19 永久凍結刑
白峰は露骨に嫌そうな顔をしたまま、ケースの内側を覗き込んだ。
「魔力増強の術式が掛かってる。これで自信過剰になってたんじゃないか。……おっと、見たことのない魔法陣だな。ここの線は強制魔法に似ている。これが契約の媒介らしいが、どうやら死体を餌にして、無理やり契約を繋いでいたようだ」
「また新手の魔法ですね。出所と効果を調べる必要があります」
東雲が低く言った。
「ただし、この魔法陣じゃ不完全だ」
「どういうことですか?」
二人の会話を聞いていた晴野が首を傾げると、白峰は呆れたように鼻を鳴らした。
「男が用意した死体だけじゃ、死霊は満足しなかったってことだ。契約が切れた途端、敵意が俺たちじゃなく、対価を払えなかった契約主へ向かった。魔法契約は等価交換だからな。最初から釣り合ってなかったんだよ」
「これは初歩ですよ、晴野。まだまだですね」
東雲が軽く肩を小突くと、晴野は目に見えて項垂れた。
「うぃっす……勉強シマス……」
「それと今回は始末書だぞ」
白峰は煙草を取り出し、指先で火を点けて咥えた。
「お前の爆発魔法のせいで、幻幕まで使う羽目になった」
「うぅっ! すみません……提出シマス」
「まあ、ぼちぼちやれ、新人。失敗は付き物だ」
白峰は小さく笑い、反対の手で晴野の肩を軽く叩いた。東雲も隣で何度か頷いている。
「それじゃ、この場の修復を任せる。間違っても破壊するなよ。爆発もなしだ」
「わ、分かりました!」
使命を与えられた晴野は、元気よくその場を離れていった。
男の死は、自業自得だった。
そんな空気のまま、会話は何事もなかったように続いていく。燐はそのやり取りを、少し遠い場所から眺めているような気分で聞いていた。
人を呪わば穴二つ。あれは男へ返るべくして返った報いだ。けれど、本当にそうなのだろうか。助けを求められたなら、自分は手を伸ばすべきだったのではないか。あの最後に、こちらへ腕を伸ばした人間を見捨ててよかったのだろうか。
それでも、あれが男に相応しい末路だったとも思う。
怖い。何が怖い。逃げたい。逃げちゃ駄目だ。
頭の中で相反する声が重なり、どちらが自分のものなのか分からなくなっていく。
「とりあえず、このケースは回収を……」
蓋を閉じかけた東雲が、ふと目を細めた。
「いや、まだ別の魔法が掛かっていそうですね」
杖先で二度、こつこつとケースを叩き、もう一度蓋を開く。傾けられた鞄の中から、精巧な人形が三体、地面へ転がり落ちた。
「くそ。一体、どれだけ殺したんだ」
白峰が固い声で吐き捨てる。
「ほかにも被害者がいないか、追加で調べる必要がありますね」
「それにしても、人間を人形へ変える魔法なんて、とっくに禁止されているはずです。あの男は、どこで知ったんでしょう」
「……さあな。それを調べるのも俺たちの仕事だ」
白峰は煙草の火を揉み消すと、丁寧な手つきで人形を拾い集めていった。
人形と、人間。
ベンチへ座っていた女の、光を失った瞳が蘇る。恐怖と苦痛を貼りつけたような白い顔を思い出した途端、胃の奥がひっくり返るように悪心が込み上げ、燐は口を強く引き結んだ。
「……あの人、もし捕まえていたら、どうなる?」
気づけば、問いが口を衝いていた。
白峰は意外そうに燐を見たあと、顎髭へ指を当てた。
「大法廷へ送られて、たぶん永久凍結刑だろうな」
「えいきゅう、とうけつ」
「命が尽きるまで、あるいは刑期が終わるまで、意識を残したまま、溶けない氷の中へ閉じ込める刑です」
東雲が淡々と補足した。
「魔法も使えず、自分で死ぬこともできない。ただ生かされ続ける。最長で千年ほど執行されている例もあります」
「大抵は二百年を超えたあたりで、廃人同然になるがな。それでも刑期が終わるか、命が尽きるまで出られない」
「一人や二人を殺しただけで、そこまで重い刑になることはありません。一番の理由は、魂への干渉でしょうね」
二人の声が、どこか遠くで響いているように聞こえた。自分の足が、きちんと地面へついているのかさえ分からない。
「『魔法、またはそれに準ずる物によって、いかなる場合においても魔法使いは魂を害してはならない』。魂へ干渉する魔法は、ほとんどが禁止されています。たとえば、自分の魂と他人の魂を交換する術式も、かなり重い罪に問われるはずです」
「まあ、そんなものは不可能に近いがな。そもそも、魂を使ってまで何かをしようとする奴なんて滅多にいない。それに、そういう魔法が存在すると言われているだけで、本当にあるかどうかさえ怪しい。そうだろう、大魔導師サマ」
どくん、と心臓が大きく脈打った。
続けて、焼けるような痛みが全身を駆け抜ける。
燐は咄嗟に唇を噛んだ。視線を落とすと、足元には黒い液体が池のように広がっている。それはスーツの袖から、絶えず滴り落ちていた。
そちらへ意識を奪われた途端、二人の声がうまく耳へ入らなくなった。燐が曖昧に返事をすると、白峰は眉間の皺を深くした。
「今日は、いつにも増して様子がおかしいな。何かあったのか?」
東雲が近づき、顔を覗き込んでくる。
「燐さん、さっきの話、本当に……」
記憶が、と言いかけたところで、東雲の視線が足元へ落ちた。
血溜まり。
スーツの袖に空いた、二つの穴。
「まさか……噛まれた?」
「噛まれた? 死霊にか!?」
「は、早く処置を」
「やめてっ!」
袖を捲ろうとした東雲の手を、燐は反射的に振り払った。
なぜそんなことをしたのか、自分でも分からなかった。ただ、痛みに耐えろ、弱みを見せるな、という思考だけが頭の中を占領していた。
「何ともない。本当に、心配いらない! 大丈夫、何とかなる」
「燐さん、死霊の呪いです。一刻を争います」
「本当に平気。呪いなんて――」
「そんな馬鹿なことを言ってないで」
「もう帰る」
「……え?」
「わたし、かえる」
心も身体も、何もかもがぐちゃぐちゃだった。考えようとするたび、焦りだけが膨らんでいく。
白峰の制止を振り切り、燐は身を捩った。もう何も分からない。ただ、ここから離れたかった。
「燐さん! ちょっと、待って……!」
帰りたい、と願った。
魔法の使い方は、心のどこかで分かっていた。望めば叶うような感覚があった。
東雲の慌てた顔を残したまま視界が歪み、周囲の景色が縦へ引き延ばされ、ばらばらになり、やがて一つの形へまとまっていく。
ぱちん、と耳元で軽い音が鳴った。
次の瞬間、燐は、あの空虚な部屋へ戻っていた。




