翠の風
「…翠刀?」
ここにいることが信じられないというふうに律刀が問う。
「やあ、律刀」
淡々と会話は続く。
「お前か?」
「何がぁ?」
「お前がこの惨状を創り出したのか?」
「どうだったけなぁ。昨日の夜特に眠かったしなぁ。」
「惚けるなっ!!昨日の夜だけではなく、巷で噂になっている"見えざる刃"とはお前のことだろう!違うのかっ!」
律刀は声を荒げる。翠刀はやっと思い出したという風に話す。
「あぁ、それね。確かに僕がやったよ。そもそも、ここにいる人って終身刑の人たちだよね?罪人を切って何が悪いのさ。夜な夜な切ってる人もあんな時間まで騒いでて煩くって寝れないんだもん。仕方なくない?」
「人の命をなんだと思っている…簡単に命を奪ってはいけないと命は守るものだとお前は団員に教え、それを守ってきたではないか!」
「ああ、お前はいっつもそう。ギャーギャーギャーギャーやれ遅刻だのやれ時間を守れだのうるさいんだよ!いーじゃん別に。」
「そうか。いつもそう思っていたのか。」
「そうだよっ!いっつもうるさいお前を今日始末しにきたんだっ!」
まるで兄弟喧嘩のような口調だったが、二人とも戦場での目つきをしていた。
先に動いたのは翠刀だった。
持ってきた弓に素早く矢をつがえ、風のような速さで飛ばしてきた。
ヒュン
律刀は僅かに顔を傾けて、その矢を避けた。
ただ、避けた先にも矢があった。
翠刀は二つ続けて矢を放ったのであった。
この時律刀は脱獄したばかりで、武器を没収されていて丸腰である。対して翠刀は完全武装している。装備の差は明らかだ。ただ、勝敗の行方は…
「勝った…」
翠刀は二つ続けて矢を放った時、そう思った。律刀が丸腰なのは分かっていて攻め込んでいる。一つ目の矢が避けられるのは見えていた。だから、二つ目の矢を避けるであろう場所に放った。その矢を避けることはほぼ不可能だろう。
そう確信していた。そう、自身を過大評価していたのだ。
今、二つ目の矢が当たる。その刹那、
「……は?消えた?」
「下だ。」
そう、律刀は不可能を可能にしたのだ。
矢が当たる瞬間、恐ろしいほどの瞬発力で下へ力をかけた。重力の赴くままに体は下がる。
そして放たれた矢を避けたのであった。
目に追えない速さで避けた律刀は化け物じみていた。
それもそのはず。寝なくても平気な身体を生かし、団長、団員が寝ている間に鍛錬をし、他の団員たちが任務に出ている時も鍛錬をし、実戦では、頼れる仲間がいない状態での任務であった。そして、牢の中でも一日も鍛錬を欠かすことはなかった。
切り刻まれた看守の側を律刀が走り抜けた。
すると、律刀の手には鍵束と、剣が握られていた。
「ちっ……」
律刀に武器を持たせてはいけない。
そう翠刀の本能が言っていた。
「僕も本気を出さないといけないみたい。」
そう律刀に告げると、腕を捲った。顕になった腕には華のような不思議な紋様があった。
〈魔術『天授』“矢翠風補”〉
紋様に魔力を集め発動した魔術。それは天授と呼ばれる。この魔術は生まれつき天授の紋が体にないと発動できない。また、紋に刻まれている魔術も一つだけだ。ただ、自分に合うそれならば、莫大な力を発揮する。
【月桂樹薫る牧畜神よ、月満ちる刻なれど目覚めよ。そして僕に勝利の予言を。】
続けて呟いた言葉は翠刀の神具召喚の鍵言葉だ。
風がどこからか吹いてきて、翠刀の掲げた手に集まる。魔力が動いて翠刀の掲げた手に集まる。風に色がつき魔力が形造り、生まれるのは銀翠に輝く弓。
〈魔術『神具召喚』[銀の弓]〉
翠刀は弓を引いた。矢をつがえていないのにだ。そして律刀に向けて見えない矢を放つように弓から手を離した。
「っっっっっ!!」
何かがあると思った律刀は間一髪で飛んできた矢を避けた。
ハラリ…と数本の髪の毛が地に落ちた。
「どう?僕の風の矢は。さっきの矢と比べて何倍も速く、しかも見えない矢なんだ。律刀にも避けるのが難しいのならば、僕が寝る間を惜しんで鍛錬した甲斐があったよ。」
律刀は落ち着きを取り戻し答えた。
「わかっていれば、回避可能だ。問題ない。」
「本当に?避けられるなら避けてみなよ。」
また風の矢をつがえる。大きく弓を引き放った。
律刀は確実にそれを避けた。はずだった。
「ぐっっっ………」
避けたはずの風の矢が深々と腕に刺さったのであった。
「僕の天授は矢を風で操るんだ。見えない矢が不可避。どうやって勝つのかなぁ?」
ケラケラと笑いながら矢を連射する。
律刀が避けて壁に刺さった矢も数本あるが、まだまだ放たれた矢はある。
たくさんの矢を律刀は持っていた剣で受け、逸らし、斬り、弾き、矢を回避してゆく。
それはまるでクルクルと回る舞のようでもあった。
たが、当然律刀は万能の神ではない。慣れぬ剣で綻びも生じる。むしろ、この剣でここまで戦ってきたことは誰でもできることではない。
一本の矢が腕に刺さった。さっきの場所と全く同じところだ。
律刀がよろめく。舞が乱れる。避けきれない矢が襲う。
その瞬間、自分の上の矢を斬り、上へ高く跳躍した。
そして牢獄の出口へ走ったのであった。
「え…?」翠刀は驚愕した。
「逃げるの?
