第三章 灰色の朝食
翌朝、ガレスはパンを二個買った。
いつもなら、一個で済ませるところだ。
パン屋の主人には「景気がいいな」と笑われた。
「そうでもない」
「女でもできたか?」
「もっと厄介なもんだ」
ガレスはそう答え、紙袋を抱えて工房に戻った。
少女は、昨日と同じ場所に横たわっていた。
毛布はずれていない。
眠っているわけではない。電源が落ちているのだから、睡眠状態とも違うだろう。
それでも、ガレスには彼女が眠っているように見えた。
「おい。起きろ」
返事はない。
「朝飯だぞ」
もちろん、返事はない。
ガレスはパンを机に置いた。
それから工具を取り出し、修理を始めた。
まずは電源系統。
少女の内部機構は、現代の規格と互換性がほとんどなかった。接続端子は細く、配線は独自規格。小型機関の圧力制御も、現代の安全装置とはまるで異なる。
だが、ガレスは古い機械を扱うことに慣れていた。
必要なのは、知識よりも根気だ。
壊れた端子を切り落とし、代替の接続部を削り出す。圧力弁は小型の暖房機から流用した。蓄電池は二つ直列にして、電圧を安定させる。
昼を過ぎても、作業は終わらなかった。
夕方になって、ようやく主電源が安定した。
「……よし」
ガレスはスイッチを押した。
少女の胸部で、小さな駆動音がした。
首がわずかに動く。
指先が曲がる。
そして、左の琥珀色の瞳が開いた。
レンズの中心に、小さな光が灯った。
少女は天井を見つめていた。
数秒。
十秒。
やがて、ゆっくりと視線が動き、ガレスを捉えた。
「……」
「聞こえるか?」
少女は瞬きをした。
瞬きという動作が必要なのか、ガレスにはわからない。おそらく光学センサーの保護機構だろう。
「……あなたは」
「ガレスだ。ガレス・ロウ。修理屋だ」
「修理……」
「ああ。おまえを拾った」
少女は自分の身体を見ようとした。
しかし、首の駆動がうまく動かないらしい。
彼女の視線が胸元へ落ちる。
露出した配線。
歪んだ装甲。
包帯の代わりに巻かれた布。
「……わたし、こわれているの?」
ガレスは工具を置いた。
「まあな」
「そう……」
少女は、しばらく黙った。
それから、ひどく静かな声で尋ねた。
「なおしたら、すてない?」
ガレスは眉を寄せた。
「……は?」
「なおしたら、もういらないって、いわない?」
彼女の声は平坦だった。
泣いているわけではない。
感情表現のプログラムが故障しているのかもしれない。
それなのに、その問いだけは妙に切実だった。
ガレスは頭を掻いた。
「そもそも、まだ直ってねえよ」
「……そう」
「それに、直すのは俺の勝手だ。おまえが気にすることじゃない」
少女は彼を見た。
「あなたは、わたしをなおすの?」
「そうだ」
「どうして?」
「……」
どうしてだろう。
金になるからではない。
珍しい機械だからでもない。
まして、善人だからというわけでもない。
ガレスは善人ではなかった。
昔、助けられなかった人間がいる。
そのことを、今でも忘れられない。
だからといって、この少女がその人の代わりになるわけではない。
そんなことは、彼自身が一番よく知っていた。
「……壊れた機械を直すのが、俺の仕事だからだ」
結局、そう答えた。
少女は少し考えた。
「お仕事……」
「ああ」
「じゃあ、お金をはらわなきゃ」
「いらん」
「でも……」
「いらんと言ったら、いらん」
ガレスはぶっきらぼうに言い切った。
少女は口を閉じた。
そのとき、腹部から小さな音がした。
きゅるるる。
ガレスは目を丸くした。
「……なんだ、今の音は」
少女は自分のお腹を見た。
「わかりません」
「機関の異常か?」
「わかりません」
「燃料が足りないのか?」
「わかりません」
ガレスは少女の胸部を開けようとした。
すると、少女が慌てたように言った。
「まって」
彼の手が止まった。
「……なんだ?」
「それは、おなかの音です」
「……機械に腹の音があるのか?」
「わかりません」
「わからんのかよ」
ガレスは思わず笑った。
六年ぶりだった。
声を立てて笑ったのは。
少女は、彼の顔をじっと見ていた。
「……あなたは、笑うのですね」
「人間だからな」
「そうですか」
彼女は少しだけ、首を傾けた。
それから。
口元を、ほんのわずかに動かした。
笑顔と呼ぶには、あまりにもぎこちない。
だが、それは確かに、笑顔の形だった。




