異界の騎士達1
天幕の隙間から差し込む異世界の陽光は、どこか白々しくて肌に馴染まない。
タロ――日向太郎は、ゴバ王国の兵舎裏にある練兵場に立っていた。足元には、薄汚れた麻布に包まれた搭乗員刀がある。零戦の狭隘な操縦席の足元にあり、この世界に引っ張られてきてからも決して手放していない、彼にとっての唯一の「地球との絆」だった。
その刀を拾い上げることもせず、タロは手にした木製の剣の重みを確かめるように、小さく手首を返した。重心が妙に先の方に寄っている。お世辞にも扱いやすい代物ではない。
「おい、異邦人。いや、最下級騎士の墜ちた渡来人よ」
前方から、金属鎧をガチャつかせた若い男が歩み寄ってくる。騎士ゼグだ。その端正な顔は激しい嫉妬と、張り詰めた敵意で歪んでいた。
タロは無言のまま、冷めた目でゼグを見た。
ゼグの背後、少し離れた日陰には、この国の姫であるセゼ王女の姿があった。そして、その傍らで酷薄な笑みを浮かべているのは、大臣ガズド・オン。すべてはあの老獪な政治家が、王女へ純情を寄せる若者を焚き付け、仕組んだ決闘であることなど、タロの目には分かり透いていた。
「セゼ王女殿下がお前のような素性の知れぬ男を重用し、あまつさえ最新の鋼骨騎を預けるなど、我がゴバ騎士団の誉れが許さぬ!」
ゼグが吠え、木剣を構える。足の踏み込み、肩の力、呼吸のタイミング。
その構えを見て、タロは心の中で小さく首を振った。
(――噛み合っていない)
ゼグの腕が悪いわけではない。むしろ、この世界の流儀としてはこれ以上ないほど忠実だ。だが、身に纏う重厚な金属鎧。その質量を叩きつけるための『甲冑剣術』の理合のまま、防具のない素肌の状態で長大な木剣を振るおうとしている。それが、致命的なズレを生んでいた。
タロが修めた一刀流もまた、教本のある精緻な武術だ。しかしそれは、衣服一枚を隔てただけの肉体を、刃の切れ味と冴えで断ち切る『素肌剣術』。この裸の平地において、防具の重さに頼った大振りをすればどうなるか、タロには見えていた。
「やめろ、若い人、怪我をする」
タロの片言のガランド語は酷くぶっきらぼうだったが、ゼグはそれを侮辱と受け取った。
激しい踏み込みとともに、ゼグの剣が鋭く空を切る。頭上からの縦一閃。
鎧の重量を乗せた一撃は重いが、素肌のタロにとっては予備動作が大きすぎる。
タロは一歩も引かなかった。わずかに上体を右に傾け、刃が鼻先をかすめる最小限の機動で躱す。頭を通り抜けた木刀の風圧が、タロの短い髪を揺らした。
「当たらん!」
ゼグが焦れて、強引に横薙ぎへと繋げる。
タロはそれすらも、ただ足捌きだけでひらりと後方へ躱した。エネルギーを無駄に使わず、相手の空振りの反動を見据える。
「なぜ抜かん! なぜ構えん!」
「お前、剣、鎧で、振る」
タロは淡々と言った。
「お前、鎧、ない」
「黙れッ!」
頭に血が上ったゼグの突きの軌道が、目に見えてぶれた。
タロは右足を踏み込み、ゼグの懐へと滑り込む。すれ違いざま、タロの模造刀の柄頭が、ゼグの肉の薄い手首の骨を正確に強打した。
鈍い衝撃の音が響き、ゼグの指から力が抜ける。模造刀が地面に転がり、乾いた音を立てた。
勝負は一瞬だった。実戦の死線――真珠湾の爆煙の中、燃料タンクを撃ち抜かれ、敵艦の対空砲火が迫る極限の「血の昂り」を経験したタロにとって、平地での一対一の果し合いは、冷徹に対処できる範疇のものだった。
だが、ゼグは倒れなかった。
「まだだ……! まだ私は負けていない!」
手首の痛みに顔を歪めながらも、ゼグは泥塗れになりながら再び木剣を拾い上げ、立ち上がった。その目の光はまだ死んでいない。執念だけが彼を動かしていた。
(ほう……)
タロの胸中に、わずかながらの、軍人としての敬意が芽生える。
「そこまでにしな、ゼグ。見ていられないね、そんな無様な真似は!」
割って入ったのは、地を震わせるような豪快な声だった。
