人がいいって言ってんだから、それで終わりだ。どうしても気になるって言うなら、社会人になってからそのぶん返してくれればいい」
罪悪感の方が勝ったようだ。
ただ、春が謝る前に口を開く。
正直に言って、いたいけな少女が謝罪する姿は見ていていい気分ではないのだ。
子どもへの衣食住の提供は、親の義務だ。
謝るなら春の両親であって、春ではない。
両親が俺に対して頭を下げるのならば溜飲が下がるだろうが、春に謝られても虚しいだけだ。
だから、求めている言葉はそれではない。
「......ありがとう。大事にするね」
「どういたしまして」
それでいい。
感謝の方が、はるかに気分がいい。
しけたツラよりも、笑顔の方がずっといい。
自分は与え、春はそれに礼を述べた。
これでこの話は終わりだ。
「飯食って帰るかぁ」
「うん」
あとはフードコートで飯でも食って帰ればいいか。
今思えば、あの日ネタ探しにフードコートまで足を延ばしたことが、すべての始まりだった。
クリスマスまで記憶を遡って、今に至るまでを回想する。
結局、自分が心配していたような問題は起きなかった。
一緒に出歩いていても、アパートに入り浸っていても、誰かに通報されるようなことはなかった。
こうして2人並んで歩いていても、誰も彼もこちらを見ることはない。
自意識過剰で、杞憂というやつだったのだろう。
春の同級生を気にして、隣町まで電車で出かけていた最初の頃が懐かしい。
案外、なんとかなるものらしい。
そう思ってしまったのだ。
これは油断だったのだろう。
見られることばかり気にかけて、見つけることなんて想像していなかったのだ。
フードコートまで来た時、春がどさりと両手に抱えていた紙袋を落とした。
「おい、どうし──」
声を掛けようとして、言葉が喉につかえる
様子がおかしい。
瞳孔が開いて目は限界まで見開いて、呼吸は溺れているかのように荒くなっている。
「はっ、はぁっ、はっ」
「おい、落ち着け!」
言葉は聞こえていないようだ。
春の視線の先を追う。
特別に変わったものはない。
30代ぐらいの身なりのいいショートヘアの女性と、20代前半ぐらいの恰幅のいい男性が食事を取っている。
仲が良いのか、お互いに楽し気に話している。
「……ママ?」
「はぁ?」
春の呟きに思わずそう返す。
ネグレクトしている張本人が何故こんなとこに居るんだ?
それに、それなら一緒にいる男は父親になるのか?
明らかに、中学3年生の子どもがいるにしては見た目が若すぎるが。
「妹さん、大丈夫ですか?」
「あ、えぇ、大丈夫です。ちょっと気分悪くなったようで」
「救急車呼びましょうか?」
「大丈夫です。家も近いんで、このまま帰れますよ」
近くにいた見回りの警備員が話しかけてくる。
周りの人が不審そうにこちらを見ていることに今更気がついた。
春の母親もこちらを一瞥してから、何もなかったように男性との会話に花を咲かせ始めた。
……春だと、自分の娘だと、分からなかった?
分かった上で、無視を決め込んだ?
体調不良の自分の子どもが目の前にいて?
普段抱いている春の両親に対する怒りというものは、今は湧き上がらなかった。
理解できない、その一心であった。
どうしてそこまで、無関心でいられるんだ?
「はぁっ、はっ、けほっ!」
「......帰ろう。大丈夫、帰ろう。うちに、帰ろう」
紙袋を拾って、春の手を引いて歩き始める。
その指先は、異常に冷たかった。
握り返されるその手が、ひどく小さく感じた。
数分前までは、楽しい買い物のはずだったのに。
どうしてこうなってしまったのだろうか。
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