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ガランド戦記  作者: 拝頼人
1章:銀翼の渡来人
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銀翼の渡来人9

容赦のない冷たい雨が、容赦なく外套を濡らし、飛行服の隙間から体温を毟り取っていく。


焦土を離れて数時間、ゴバの首都へと続く街道は、文字通り底なしの泥の海と化していた。数千人の避難民が履く粗末な革靴や、重い荷を引く4足の爬虫類が、地面をひたすらに捏ねくり回し、最悪の泥濘を作り出している。


「おい、もっと引け! 力を合わせるんだ!」


現地の言葉で怒号が飛び交う。見れば、避難民の老婆や子供たちを乗せた大荷車が、車輪をハブまで泥に埋もれさせ、完全に立ち往生していた。大トカゲが鼻面を血で汚しながら鞭打たれても、荷車はびくともしない。

タロは操縦席の中で、自身の意識と完全に同調しているガラダインの「視界」を脳内に走らせ、低く息を吐き出した。


物理的な覗き窓も、鉄の鏡もない。ただ目を閉じれば、あるいは意識を外へ向ければ、機体の感覚器が捉えた360度の情景が、そのまま鮮明なイメージとしてタロの脳内へとダイレクトに投影される。その奇妙な全天周の感覚に、タロの鋭い三次元知覚はすでに適応しつつあった。

「やれやれ……。俺のいた世界じゃ、戦闘機をこんな泥の牽引車代わりに使ったら整備兵に殴り殺されるぞ」

呟きながら、タロはガラダインを歩進させた。


神話生物の頑強な脚骨を鉄板で覆ったその足が、ズブズブと泥を割り、大地を踏み荒らす。重い。未だ調整の狂った伝達系のせいで、タロが意識を送ってから機体が動くまでに、ほんの一瞬の、しかし命取りになりかねない「ズレ」がある。タロはそのズレを、肉体の感覚だけで無理やり補正しながら、荷車の背後へと機体を近づけた。


ガラダインの無骨な鉄の剛腕を伸ばし、荷車の荷台の枠を掴む。


「――フンッ!!」


タロが胸中で短く呼気し、冷徹な集中力を機体のコアへと注ぎ込む。血の昂りを爆発させるのではない。一流の乗員がエンジンの回転数を最も効率の良い領域へピたりと合わせるように、ガラダインの骨組織へと意思を浸透させる。


ズゥン、とガラダインの駆動部が低く唸りを上げた。

圧倒的な質量と膂力が泥の吸引力に打ち勝ち、車輪が凄みのある泥飛沫を上げて引き抜かれる。


「上がったぞ! 早く進めろ!」


現地兵たちが歓声を上げ、タロに頭を下げながら荷車を急がせる。

だが、その歓声は、直後に響き渡った鋭い口笛と馬の嘶きによって、一瞬で悲鳴へと叩き落とされた。


「敵襲――ッ! 敵の斥候、いや、騎兵隊だ!!」


街道の脇、雨に煙る小高い丘の斜面から、泥を蹴り立てて二十騎以上の騎兵が駆け下りてくるのが脳内の視界に飛び込んできた。彼らが跨るのは、地球の馬とは違う、硬質な甲殻を持つ二足歩行、図鑑で見た事のある恐竜のような大トカゲ。乗っている兵たちの鎧には、ゴバを滅ぼそうとする敵国の紋章が刻まれている。


「チッ、足の遅い民を狙いすまして……!」


タロは即座にガラダインの機体を反転させ、最後尾から襲撃を仕掛けようとする敵の群れへと立ちはだかった。


敵の騎兵たちは、巨大なガラダインの姿を見ても怯まない。むしろ、未完成機特有のぎこちない動きを見切っているかのように、巧みに散開し、ガラダインの間合いの外をすり抜けようとする。


「ナメるな……ッ!」


タロは操縦桿を握る手に力を込め、ガラダインの背に背負った大剣を引き抜いた。


空中戦のような三次元の機動はできない。だが、地上であっても「間合いの理合」は同じだ。タロは敵の先頭の騎兵が、槍を構えて避難民の群れへ突っ込もうとする、その未来位置を見据えた。

一歩、泥を踏みしめる。

未完成機のズレを計算に入れ、わずかに早めに、大剣を横一文字に払った。


肉を斬る感触ではない。大剣の圧倒的な鉄の質量が、敵の軍馬の胸甲ごと、乗り手の男をまとめて真横へと叩き飛ばした。


骨が砕ける生々しい音が響き、男と大トカゲは泥濘の上を何度も転がり、動かなくなった。

響くのは、ただ肉体と金属が衝突する鈍い破壊音と、泥が撥ねる音、あるいは人間の悲鳴だけだ。


タロはすかさず二撃目を放つ。背後からガラダインの脚を狙って突っ込んってきた別の騎兵に対し、剣の柄頭でその頭部を叩き潰し、さらに泥を蹴って別の騎馬トカゲの首を薙ぎ払う。タロの研ぎ澄まされた戦術眼は、敵の動きを冷徹に先読みし、ガラダインという不格好な機体を、恐るべき効率の殺戮兵器へと変えていた。


