↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
月夜の霞に梟鳴きて――青炎に囚われた者たち――  作者: 藤橋峰妙
第四話「不死 / The Immortality」
PR
24/40

21 思い出したものは

第四話【不死 / The Immortality】


 思い出したものは、鮮烈な青だった。


 目を灼くほど澄みきった炎が、闇の中で火の粉を巻き上げている。頭から足先まで感覚を失った身体は、倒壊した柱の下敷きになっていた。立ち込める黒煙に息を継ぐ(いとま)もなく、指先一つ動かすことができない。


 炎は生き物のように荒れ狂い、美しいアンティーク調の部屋を蹂躙していた。ばちん、と頭上で何かが爆ぜ、蒼と黒を孕んだ火の渦が、獣のような唸りを上げる。


 目の前で強い光が弾けた。


 次の瞬間、巨大な火の波が、部屋のすべてを呑み込んだ。熱に耐えきれず天井が崩れ、砕けた柱が残骸の山へ突き刺さる。その向こうから、怪物の手のような蒼炎が迫ってきた。


 身体が死を恐れ、声にもならない悲鳴を上げる。


 その刹那、世界が断ち切られた。


 • ─────────── •


 青い炎に包まれた廊下を、『彼』に抱えられて進んでいた。


 腹の上に重なった手は、子どものように小さい。わずかに視線を上げると、視界の端で、自分と同じ黒髪が揺れていた。


『大丈夫。俺が絶対に助ける。命に代えても』


 見つめられていることに気づいたのか、彼は励ますように笑った。頬から顎へ流れた汗が、こちらの手の甲へ落ちる。


 次の瞬間、世界は再び青い炎に包まれた。


 • ─────────── •


 青い炎は、人の形をしていた。


 二本の足で歩き、扉の隙間へ手をかけ、ゆっくりと部屋へ入ってくる。顔のあたりで揺らめく火が、笑ったように歪んだ。


 視界のすべてが青へ沈んでいく。彼の姿も、深い海の底へ呑まれるように消えた。


 最後に振り返った彼と、視線が合う。


 この身体と同じ、紫色の瞳だった。


『――』


 名前を呼ばれた。


『生きろ』


 彼の唇が、その形を作った。


 断末魔と炎の唸りが耳の奥へ満ち、その声は途中でぶつりと途切れた。


 やがて、世界から音という概念そのものが消えた。残されたのは、怪物が口を閉じたあとの、蒼い火の静寂だけだった。


 暗転。


 それから、どれほど時間が過ぎたのかは分からない。


 ただ、その身体だけが灰燼の中から蘇った。


 それが、彼女の最初の死だった。


 • ─────────── •


 白い石壁と煌めく装飾に囲まれた部屋で、少女は大勢の人間に傅かれていた。


 目の前には豪勢な食事や宝飾品、上質な布や肥えた家畜が山のように積まれている。人々の願いを聞き、指を示し、杖を掲げ、言葉を紡げば、彼らは諸手を上げて喜んだ。


『カミサマ』


 そう呼ばれた。


 彼らの笑顔を守るために、少女は力も、命も、心も捧げた。


 けれど、誰も彼女の名前を呼ばなかった。


 それが、死なない少女が人としての名を失った日だった。


 • ─────────── •


 やがて、誰かが力を欲し、また別の誰かも力を欲しがった。


 積み上げられていた供物も、頭を垂れていた大人たちも、すべて血と泥の中へ沈んだ。


『バケモノ』


 今度は、そう呼ばれた。


 愛したつもりだった。守ったつもりでもあった。


 それでも返ってきたのは、石礫と罵声だった。


 その日、名を失った神は、人の心を捨てた。


 • ─────────── •


 空腹に苛まれていた。


 路地裏に転がりながら、明日はどうなるのだろうと、意味のないことを考えていた。隣に横たわる人間は、もう随分前から動かなくなっている。


 腹が減っていた。


 もう限界だと思って目を閉じた。これで隣の塊と同じになれるのだと思った。


 けれど、また目は開いた。


 しばらくすると、隣へ別の人間が転がった。目を閉じて、目を開き、腹を空かせ、また明日のことを考える。


 この身体には、いつまで経っても終わりが訪れなかった。


 少女はその日から、自分の時間を数えることをやめた。


 • ─────────── •


「あなたは、愛されるべき存在なのよ」


 それは、失われた心を取り戻そうとした女の言葉だった。


「君が自由に生きられるように、僕たちができることをしてあげたいんだ」


 それは、失われた自由を取り戻そうとした男の言葉だった。


 • ─────────── •


 痛い。痛い。赤い。苦しい。


 目の前が真っ赤に染まり、身体だけが獣のように叫んでいた。


 痛みはいつしか意味を失い、世界との繋がりまで消えていった。


 • ─────────── •


 日は陰り、雨が地を打ち、雷が轟いた。魔法が爆ぜ、天が裂け、海が唸り、竜の翼風が万物を削った。


 表の世界でも、裏の世界でも、人間が死に、魔法使いも死んだ。争いは復讐を呼び、復讐は新たな争いを生んだ。


 その泥沼の中心に、彼女は立っていた。


 敵と仲間、大勢の骸に囲まれ、杖を手に、ただ一人で。


 誰もが化け物になっていた。


 けれど、その中で最も恐れられていたのは、彼女だった。


 やがて戦いは終わった。正確には、戦える者がいなくなっただけだった。


 心を与えようとした女も、自由を与えようとした男も死んだ。


 彼女はその日、夢と愛を失った。


 • ─────────── •


 暗闇の中で、ただ一人うずくまっていた。


 目を開いているのか、閉じているのかさえ分からない場所へ、ゆっくりと沈んでいく。


『君の力を貸してくれないか』


 なぜ、と問い返した。


『表と裏。魔法使いと人間。今と未来、そのすべてを守るために』


『僕たちの願いのために』


『我々、梟のために』


 止まり木を見つけた不死の鳥は、その日から「梟」となった。


 • ─────────── •


 それでも、燐は終わらなかった。


 ある者は彼女を人形と呼び、ある者は化け物と呼び、またある者は生ける屍と呼んだ。


 死と再生を繰り返す終わりのない日々は、彼女の運命であり、同時に呪いでもあった。


 ただの少女だった日。神と崇められた日。悪女と呼ばれた日。化け物と恐れられた日。路地裏で飢えていた日。獣のように戦った日。革命を起こした日。そして、『梟』として世界を駆け回った日。


 隣にいた家族も、頭を垂れた人々も、権力を争った為政者も、石を投げた者たちも、路地裏の住人も、仲間も、魔法使いも、愛した人も。


 結局は皆、彼女を置いていった。


 もう、終わらせたい。


 そう願った、そのときだった。


『傘、さしてあげる』


 雪の中に、あの子どもが現れた。


 綿のように柔らかな声は、雪の静けさを壊すことなく、ただそっと、彼女の耳へ届いた。


 • ─────────── •

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。