現れたのは、大柄な女騎士ゾガだった。その体からは特有の、鉄錆の匂いが漂っている。ゾガはゼグの肩を強引につかんで後ろへ引き下がらせると、自身の木剣を肩に担いでタロに向き直った。
「私もアンタとやってみたかったんだよ、渡来人!」
ゾガの参戦を皮切りに、それまで静観していた騎士たちが、沸き立つように次々と名乗りを上げ始めた。
「俺も頼む!」「異世界の剣理、見せてもらおう!」
タロの胸の奥で、久しく忘れていた火が灯る。
言葉は通じなくとも、互いの命の削り合い、技の応酬であれば、体が覚えている。
一人、また一人と、ゴバの騎士たちがタロに向かって突撃してきた。タロは呼吸を乱さず、最小限の動きで彼らをいなしていった。足運び、重心の移動、相手の力を利用した崩し。疲れを見せることなく、淡々と、しかし武人としての礼を尽くして彼らを泥の上に転がしていく。
その「静かな強さ」に、最初は敵意を向けていた騎士たちの目が、次第に驚嘆と純粋な畏怖へと変わっていくのが分かった。
そして最後に前に出たのは、騎士団長だった。
その構えには、これまでの騎士たちとは一線を画す「重み」があった。一歩の間合いの詰め方、視線の鋭さ。
互いの木剣が空中で交錯する。木と木が激しくぶつかり合い、その衝撃がタロの掌を通じて手首、そして肩の骨へとダイレクトに伝わる。
(――重い。だが、これは違う)
タロの研ぎ澄まされた軍人としての直感が、奇妙な違和感を捉えた。
訓練に見せかけた確実な間引きの罠。
ゼグともう一人の騎士が振るった木剣の芯には、明らかに鉛か鉄の芯が仕込まれていた。まともに受ければ骨が砕ける。
タロの目が、日陰で冷笑を浮かべるガズド大臣へと向けられた。やはり、この軍の内部には、根深い闇が巣食っている。
危なげなく団長の剣を受け流し、その喉元に木剣の先を突きつけたところで、勝負は決した。
「流石は渡来人だ……! この技、見事と言うほかない!」
団長が負けを認めると、場を包んでいた緊張感は一気に霧散した。
突如として周囲が騒がしくなる。ゼグを含め、それまでタロを敵視していた騎士たちが、熱っぽい眼差しでタロを取り囲み始めた。
「すげえ……今の動き、どうやったんだ? 足の運びが見えなかったぞ!」
「おい、もう一度やってみせてくれ!」
口々に浴びせられる質問攻めに、タロは困惑気味に眉を寄せる。異世界の言葉を完璧には解せないが、彼らの目が「敵意」から「純粋な武への憧憬」に変わったことだけは分かった。
「静かにしろ、貴様ら!」
ゾガが野太い声で騎士たちを叱り飛ばすが、その顔にはニヤニヤとした笑みが張り付いている。
「タロは渡来人だ。アンタらのように、教科書を丸暗記して剣を振るうような真似はしねえんだよ。……なあ、タロ。あんた、いったいどうやってあの速さで距離を詰めやがった?」
タロは首を振った。
「……違う。俺が特別凄いわけじゃない」
タロは地面に模造刀を突き立て、不器用なガランド語で、しかしはっきりと仲間たちに告げるように言葉を紡いだ。
「俺は、お前たちより少しだけ、時代が進んだ世界から来ただけだ」
騎士たちが、怪訝そうに顔を見合わせる。
「お前たちの言う『奥義』や『秘伝』と呼ばれるような技も、俺の世界じゃ、ただの書物として民間人でも手に入る。俺はそれを、達人だった祖父から手ほどきを受けたに過ぎない。お前たちと俺の違いは、素肌のままで戦うための技術を知っているか、知らないか。それだけだ」
タロはぐるりと、周囲の騎士たちの肉体を見回した。その厚い胸板、泥にままみれた強靭な足腰。それらはすべて、泥濘の戦場で命を繋いできた戦士の証だ。
「戦場での集団戦なら、俺はお前たちに絶対に勝てない」
タロは嘘偽りのない本音を口にした。組織立って動く鉄の塊のような軍勢を前にすれば、自分のような素肌の剣術など一瞬で圧殺される。
「――まあ、簡単に負ける気もないけどな」
タロが不敵に口元を緩めると、騎士たちは一瞬の静寂の後、どっと歓声を上げた。ゾガは腹を抱えて笑い、ゼグすらも悔しそうに、しかしどこか納得したように息を吐いている。タロが自分たちの『戦場での強さ』を正当に評価し、その上で対等に言葉を交わしてくれたことが、彼らの誇りを満たしたのだ。