……ハ……ハハハ…アハハハ!!!!!!!!
いいよ!いつもならめんどくさいけど、律刀だもんね!僕が追いかけてあげる!」
翠刀は負傷した律刀よりも速く走り、追いかけた。
牢屋は右へ左へ入り組んでいて、複雑な作りとなっている。
「見失っちゃった。」
翠刀はポツリと呟いた。
「めんどくさいけど、魔術使うか。」
〈魔術『言霊』〉
《風よ、我の望むものの場所を教えよ》
風というのは空気の流れ。つまりは空気に触れていれば翠刀には場所が筒抜けであった。最も逃げるのに向かない属性だろう。
「見つけた。」
ニタァっと笑みを浮かべる。翠刀の得意な魔術に相応しい速さで走っていった。
風が異変を察知した。律刀がとある場所から動いていないのだ。
「…………?いや、関係ない。きっと出口に繋がっているところに何か罠でも仕掛けてあったんだ。そうに違いない。」
そうでないと辻褄が合わない。そう翠刀は思う。
ぐんぐんと律刀に近づく。そして、視界にとらえる。
手に鎖を持って翠刀を待ち構える律刀がいた。
律刀は出口近くにあった武器庫から鎖を取り出したのであった。
「逃げてない!?でも!いくら武器を変えても関係ないっ。最恐の僕の矢は不可視で、最強の僕の風は不可避なんだ!!」
そう言い放つとまた風の矢を連射した。
様々な角度から飛んでいく矢。
チャリ…
律刀は無造作に鎖を一振りした。
「………は?」
翠刀は予期しなかった方向から飛んできた見えない矢を避けた。
「化け物だな…矢を正確に弾き返してきたのかよ…」
律刀の鎖はある方向では矢を全て絡め取り、ある方向では矢を全て叩き落とし、ある方向では矢を全て翠刀に弾き返したのであった。
「もう終わりにしよう。」
翠刀は律刀にそう告げた。弓では律刀に勝てないと悟った翠刀は自分の依代、腰から下げていた刀をふわりと抜いた。
虹を、玉を磨いたよう。淡い淡い緑の刀。名にふさわしい美しさ。
翠刀は自分に言い聞かせるように言った。
「僕は刀だ。弓じゃない。どれだけ弓の扱いに長けてても、所詮は弓ちょっとを扱うのが上手い刀なんだ。」
ただ、律刀は虎視眈々とこの刻を待っていたのであった。
迫り来る鎖に向けて刀を翠刀が振るった。
その瞬間。
翠刀は心臓を鷲掴みされた。
見ると翠の命に銀の大蛇が絡みついていた。
「そんな…」
依代を壊してしまえば、妖の武具は死ぬ。自分の刀は律刀の指先一つで、力加減一つで、壊れてしまう。翠刀はどうしようもできないことを悟った。このまま壊されてしまう。
律刀が魔力を宿した言葉を紡ぐ。
《鎖よ、此のものを封ぜよ》
〈魔術『言霊』〉の発動。
目を見開く翠刀。
「僕は殺されないの…?」
その言葉を最後に身体が消えた。
残るは鎖が絡みついた淡い緑の美しい刀。
「殺すわけない。永遠の牢獄で罪を償え。」
語りかけるには相手がおらず、独り言にしては響く声で、冷たく律刀は言い放った。
命を奪った罪人を罰したはずなのに、この気持ちはなんなのだろう。普段なら疲労だけに包まれるはずだが、心に穴が空いたような気分だ。
関係ない。たまたまだ。その言葉で感情に鎖をかける。カチリと封じる音がした。




