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錆びた空の、その先で  作者: 月影 みよ


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第七章 空を飛ばない修理士


 ガレスが飛空艇に乗らなくなったのは、六年前の事故が原因だった。


 当時、彼は第三整備局の主任整備士として、軍用輸送艇《グレイハウンド》の整備を担当していた。


 艇は、雲上都市から辺境の採掘基地へ物資を運ぶためのものだった。


 乗員は十二名。


 その中には、ガレスの妻と娘もいた。


 妻の名はエリナ。


 娘の名はミア。


 ミアは八歳だった。


 母親に似た赤茶色の髪をしていて、よく笑う子だった。


 彼女は機械が好きだった。


 ガレスが休日に工房で工具を手入れしていると、いつも隣に座って、何をしているのか尋ねてきた。


「パパ、これなあに?」


「圧力計だ」


「どうして針が動くの?」


「中の圧力が変わるからだ」


「じゃあ、飛空艇にもある?」


「もちろんだ」


「じゃあ、空の上でも、針が動くの?」


「そりゃ動くさ」


 ミアは、その答えを聞くと、いつも嬉しそうに笑った。


「わたし、大きくなったら、パパと空を飛びたい!」


 ガレスは、そのたびに約束した。


「ああ。いつかな」


 いつか。


 その言葉を、何度も繰り返した。


 だが、いつかは来なかった。


 六年前の冬、グレイハウンドは航行中に爆発した。


 原因は、主機関の圧力制御系統の故障。


 事故調査報告書には、整備不良と記載された。


 だが、ガレスは知っていた。


 あれは整備不良ではなかった。


 旧時代の部品に偽装された欠陥品が、上層部の指示で組み込まれていたのだ。


 彼は何度も異常を報告していた。


 だが、出航予定を変更することは認められなかった。


 物資が遅れれば、採掘基地の生産計画が狂う。


 それだけの理由で、十二人が乗った艇は空へ上がった。


 そして、墜ちた。


 ガレスは、最後の通信を聞いた。


 妻の声。


 娘の声。


 それから、通信が途絶えた。


 彼は現場に向かった。


 焼け焦げた機体。


 崩れた格納庫。


 溶けた金属。


 何もかもが、手遅れだった。


 その後、調査は打ち切られた。


 責任者は異動し、報告書は封印された。


 ガレスは抗議した。


 何度も、何度も。


 最後には、彼自身が規律違反を理由に解雇された。


 それ以来、彼は飛空艇に乗っていない。


 空を見ることも、ほとんどなくなった。


 ただ、修理だけは続けていた。


 機械を直すことだけは、やめられなかった。


 直せば動く。


 動けば、誰かの役に立つ。


 そう信じていた。


 その日、リラは工房の隅で、古い模型を見つけた。


 木と真鍮でできた、小型の飛空艇だった。


 翼は布張り。


 船体には、小さな煙突がついている。


 子供が遊ぶためのものだろう。


「ガレスさん」


「なんだ」


「これは、飛べますか」


 ガレスは振り返った。


 模型は、棚の奥に置いてあった。


 ミアが作ったものだった。


 正確には、ガレスが設計し、ミアが部品を組み立てた。


 翼の角度は少しずれている。


 船体の継ぎ目も、きれいではない。


 それでも、ミアは自分で作ったのだと誇らしげに言った。


 ガレスは、模型を手に取った。


「……飛ばない」


「どうしてですか」


「翼の形が悪い。重心もずれている」


「なおせば、飛びますか」


 ガレスは、模型を見つめた。


 直せば、飛ぶだろう。


 少し手を加えれば、風に乗せることくらいはできるかもしれない。


 しかし。


「……さあな」


 彼は、模型を棚に戻した。


 リラは、何も言わなかった。


 その夜、ガレスが眠ったあと。


 工房の奥で、小さな音がした。


 カチ。


 カチ、カチ。


 リラが、模型を修理していた。


 壊れた翼を外し、薄い金属板を切り出す。


 重心を計算し、船体の下に小さな錘を取り付ける。


 模型は、彼女にとっては簡単な構造だった。


 朝になると、模型は作業台の上に置かれていた。


 翼は左右対称になり、船体の継ぎ目も補強されている。


 ガレスは、それを見た。


「……おまえ、直したのか」


「はい」


「……そうか」


 彼は模型を手に取った。


 そして、しばらく黙っていた。


「……勝手に触るなと言っただろう」


「申し訳ありません」


 リラは俯いた。


 ガレスは、模型を棚に戻そうとした。


 しかし、その手が止まった。


 彼は窓を開けた。


 風が入ってくる。


 灰色の空。


 低い雲。


 いつもと同じ空だった。


 ガレスは模型を持ち、外へ出た。


 リラが、その後を追った。


「ガレスさん?」


「……見てろ」


 彼は、模型を両手で持ち上げた。


 少しだけ、風が吹いた。


 ガレスは模型を放した。


 小さな飛空艇は、風に押されて空へ舞い上がった。


 ふらふらと揺れながら。


 翼を震わせながら。


 それでも、確かに飛んだ。


 数メートル先まで進み、地面に落ちた。


 ガレスは、しばらくその場に立っていた。


 リラは、模型を拾いに走った。


「飛びました!」


 彼女は、模型を抱えて戻ってきた。


「ガレスさん、飛びました!」


「ああ」


「飛びました!」


「……聞こえてる」


 リラは、模型を両手で持ち上げた。


 琥珀色の瞳が、いつもより明るく光っていた。


 ガレスは、空を見上げた。


 六年ぶりに、まっすぐ空を見た。


 そのとき、彼は初めて気づいた。


 空は、あの日から何も変わっていなかった。


 変わってしまったのは、自分のほうだった。


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