第五章 廃材区画の生存規則
リラが歩けるようになって三日目、ガレスは彼女を外へ連れ出した。
工房に閉じ込めておくわけにもいかない。
食料は必要ないが、交換部品と電力は必要だ。彼女の内部機関は特殊な蒸気圧縮式で、専用の潤滑油がなければ、いずれ駆動部が焼きつく。
それに、ガレスは廃材置き場で新しい部品を探さなければならなかった。
「いいか、リラ」
「はい」
「俺から離れるな」
「はい」
「知らない人間についていくな」
「はい」
「知らない人間に、自分の身体を触らせるな」
「はい」
「妙な音がしたら、すぐに俺を呼べ」
「はい」
「……返事だけはいいな」
「はい」
「いや、今のは返事しなくていい」
「はい」
ガレスは額を押さえた。
リラは不思議そうに彼を見ている。
彼女の服は、ガレスの古い作業着を切って作ったものだった。袖は長すぎ、裾は床につきそうだ。腰には工具用の革ベルトを巻いている。
頭には、破れた布を結んでいた。
どう見ても、拾われたばかりの迷子だった。
ただし、片目が琥珀色に光り、右脚から歯車の音がする。
道行く人間が振り返るのも無理はなかった。
廃材区画は、旧市街の外れにある。
ここでは法律よりも、力と情報がものを言う。
拾った部品を奪われることもある。
使える機械を見つけたら、先に所有権を主張した者が勝つ。もっとも、その主張を通す力がなければ意味はない。
そして、動くアンドロイドは高く売れる。
リラのような旧時代の個体なら、なおさらだ。
ガレスは、すれ違う人間たちの視線を感じていた。
「……あんまり目立つなよ」
「目立つ、とは?」
「珍しいってことだ」
「わたしは、珍しいのですか」
「たぶんな」
「……そうですか」
リラは自分の服を見下ろした。
そして、少し考えたあと、ガレスの手を握った。
「これなら、目立ちませんか」
ガレスは歩みを止めた。
少女の小さな手が、自分の手を握っていた。
指先は冷たかった。
機械だから当然だ。
それでも、握る力は、思ったよりもしっかりしていた。
「……まあ、少しはな」
ガレスは手を振りほどかなかった。
廃材置き場に着くと、ガレスはいつものように使える部品を探し始めた。
リラはその隣を歩いていた。
彼女は時々、拾った小さなものを見せに来た。
「これは、何ですか」
「圧力計の針だ」
「これは?」
「歯車」
「これは?」
「……錆びた缶の蓋だな」
「これは?」
「……それは、石だ」
リラは石を手のひらに載せ、じっと見つめた。
「石は、役に立ちませんか」
「まあ、機械の修理にはな」
「そうですか」
リラは石を地面に戻した。
少し寂しそうに見えたので、ガレスは付け足した。
「だが、きれいな石なら持って帰ってもいい」
リラの頭が、ぴくりと上がった。
「……きれいな石」
「ああ」
それからリラは、石を探し始めた。
ガレスが配管を拾っている間に、彼女は錆びた金属片の隙間を覗き、泥の中を探し、崩れた壁の下まで歩いていった。
しばらくして、彼女が駆け戻ってきた。
右脚の歯車が、カチカチと音を立てている。
「ガレスさん」
「どうした」
「見つけました」
リラが差し出したのは、小さな青いガラス片だった。
曇っていて、端が欠けている。
しかし、光に透かすと、ほんの少しだけ青く輝いた。
ガレスはそれを受け取った。
「……悪くないな」
「はい」
「持って帰るか」
「はい!」
リラの声が、少しだけ大きくなった。
ガレスは、その変化に気づいた。
彼女はまだ、感情表現がぎこちない。
笑うことも、驚くことも、時々しかできない。
だが、何かを喜んでいることは、少しずつわかるようになってきた。
そのときだった。
「おい、そこの爺さん」
背後から声がした。
ガレスが振り返ると、三人の男が立っていた。
全員、廃材区画の回収屋だった。
中央の男は、腕に大きな機械式の補助骨格を装着している。右手には、蒸気式の打撃工具を持っていた。
「そのガキ、売り物か?」
ガレスはリラを背中に隠した。
「違う」
「じゃあ、どこの拾い物だ?」
「俺のだ」
男たちは顔を見合わせた。
そして笑った。
「おいおい。アンドロイドに所有権を主張するなら、登録証が必要だぜ」
「登録なんかされてねえよ」
「なら、拾ったもん勝ちってわけにもいかねえな。旧時代の高級機だろ? 見たところ、骨格もいい。売れば何年分の飯になる?」
男の視線が、リラの琥珀色の瞳に向けられた。
「……ちょっと見せてみろ」
リラは、ガレスの服を掴んだ。
その指が、小さく震えた。
機械に震えは必要ないはずだった。
だが、彼女は震えていた。
「触るな」
ガレスの声が低くなった。
「おい、爺さん。無理すんなよ。脚も悪そうじゃねえか」
「……最後に言うぞ」
男が一歩近づいた。
ガレスは、工具袋に手を入れた。
そこには、小型の圧力カッターが入っていた。
武器として使うには心もとない。
だが、使い方次第では、指の一本くらい簡単に飛ばせる。
互いに、動かなかった。
廃材区画の風が吹き抜ける。
やがて、男は舌打ちした。
「……覚えてろよ」
三人は去っていった。
ガレスは、しばらくその背中を見ていた。
そして、リラのほうを振り返った。
「怪我はないか」
「……はい」
「そうか」
彼は歩き出そうとした。
すると、リラが服を引いた。
「ガレスさん」
「なんだ」
「……わたしは、あなたのものですか」
ガレスは足を止めた。
それは、妙な質問だった。
機械の所有権を問うなら、答えは簡単だ。
拾ったのは自分だ。修理したのも自分だ。
だが。
「……違うな」
ガレスは言った。
「おまえは、おまえのものだ」
リラは、じっと彼を見つめていた。
「わたしは、わたしのもの……」
「ああ」
「では、ガレスさんは?」
「俺?」
「ガレスさんは、誰のものですか」
ガレスは答えに詰まった。
空中都市で働いていた頃、彼には妻がいた。
娘もいた。
だが、二人はもういない。
誰かのもの、という言い方をするなら。
自分は、とうの昔に誰のものでもなくなっていた。
「……さあな」
彼は、そう答えた。
リラはしばらく考えたあと、小さな手を差し出した。
「では、わたしがガレスさんの相棒になります」
「……は?」
「相棒です。所有物ではありません」
リラは、まっすぐに彼を見ていた。
「ガレスさんが修理をするなら、わたしも手伝います。ガレスさんが歩くなら、わたしも歩きます。ガレスさんが空を見たいなら、わたしも一緒に見ます」
彼女は、少しだけ首を傾げた。
「……だめですか?」
ガレスは、空を見上げた。
灰色の雲が流れていた。
風が吹いていた。
何も変わらない世界だった。
それなのに。
「……好きにしろ」
彼は、そう言った。
リラは嬉しそうに頷いた。
「はい」
その日、ガレス・ロウには相棒ができた。
修理代は、パン三個分よりもずっと高くつきそうだった。