その時、場を包んでいた爽快な熱気を切り裂くように、粘ついた拍手の音が響いた。
「なるほど、流石は野蛮な地から流れてきた渡来人だ。身軽さだけが取り柄の、じつに軽妙な『曲芸』ではないか」
割れるような拍手の輪の中から、大臣ガズド・オンが歩み寄ってくる。数人の近衛兵を引き連れたその姿は、周囲の兵士たちの汗や泥とは無縁の、清潔すぎるほどに整った礼装を纏っていた。その目は、タロを、それどころか自国の騎士たちをも、下等な羽虫でも見るかのように冷たく見下ろしている。
「だが、王国に伝わる由緒正しき甲冑剣術の足元にも及ばぬ男に、よってたかって教えを乞うとは……。我がゴバ騎士団も、随分と嘆かわしい組織に成り下がったものだな。礼儀作法も言葉も知らぬ異邦人の、ただのハッタリに惑わされるとは」
騎士たちの間に、重苦しい静寂が広がった。誰もが口を閉ざしたが、その目は大臣への激しい怒りに燃えていた。
ガズドが鼻で笑い、満足そうに背を向けて歩き出した、その時だった。
「……ザグドブ」
タロの隣にいた若い騎士が、歯を食いしばりながら、地を這うような小声で呟いた。
それを皮切りに、周囲の騎士たちの口から、堰を切ったように同じ言葉が漏れ出す。
「……ザグドブめ」
「……ザグドブが」
誰もがガズドの耳には届かないほどの、呪詛のように低く泥濘んだ響き。
タロの耳が、その酷く濁った音を正確に捉えた瞬間、思考の底からひとつの記憶が鮮烈に跳ね上がってきた。
(――ザグドブ)
そうだ。数日前、あの男の陰謀によって理不尽に地位を剥ぎ取られ、最下級騎士へと叩き落とされたあの日。怒りに震えるギギが、タロの耳元で執拗に繰り返していた現地語が、まさにそれだった。
『暗渠に潜み、背を刺す汚い虫』。
戦場に出ず、裏で糸を引く政治屋に対して浴びせる最大級の蔑称。それが今、目の前の男の背中に幾重にも突き刺さっている。
言葉の意味が完全に繋がった。この世界の人間も、兵隊が抱く感情の行き先は、やはり地球の戦場と何も変わりはしない。
タロは足元から麻布に包まれた搭乗員刀を拾い上げ、夜露が降り始めた兵舎の片隅へと背を向けた。
そのタロの肩の上で、ギギの体内のガラスの奥から、去っていく大臣の後頭部を睨みつけるかのように「ピキピキと細かく尖った、せわしない光」が激しく明滅している。
兵舎の影に入り、ようやく周囲の喧騒から離れたところで、タロはふう、と深く息を吐いた。
「あの戦場で、避難民どもに泣きながら言われた言葉は『ガ・ルァ・シャ』だったんだがな」
タロは誰もいない闇に向かって、ポツリと呟いた。
「次にまともに耳にしたのが、あの政治屋に対する『ザグドブ』の合唱とはね。世知辛い世界だ」
タロが苦い笑いを浮かべると、ギギの体内のガラスの奥から、今度は藍色の光が「水底のようにゆったりと深く澄み渡る」ように広がった。表情は動かないが、どこかドヤ顔で胸を張るかのような、静かで誇らしげな輝きだった。
「ほらね、私が教えた通りの『ザグドブ』だったでしょ。あの男がどれだけ性悪か、これで騎士たちにもはっきり分かったみたいじゃない、渡来人さん」
ギギの光の明滅が、確かにそう告げていた。タロには言葉の細部までは分からなくとも、相棒が自分と同じようにあの男を不快に思い、そして自分の順応を喜んでいることだけは、その光の温度で十分に伝ってきた。
「ああ、そうだな……。お前がいてくれて助かるよ、相棒」
タロは短く応え、麻布の上から搭乗員刀の柄を強く握り締めた。
そのまま視線を上げ、夜闇の向こう側――遥か遠くの空を見据える。
国境の向こうからは、大国ギドの進軍を告げる不穏な地鳴りが、夜風に乗って微かに届き始めていた。身内の『ザグドブ』に足を引っ張られている猶予など、この戦場には一刻もない。タロの目は、迫り来る本物の戦火の気配を、冷徹に睨み据えていた。




