第八章 黒い回収屋
事件が起きたのは、それから二日後のことだった。
昼過ぎ、ガレスが工房で圧力弁を修理していると、外から大きな音がした。
ドン。
何かが壁にぶつかった音だった。
ガレスが工具を置いて外へ出ると、工房の前に黒塗りの輸送車が停まっていた。
車体には、空中都市連合の旧式紋章がついている。
その横に、灰色の制服を着た男が二人立っていた。
片方は、廃材区画で会った回収屋の男だった。
「……よう、爺さん」
男は笑った。
「話を持ってきてやったぜ」
ガレスは、輸送車を見た。
「……何の用だ」
「そこのアンドロイドを引き渡してもらう」
ガレスの表情が変わった。
「断る」
「まだ何も言ってねえだろ」
「聞く必要がない」
制服の男が、一歩前に出た。
「こちらは旧時代機械遺産保全局の臨時回収班です。あなたが保有している個体は、登録のない旧式機械人形であり、危険な技術資産の可能性があります」
「保有してねえ。相棒だ」
「法的には、所有者の登録が必要です」
「じゃあ、登録する」
「残念ですが、登録はできません」
男は淡々と言った。
「その個体は、保全対象として回収する必要があります」
「……保全対象?」
「旧時代の高性能アンドロイドです。現代の技術では再現できない構造が確認されています。個体の安全と技術資産の保護のため、中央研究区画へ移送します」
ガレスは、鼻で笑った。
「保護ね」
「何か?」
「おまえらの言う保護ってのは、分解して部品を取り出すことか?」
男の表情がわずかに変わった。
「不適切な発言は控えてください」
「だったら、連れていけるもんなら連れていってみろ」
男は、手元の端末を操作した。
「……残念です。強制回収を実施します」
輸送車の後部が開いた。
中から、二体の大型作業用アンドロイドが出てきた。
身長は二メートルを超える。
腕は太く、関節には蒸気駆動の補助シリンダーがついている。
顔はなく、正面には赤い識別灯だけが光っていた。
ガレスは、工房の扉を見た。
リラは、中にいる。
彼女はまだ、右脚の駆動系統が不完全だ。
まともに走ることもできない。
戦うことなど、できるはずがなかった。
「……リラ!」
ガレスが叫んだ。
扉が開いた。
リラが顔を出した。
「はい、ガレスさん」
「奥へ行け。隠れてろ」
リラは、彼を見た。
それから、大型アンドロイドを見た。
「……わたしを、回収するのですか」
「そうだ」
制服の男が答えた。
「君は貴重な技術資産だ。こちらに来なさい」
リラは、少しだけ首を傾けた。
「……わたしは、資産ではありません」
「君には判断能力がない」
「あります」
「君は機械だ」
「はい」
リラは頷いた。
「わたしは、機械です」
それから、ガレスの隣に立った。
「でも、リラです」
ガレスは、思わず彼女を見た。
リラは、小さな手で彼の作業着を掴んでいた。
「わたしは、ガレスさんの相棒です」
大型アンドロイドが動き出した。
蒸気が噴き出す。
足音が、地面を揺らす。
ガレスは工具袋から圧力カッターを取り出した。
勝ち目などない。
大型アンドロイドの装甲を破ることはできない。
だが、少なくとも、リラを簡単に渡すつもりはなかった。
そのとき。
リラの琥珀色の瞳が、鋭く光った。
「……ガレスさん。右側の機体、足首の圧力管が古いです」
「……何?」
「左側の機体は、肩の制御弁が緩んでいます」
リラは、淡々と言った。
「二体とも、動力の制御に遅延があります。三秒ほど、動きが止まるはずです」
ガレスは彼女を見た。
「……どうする?」
「わかりません」
「おい」
「でも、三秒あれば、逃げられます」
ガレスは、歯を食いしばった。
「……よし」
彼は、圧力カッターを構えた。
大型アンドロイドが、腕を振り上げる。
ガレスは地面に転がった。
打撃工具が壁を砕く。
その瞬間、リラが叫んだ。
「今です!」
ガレスは、右側の機体の足元へ滑り込んだ。
圧力カッターを、露出した管に押し当てる。
火花が散った。
蒸気が噴き出した。
大型アンドロイドの膝が、がくりと折れた。
左側の機体が動きを止める。
リラの予測どおりだった。
ガレスは、リラの手を掴んだ。
「走れ!」
二人は工房の裏口へ向かった。
しかし、リラの右脚がうまく動かなかった。
歯車が空回りし、彼女の身体が傾く。
「……っ!」
ガレスは彼女を抱き上げた。
軽い。
あまりにも軽い。
昔、ミアを抱き上げたときと同じくらいに。
その感覚が、胸を締めつけた。
彼は走った。
裏路地へ。
錆びた配管の間へ。
廃材区画へ続く狭い通路へ。
背後から、男たちの怒鳴り声が聞こえた。
追跡用の機械音が、遠ざかっては近づいてくる。
ガレスは、リラを抱えたまま、古い排水管の中へ飛び込んだ。
暗闇。
冷たい水。
鉄の臭い。
二人は、しばらく息を潜めていた。
やがて、足音が遠ざかっていった。
ガレスは、リラを地面に下ろした。
「……怪我は?」
「ありません」
「本当か?」
「右脚の駆動軸が、少し歪みました」
「……そうか」
ガレスは、彼女の脚を確認した。
歯車が一枚、欠けていた。
修理には、時間がかかる。
それよりも。
「……おまえ、なんであんなことがわかった?」
リラは、少しだけ考えた。
「わかりません」
「……だろうな」
「でも、ガレスさんが困っていたので」
ガレスは、顔を上げた。
「……それだけか?」
「はい」
リラは、彼を見た。
「ガレスさんが困っていたので、助けたかったのです」
暗い排水管の中で、彼女の琥珀色の瞳だけが光っていた。
ガレスは、ゆっくりと息を吐いた。
「……おまえな」
「はい」
「……本当に、厄介なやつだ」
リラは、少しだけ首を傾げた。
「……はい?」
ガレスは、彼女の頭を撫でた。
銀灰色の髪は、雨と泥で汚れていた。
それでも、彼は手を離さなかった。




