↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
錆びた空の、その先で  作者: 月影 みよ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
6/12

第六章 相棒の仕事


 最初に覚えたのは、工具の名前だった。


 スパナ。


 モンキーレンチ。


 圧力計。


 配管用の継手。


 ガレスが名前を教えると、リラはそれを繰り返した。


「スパナ」


「そうだ」


「モンキーレンチ」


「そうだ」


「圧力計」


「そうだ」


「……パン」


「それは工具じゃない」


「でも、ガレスさんが大事にしています」


「そりゃ大事だろうよ」


 リラはパンの袋を、棚の上に丁寧に置いた。


 彼女は、食べ物を必要としない。


 しかし、ガレスが食事をする時間になると、必ず隣に座った。


 彼がパンを食べている間、リラは作業台の上に並べた部品を磨いている。


 たまに、ガレスが手を止めると、彼女は顔を上げた。


「……おいしいですか」


「まあな」


「どんな味ですか」


「小麦の味だ」


「小麦の味……」


「砂糖が入ってりゃ甘い。塩が入ってりゃしょっぱい」


「……そうですか」


 リラは考え込んだ。


 その日から、彼女はガレスが食べるものを観察するようになった。


 パン。


 スープ。


 乾燥肉。


 時々、安売りの林檎。


 ガレスが林檎をかじると、リラは必ず尋ねた。


「それは、甘いですか」


「酸っぱいな」


「では、甘いものは?」


「高い」


「……そうですか」


 翌日、ガレスが工房に戻ると、作業台の上に小さな包みが置いてあった。


 中には、青いガラス片と、乾燥した小さな花が入っていた。


 花は、廃材置き場の片隅に生えていた雑草のものだった。


「……なんだ、これ」


「おみやげです」


「どこから?」


「廃材置き場です」


「……また行ったのか?」


「はい。ガレスさんが寝ている間に」


 ガレスは額を押さえた。


「勝手に出歩くなと言っただろうが」


「申し訳ありません」


「……いや、だから」


 彼は言いかけて、やめた。


 包みを開いた。


 青いガラス片。


 乾燥した花。


 それだけだった。


 金にもならない。


 修理にも使えない。


 ただ、誰かが拾って、誰かに渡すためだけのものだった。


「……ありがとな」


 リラは目を丸くした。


「……ありがとう、ですか?」


「ああ」


「わたしが、ありがとうと言われたのですか」


「そうだ」


 彼女はしばらく黙っていた。


 やがて、ゆっくりと頷いた。


「……どういたしまして」


 その声は、いつもより少し柔らかかった。


 ガレスは、包みを工具箱の隣に置いた。


 それから、二度と捨てなかった。


 仕事の面では、リラは驚くほど優秀だった。


 記憶領域が損傷しているにもかかわらず、機械の構造を見れば、どの部品がどのように動くのかを直感的に理解できるらしい。


 古い蒸気機関を分解していると、リラは横から口を出した。


「ガレスさん。そちらの弁は、先に外さないほうがいいと思います」


「なんでだ」


「圧力が残っています」


「……止めたはずだが」


「二次圧縮室に、残留蒸気があるようです」


 ガレスは手を止めた。


 圧力計を確認する。


 針が、ほんのわずかに振れていた。


「……本当だ」


 彼は慎重に排気弁を開いた。


 白い蒸気が噴き出す。


 もしそのまま分解していれば、熱い蒸気を顔に浴びていたかもしれない。


 ガレスは、リラを見た。


「……おまえ、どうしてわかった?」


「わかりません」


「またそれか」


「でも、そう思いました」


 ガレスは唸った。


 少女の知覚能力は、現代の整備用センサーを超えている可能性があった。


 視覚センサーだけでなく、微細な振動や圧力変化を感知しているのだろう。


 それだけではない。


 リラは、壊れた機械を見ただけで、どの部品が欠けているかをかなり正確に推測できた。


 まるで、機械の声が聞こえるかのように。


「……おまえ、本当に何者なんだ」


 ガレスが尋ねると、リラは困ったように首を傾げた。


「リラです」


「……そうだな」


 それ以上、彼は何も聞かなかった。


 その日の夕方、リラは初めて、ガレスの仕事を一件、最後まで手伝った。


 依頼は、近所の老婆が持ち込んだ古い暖房機の修理だった。


 点火装置が壊れ、燃焼室に煤が詰まっている。


 ガレスは分解し、リラは部品を磨いた。


 二人で作業を終え、暖房機に火を入れる。


 ボッ、と小さな音がして、温風が流れ出した。


「おお……!」


 老婆は目を輝かせた。


「直ったのかい!」


「まあな」


 ガレスが答えると、老婆は代金を払い、さらに小さな包みを差し出した。


「これは、おまけだよ」


 中には、砂糖をまぶした焼き菓子が二つ入っていた。


 ガレスが受け取ろうとすると、老婆はリラを見た。


「あら、かわいいお嬢ちゃんだねえ」


 リラは、少し戸惑ったように頭を下げた。


「……こんにちは」


「お手伝いをしてくれたのかい。えらいねえ」


 老婆は、リラの頭を撫でようとした。


 ガレスは反射的に止めようとした。


 しかし、リラは逃げなかった。


 老婆の手が、彼女の銀灰色の髪に触れた。


「いい子だねえ」


 リラは、じっとしていた。


 やがて、老婆が帰ったあと。


 リラは焼き菓子を見つめていた。


「……ガレスさん」


「なんだ」


「これは、食べられますか」


「食べられる」


「わたしは?」


「……おまえは、食べられんだろうな」


 リラは、少し考えた。


「では、ガレスさんが食べてください」


「二つもいらん」


「でも、二つあります」


「……そうだな」


 ガレスは一つを口に入れた。


 甘かった。


 砂糖は安物で、少し焦げていた。


 それでも、久しぶりに食べる菓子は、悪くなかった。


 リラは、彼が食べ終わるまで隣に座っていた。


 そして、彼が最後の一口を飲み込んだとき。


「……おいしかったですか」


 と尋ねた。


 ガレスは、頷いた。


「ああ。うまかった」


 リラは、満足そうに目を細めた。


 その表情を見て、ガレスは思った。


 この子は、食べることができない。


 味を知ることもできない。


 それでも、誰かがおいしいと言うことを、嬉しいと思うらしい。


 それは、ずいぶんと不思議なことだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。