だが――タロは神でもなければ、ガラダインは広範囲を薙ぎ払う爆撃機でもない。


「ああっ! 助けて、誰か――!」


雨音の向こう、ガラダインの巨大な体の死角から、女の悲鳴が聞こえた。

タロがハッと首を巡らせると、その思考の動きに追従して、脳内へ投影されている360度の視界が瞬時に背後へと切り替わった。だが、すでに遅かった。ガラダインの間合いを巧妙にすり抜けた二騎の敵兵が、街道の端で転倒していた別の荷車に襲いかかっていた。

防戦の兵が剣を抜くより早く、敵の長槍が、子供を庇った父親の胸を深く貫く。


さらに、荷台から投げ出された荷物が踏み荒らされ、数人の避難民が大トカゲの脚に踏みにじられていくのが見えた。


「くそっ、止まれえぇぇッ!」


タロはガラダインの脚を踏み出したが、泥に足を取られ、機体の伝達系が非情なタイムラグを告げる。

タロがその二騎を大剣の峰で叩き潰した時、すでに、その足元には物言わぬ血塗れの塊が転がっていた。雨水が、泥と混ざり合った赤い血を無慈悲に薄め、街道へと流していく。


やがて、タロの圧倒的な戦闘力に恐怖した敵の残存騎兵たちは、蜘蛛の子を散らすように闇の向こうへと退いていった。


戦闘は終わった。ゴバの防衛兵たちの損害は軽微、敵の快速騎馬隊を退けたという意味では、間違いなく「勝利」だった。

しかし、タロは操縦席の中で、拳を操縦桿に叩きつけた。


「……チッ。全員守ると言っておきながら、このザマか」


真珠湾の空でもそうだった。どれだけ自分が敵機を撃墜しようとも、守るべき母艦や、散っていく戦友たちの命をすべて救うことなどできはしない。無力感と、己の技術の未熟さへの苛立ちが、タロの胸を黒く焦がす。


ガラダインをその場に佇ませ、タロはハッチを開けて外の空気を吸った。雨が顔を叩く。

泥にまみれた地上に降り立つと、そこには、先ほど襲撃された荷車の周囲に集まる避難民たちの姿があった。亡くなった身内の遺体にすがり、泣き崩れる者もいる。


タロは彼らにかける言葉を持たず、ただ冷徹な戦闘乗りの面を崩さないまま、その横を通り過ぎようとした。己の不手際を責める視線が来るのを、無意識に身構えながら。


だが、タロの前に、一人の老人が泥まみれの足で歩み寄ってきた。

老人は、タロを見上げると、その震える両手をタロの飛行服の袖へとそっと伸ばした。

正式な言葉を持たぬまま、老人は深く、深く頭を垂れ、異世界の、聞いたこともない響きを呟いた。


「……ガ・ルァ……シャ……。ガ・ルァ・シャ、タロ……」


続いて、周囲の避難民たちも、一人、また一人とタロに向かって膝を突き、両手を合わせて、同じ言葉を口にし始めた。


「ガ・ルァ・シャ……」

「ガ・ルァ・シャ……」


その中には、先ほどタロが泥から引き上げた荷車に乗っていた子供たちの姿もあった。彼らは涙を流しながらも、タロの黒い瞳を真っ直ぐに見つめ、その呪文のような言葉を繰り返している。


「……おい、ギギ。こいつら、なんて言ってるんだ」


タロが戸惑いを隠せず、肩の上の精霊に尋ねる。

ギギは、体内のガラスの光を、いつになく静かな、どこか哀愁を帯びた藍色の光で満たしながら、タロの耳元で囁いた。


『……『ガ・ルァ・シャ』……ありがとう、って。あなたが居てくれなければ、私たちは今頃全員死んでいた。私たちのために戦ってくれて、命を救ってくれて、心から感謝します……って、そう言ってるんだよ、タロ』


「感謝、だと……? 目の前で、人が死んだんだぞ」


タロは苦く呟き、顔を背けようとした。

だが、その時、避難民の列を先導していた馬車から、セゼ王女が降りてくるのが見えた。

彼女もまた、泥にドレスの裾を汚しながらタロの前に歩み寄り、その翡翠色の瞳に深い哀悼と、それ以上の固い信頼を宿して、静かに頭を垂れた。


「ガ・ルァ・シャ、タロ」


彼女の口からも漏れた、その感謝の響き。

言葉の意味が、ギギの翻訳を通じてではなく、彼らの表情と、その声の震えから、タロの胸の奥へとダイレクトに突き刺さってくる。


彼らはタロに完璧な神を求めてなどいない。この絶望的な焦土の泥濘の中で、自ら泥を被り、血を流して自分たちの盾になってくれた黒髪の男の背中に、本物の救いを見出しているのだ。

責められるよりも遥かに重い、純粋な「感謝」の重み。


タロは無言のまま、雨空を見上げた。

(……早く、ゴバへ行くぞ)


胸の中で、かつてないほど強く、あの零戦のパーツをこの機体に組み込み、完璧な翼へと仕上げる衝動が、激しく、激しく燻り始めていた。

行軍は、再び動き出す。


泥を噛むガラダインの足音は、先ほどよりもどこか、深く力強いものに変わっていた。

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