08 あなたはどうしたい?
「えっ? えっと……」
凛は思わず聞き返した。自分へ向けられた言葉だと分かっているのに、すぐには意味を掴めなかった。
「私に……助けてほしいの?」
女はすぐには答えず、一度だけ視線を揺らした。それから、言葉を選ぶようにゆっくりと頷く。その慎重な仕草を見て、凛はふいに、迷子の子どものようだと思った。
氷のような表情の奥で、誰にも見つけてもらえないまま、助けを求めている。凛は少し迷ったあと、そっと手を伸ばした。女の膝に置かれていた白い指先へ、ためらいがちに触れていた。
「わ、私にできることがあるなら……」
一度言葉を切り、慎重に付け加えた。
「でも、私にはできそうにないこととか、無理なお願いだったら、ちょっと困るけど」
女は顔を上げ、きょとんと凛を見つめた。
「……助けてくれる?」
先ほどまで堂々としていた声が、わずかに震えている。
「う、うん。でも……何を?」
「本当の、本当に?」
「本当だよ」
凛は慌てて頷いた。相手が誰なのかも、ここがどこなのかも分からない。それでも、助けてほしいと言われて、背を向けることはできなかった。
「あ、でも私……、あなたの言うとおりなら、もう死んじゃってるみたいだけど。それでも、いいなら――」
言い終えるより先に、女が大きく目を見開いた。仮面のようだった表情が、ふっと解ける。閉じていた小花が綻ぶような、静かで美しい笑みだった。
「ありがとう、凛」
その笑顔を向けられた途端、凛の心臓が大きく跳ねた。
「あ、う……うん。どう、いたしまして」
声が裏返りそうになり、凛は視線を彷徨わせた。
つい先ほどまで胸を締めつけていた不安や怯えが、少しだけ遠のいていた。女の声には、冷たい水へ触れたときのように、熱を静める響きがあった。
「大丈夫。心配しないで」
凛は返事を忘れ、女の顔を見つめた。
美しい。けれど、人の美しさとは何かが違う。
青紫の瞳も、整いすぎた顔立ちも、その影さえも、近づいてはならないもののように見えた。
――まるで、人の形をした災厄だ。
そのとき、女の手が伸び、白く細い指先が凛の顎へ触れた。逃げる間もなく顔を持ち上げられ、青紫の瞳に視線を捕らえられる。
「私になって」
「……え?」
「私の願いを叶えて」
女は凛を見つめたまま、静かに続けた。
「あなたはもう、私と同じ運命から逃れられない」
「どういうこと……?」
「私はずっと、あの青い炎を探していた」
先ほどまで浮かんでいた笑みが消える。
「あれは古い魔法よ。あなたが死んだのも、あなたの妹が死んだのも、すべてあの青い炎のせい」
「ちょっと待って……魔法?」
凛は聞こえた言葉を、そのまま繰り返した。
「そんな、ファンタジーみたいなこと……」
「嘘ではないわ。魔法は存在する」
女は淡々と言い切った。
「あなたが知らないのは当然よ。魔法は、世界の裏側に属するものだから」
「世界の、裏側……?」
「本来なら、私たちが止めなければならなかった」
女は目を伏せた。
「あなたも、あなたの妹も、助けられなかった。ごめんなさい」
罪を引き受けるように、深く頭を垂れる。
「あの炎が悪い。けれど、あの炎だけのせいではない。止められなかった私にも責任がある」
「待って。どうして、あなたが謝るの?」
涼を助けられなかったのは、自分だ。手を伸ばせなかったのも、自分だった。
それなのに、名前さえ知らない女が、凛と涼の死を自分の責任であるかのように詫びている。
「あの火事のこと、知ってるの?」
女が顔を上げた。その表情には、先ほどまでになかった焦りが浮かんでいる。
「もう、時間がないの」
「時間って、何の――」
「私の願いは一つ」
女は凛をまっすぐに見つめた。
「あの青い炎の魔法を、この世界から消すこと。そして、あの魔法を裁くことよ」
「ちょっと、まって、意味が……、まって!」
凛は声を張った。
「さっきから、何を言ってるの?」
女の指先が、凛の頬へ触れた。氷のように冷たいのに、不思議と振り払う気にはなれなかった。
「死にたくなかったと、言ったわよね」
女は静かに微笑んだ。
「大丈夫。あなたは――《《私》》は、まだ死なない」
親指が凛の頬骨の上をゆっくりとなぞる。失くしたものの形を確かめるような、ひどく丁寧な触れ方だった。
「私も、あなたを助けたい」
女は頬に触れたまま、凛の答えを待っていた。何も分からない。魔法も、この白い場所も、目の前の女が何者なのかも。それでも凛は、もう答えを決めていた。
「あ……、あなたの、名前、は?」
一拍の沈黙のあと、女は静かに名乗った。
「氷月燐」
その名を告げた燐は、ひどく不格好な笑みを浮かべていた。
整いすぎた顔には似合わない、ぎこちない笑顔だった。長い間忘れていた笑い方を、ようやく思い出したようにも見える。
それが、凛の記憶に深く刻まれた。
初めて目にした、燐の人間らしい表情だった。
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