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月夜の霞に梟鳴きて――青炎に囚われた者たち――  作者: 藤橋峰妙
第二話「救い / The Salvation」
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08 あなたはどうしたい?

「えっ? えっと……」


 凛は思わず聞き返した。自分へ向けられた言葉だと分かっているのに、すぐには意味を掴めなかった。


「私に……助けてほしいの?」


 女はすぐには答えず、一度だけ視線を揺らした。それから、言葉を選ぶようにゆっくりと頷く。その慎重な仕草を見て、凛はふいに、迷子の子どものようだと思った。


 氷のような表情の奥で、誰にも見つけてもらえないまま、助けを求めている。凛は少し迷ったあと、そっと手を伸ばした。女の膝に置かれていた白い指先へ、ためらいがちに触れていた。


「わ、私にできることがあるなら……」


 一度言葉を切り、慎重に付け加えた。


「でも、私にはできそうにないこととか、無理なお願いだったら、ちょっと困るけど」


 女は顔を上げ、きょとんと凛を見つめた。


「……助けてくれる?」


 先ほどまで堂々としていた声が、わずかに震えている。


「う、うん。でも……何を?」

「本当の、本当に?」

「本当だよ」


 凛は慌てて頷いた。相手が誰なのかも、ここがどこなのかも分からない。それでも、助けてほしいと言われて、背を向けることはできなかった。


「あ、でも私……、あなたの言うとおりなら、もう死んじゃってるみたいだけど。それでも、いいなら――」


 言い終えるより先に、女が大きく目を見開いた。仮面のようだった表情が、ふっと解ける。閉じていた小花が綻ぶような、静かで美しい笑みだった。


「ありがとう、凛」


 その笑顔を向けられた途端、凛の心臓が大きく跳ねた。


「あ、う……うん。どう、いたしまして」


 声が裏返りそうになり、凛は視線を彷徨わせた。


 つい先ほどまで胸を締めつけていた不安や怯えが、少しだけ遠のいていた。女の声には、冷たい水へ触れたときのように、熱を静める響きがあった。


「大丈夫。心配しないで」


 凛は返事を忘れ、女の顔を見つめた。


 美しい。けれど、人の美しさとは何かが違う。


 青紫の瞳も、整いすぎた顔立ちも、その影さえも、近づいてはならないもののように見えた。


 ――まるで、人の形をした災厄だ。


 そのとき、女の手が伸び、白く細い指先が凛の顎へ触れた。逃げる間もなく顔を持ち上げられ、青紫の瞳に視線を捕らえられる。


「私になって」

「……え?」

「私の願いを叶えて」


 女は凛を見つめたまま、静かに続けた。


「あなたはもう、私と同じ運命から逃れられない」

「どういうこと……?」

「私はずっと、あの青い炎を探していた」


 先ほどまで浮かんでいた笑みが消える。


「あれは古い魔法よ。あなたが死んだのも、あなたの妹が死んだのも、すべてあの青い炎のせい」

「ちょっと待って……魔法?」


 凛は聞こえた言葉を、そのまま繰り返した。


「そんな、ファンタジーみたいなこと……」

「嘘ではないわ。魔法は存在する」


 女は淡々と言い切った。


「あなたが知らないのは当然よ。魔法は、世界の裏側に属するものだから」

「世界の、裏側……?」

「本来なら、私たちが止めなければならなかった」


 女は目を伏せた。


「あなたも、あなたの妹も、助けられなかった。ごめんなさい」


 罪を引き受けるように、深く頭を垂れる。


「あの炎が悪い。けれど、あの炎だけのせいではない。止められなかった私にも責任がある」

「待って。どうして、あなたが謝るの?」


 涼を助けられなかったのは、自分だ。手を伸ばせなかったのも、自分だった。


 それなのに、名前さえ知らない女が、凛と涼の死を自分の責任であるかのように詫びている。


「あの火事のこと、知ってるの?」


 女が顔を上げた。その表情には、先ほどまでになかった焦りが浮かんでいる。


「もう、時間がないの」

「時間って、何の――」

「私の願いは一つ」


 女は凛をまっすぐに見つめた。


「あの青い炎の魔法を、この世界から消すこと。そして、あの魔法を裁くことよ」

「ちょっと、まって、意味が……、まって!」


 凛は声を張った。


「さっきから、何を言ってるの?」


 女の指先が、凛の頬へ触れた。氷のように冷たいのに、不思議と振り払う気にはなれなかった。


「死にたくなかったと、言ったわよね」


 女は静かに微笑んだ。


「大丈夫。あなたは――《《私》》は、まだ死なない」


 親指が凛の頬骨の上をゆっくりとなぞる。失くしたものの形を確かめるような、ひどく丁寧な触れ方だった。


「私も、あなたを助けたい」


 女は頬に触れたまま、凛の答えを待っていた。何も分からない。魔法も、この白い場所も、目の前の女が何者なのかも。それでも凛は、もう答えを決めていた。


「あ……、あなたの、名前、は?」


 一拍の沈黙のあと、女は静かに名乗った。


氷月ひづきりん


 その名を告げた燐は、ひどく不格好な笑みを浮かべていた。


 整いすぎた顔には似合わない、ぎこちない笑顔だった。長い間忘れていた笑い方を、ようやく思い出したようにも見える。


 それが、凛の記憶に深く刻まれた。


 初めて目にした、燐の人間らしい表情だった。


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