↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
21/44

18 過ぎた力は身を亡ぼす

 男は涼しい顔のまま、杖を振るった。


「【ロディエク】」


 その言葉を合図に、開いたままのトランクケースから黒い煙が噴き上がる。膨れ上がった煙はうねりながら形を変え、やがて二頭目の死霊となって地面へ降り立った。


「そんなあ!」


 晴野が絶望したように叫ぶ。


「二頭目ぇ!?」


 死霊は五つの首を長く伸ばし、剥き出しの牙をぎらつかせた。巨体が地面を抉り、周囲の木々を薙ぎ倒しながら襲いかかってくる。


 東雲は獣の牙をかわし、その隙を縫って人形師へ魔法を放った。けれど、男は余裕の笑みを浮かべたまま、飛来した光をあっさりと弾き返す。


 頭数が足りない。


 白峰と晴野が死霊の首を引き受け、次々と切り落としていく。しかし、切断面からは新しい頭がぬるりと生え、瞬く間に元の数へ戻ってしまった。


「氷月捜査官、あなたも随分と腑抜けましたね。死神と恐れられたあなたが、これほど手間取るとは。弱っているという噂は、本当だったらしい」


 言葉の裏に、隠しきれない嘲りが滲んでいる。


 けれど、それは今ここにいる燐に対しては、ひどく妥当な評価でもあった。


 燐はずっと、自分にできることを探していた。抉れた石畳から瓦礫が飛び、巨大な獣が牙を剥いて迫ってくる。噛まれれば終わりだということだけは分かっている。


 身体は驚くほど自由に動いた。けれど、考えれば考えるほど、手足は震えた。


 逃げたい。怖い。


 耳の奥では悲鳴のような音が鳴り続けている。それでも、目の前へ迫った牙を見た瞬間、口が勝手に動いた。


「【セーレハルニア】」


 放たれた光が空を走り、死霊の首を一つ切り落とした。


 どうすればいい。あの男を、どう崩せばいい。


 いつの間にか、そのことだけが頭の中を占めていた。


 ――あの魔力量で、これだけの契約を維持できるはずがない。


 ――魔法を支える媒介がある。


 燐は頭を振った。


 耳の奥で、自分ではない思考が響いている。


「ケースだ!」


 白峰の声が飛ぶのと、燐がトランクケースへ目を向けるのは、ほとんど同時だった。


 あれだ。


 そう確信した瞬間、燐は身を翻し、《《いつの間にか》》手の中にあった杖を振るった。


 地面へ置かれていたトランクケースが浮き上がり、蓋を開いたまま、石畳の上を滑るように燐の前へ引き寄せられてくる。


 中は真っ黒だった。


 底のない闇が、そのまま詰め込まれているように見える。


「燐さん!」


 東雲の叫び声が飛んだ。


「やめろ! それに触るな!」


 人形師は初めて焦りを露わにし、燐へ向けて杖を振った。


 雷のような光が周囲を青白く染め、幾重もの光線が乱れ飛ぶ。東雲たちは男の魔法を防ぐため、意識をそちらへ向けた。


 その一瞬だった。


 燐は、死霊への警戒を外してしまった。


 右腕に、鋭い痛みが走る。


 振り向くと、太い牙が腕へ深く食い込んでいた。


 燐は反射的に杖を振り、獣の首を切り落とした。黒い袖に開いた二つの穴から血が溢れ、布をみるみる赤黒く染めていく。


 けれど、不思議なほど痛みはなかった。


 だからだろうか。燐は傷へ意識を向けることなく、目の前のケースを見つめ続けた。


 開いた蓋の裏には、黒い円形の紋様が描かれている。複雑な線が幾重にも絡み合い、一つの魔法陣を形作っていた。


 燐は迷わず、杖先をその線へ走らせた。


 整然と繋がっていた一本が、ぶつりと断ち切れる。


 途端に、紋様の隙間から真っ黒な液体がどろりと溶け出した。墨のような液体が蓋の溝へ溜まり、魔法陣の形を崩していく。


 その瞬間、十の頭が一斉に人形師を振り返った。


 男が短い悲鳴を上げ、後ろへ下がる。


 次の瞬間、標的を変えた二頭の死霊が、一斉に男へ襲いかかった。


「ぎゃあああっ!」


 抵抗する間もなく、牙が男の身体へ食い込んだ。


 噛まれた箇所から黒い痣が広がり、皮膚がぼろぼろと崩れ始める。


 塵みたいに。紙屑みたいに。


 男の身体は少しずつ剥がれ落ち、風に巻き上げられていった。


「そんな……」


 燐は、思わず声に出していた。


 このままでは死んでしまう。


「や、やめ……助け……」


 男が、そう口を動かしたように見えた。


 恐怖に見開かれた目と、燐の視線が重なる。


 助けを求めている。


 崩れ落ちる身体を引きずられながら、男は残された腕をこちらへ伸ばしかけた。


 燐も、反射的に一歩を踏み出した。


 そのとき、ばちん、と落雷のような音が響いた。


 続けて、もう一度。


 燐は反射的に目を閉じた。


 次に目を開いたとき、死霊も、人形師も、その場から消えていた。


 男の金切り声だけが耳の奥へ残っている。悲鳴は木々を震わせながら細く遠ざかり、それきり途絶えた。


「あーあ……」


 東雲は消えた場所を見つめたまま、ゆっくり身体を起こした。


「過ぎた力は身を滅ぼす。魔法の基本なのに」


「連れていかれたな」


「後味の悪い終わり方っすね」


 白峰が肩をすくめ、晴野が乾いた笑みを浮かべる。


 状況を理解しきれていないのは、燐だけだった。


「『怒れる幻想生物種(レヴェリー)に触れるべからず』。自業自得だ」


 白峰は倒れていたトランクケースへ近づき、杖先で蓋を押し上げた。


「俺たちの最優先は、事件の解決と魔法の調査だ。その過程がどうなろうとな。身柄を確保して、法で裁けるなら理想だが、それは理想の、そのまた理想だ」


「……本来なら、法で裁かれるべきでした」


 東雲の声は低かった。


 白峰は大きく息を吐き、ケースの内部を覗き込む。


 そのとき、燐の足元で何かが小さく光った。


 反射的に膝を折り、それを拾い上げる。


 指輪だった。


 ベンチへ目を向ける。


 人形へ変えられた女性の指から、抜け落ちたのだろう。光を失った青い瞳と、恐怖と苦痛を貼りつけた白い顔が、座ったまま燐を見つめている。


 燐は、もう一度トランクケースへ視線を移した。


 目の前で消えていった男の最後の顔が、瞼の裏へこびりついて離れなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。