17話
「佐渡ー。はやくしなさーい」
少し離れたところから奏ちゃんの呼ぶ声が聞こえる。本当にキャッチボールが楽しみなのか、外に出てからずっとテンションが高い奏ちゃん。子供はやっぱり元気が一番だよね。
奏ちゃんのにせかされながら少し早足で僕らは公園に向かった。
「ここだよ」
家を出てから15分。僕らは目的地である公園までやってきた。ここは普通の公園と違って、小さい子たちが遊ぶような遊具は何もないが、その分土地は広く、道具さえ自分たちで用意できれば大抵のことはできる。散歩コースとしてもいいところでたまに僕もお世話になる。
「ふーん。なかなか広いわね。でも、家の敷地より狭いわ」
奏ちゃんは少し偉そうに腰に手を当てながら自慢げに話してくれた。でも、ここより広い家の敷地って……お金持ちとは聞いていたけどどれほど裕福なんだろう。天王寺家恐るべし。
「さあ。佐渡。早速やりましょうっ。早く、今すぐ、迅速に」
「はいはい。ちょっと待ってねー」
持ってきた鞄から二人分のグローブとボールを1つ取り出す。取り出した瞬間、奏ちゃんは僕の手からグローブを1つ引っ手繰り(ひったくり)、自分の手に嵌めようとする。
「ん~っ。何よこれ、ちゃんと、入らない~」
一生懸命自分の右手にグローブを嵌めようと頑張る奏ちゃん。ちなみに奏ちゃんは右利きだ。つまりはグローブは左手に嵌めるのが普通だ。でも、お嬢様の奏ちゃんはそれを知らないのだろう。キャッチボールを知らなかったぐらいだしね。
奏ちゃんが一生懸命グローブを嵌めようとする光景は少し微笑ましく、可愛らしい。本当は奏ちゃんがもう少し、1人で頑張る姿を見ていたいところだが、これ以上何も言わないまま放置するのは可哀相だ。それに後が怖い。
「奏ちゃん、グローブはね、利き手とは反対の手に嵌めるんだ。だから奏ちゃんの場合は左手だね」
僕は説明をしながら手本を見せるように自分の左手にグローブを嵌める。
「わ、わかってたわよ。佐渡が知らないと思って私が知らないふりをしてたのっ。そうなのっ」
顔を真っ赤にしながら必死に言い訳をする奏ちゃん。微笑ましい。さっきのテレビじゃないけど、なんだか奏ちゃんのお父さんになった気分だ。
「なにニヤツいてるのよっ。私を笑うなんて佐渡の癖に生意気よっ」
「ごめんごめん。ただちょっとうれしくなっちゃって」
「キイィィィィィィィ。私のことバカにできてそんなにうれしいの!?」
「ち、違うよ。そんなつもりは……」
あれ、なんか不味い方向に話がずれてる気がする。
「そう。私のことをコケにできてうれしいのね」
「だから違うって……」
「これでもくらえーーーーーーーー」
奏ちゃんは僕が慌てて落としてしまっていたボールを拾い上げ、僕に目掛けて全力投球した。
あっ。まずい。この距離だと避けるのもグローブで受け止めるのも間に合わない。
「うっ……何もここに当たらなくても……」
奏ちゃんの投げたボールは無情にも防御力ゼロの僕の股間へとヒットした。奏ちゃん。ナイスストライクだけど、今度からは勘弁してね。
その思考を最後に僕はしばらく激痛にうずくまった。
しばらくして激痛が去り、何とか立てるようになった僕は今度こそ奏ちゃんとキャッチボールをすることにする。ちなみに僕が激痛にうずくまっている間奏ちゃんは僕に怒声を浴びせながら、「早くしなさい」と僕をせかし続けていた。
「よーし。行くわよー」
ボールを持ったまま右肩を回す奏ちゃん。やる気は十分のようだ。僕はさっきのような悲劇が生まれない様に細心の注意をしながらグローブを構えておく。
「とりゃー」
奏ちゃんが手からボールを離し、僕に向かって全力投球をした。女子中学生にしては早い球だと思うけど、決して取れないような球じゃない。構えていたグローブをゆっくりボールの位置に合わせてボールを待つ。そしてボールは見事にパンっという音を立てながらグローブに収まった。
「行くよー。奏ちゃん」
「いつでも来なさいっ。どんな球でも簡単に止めてやるわ」
威勢よく腰に手を当てながら僕の投げるボールを待っている。
「それじゃあ……えいっ」
掛け声と共に奏ちゃんに向かってボールを放つ。といってもそんなに強く投げていない。奏ちゃんにもしものことがあったら困るのは僕だ。そうならないためにも僕は球を山なりにゆっくりと投げた。ボールは奏ちゃん目掛けてキャッチャーフライのように落ちていき、何事もなく奏ちゃんのグローブに収まった。
「佐渡っ。あんた全力で投げなさいよ全力でっ。私をなめてるの」
どうやら手を抜いていたのがばれてしまったらしい。でも、やっぱり女の子相手に全力投球というのは気が引ける。確かに僕は運動神経は悪い方だが、決して運動音痴なわけではない。だからそれなりに早い球を投げることはできるし、ある程度のコントロールも付けられる。ただ、もしもが怖いのだ。奏ちゃんに当たったらと思うとぞっとする。かといってこのまま山なりに投げ続けたらそれはそれで奏ちゃんが怒るだろう。なら僕にやれることは一つだ。
「ごめんね。わかったよ。次からは真面目にやるね」
「そうよ。最初からそうしなさい。私を怒らせない様にね」
僕の返事がよかったのか、満足げな奏ちゃん。
でもごめんね。やっぱり本気じゃ投げられないよ。
というわけで、僕は次のボールから真っ直ぐには投げているものの、運動音痴だということにして緩やかな球を投げ続けた。最初は奏ちゃんも「こんな球しか投げられないの?」と、不満げな様子だったが、しばらくすると「佐渡、あんた特訓でもした方がいいわ。今度特別に私が見てあげる」と、どうにか満足してくれた。
こうして僕らの日曜日は何事もなく過ぎて行った。
「じゃあ僕は夕飯作ってるから奏ちゃんお風呂先に行ってきなよ」
公園から帰ってきて、少しの休憩を取り、日も暮れて空には星々が輝き始めた。時間も時間なので僕は夕飯の支度を始めようとエプロンを身に着け、奏ちゃんにお風呂を進める。
「ダメね。私一人じゃお風呂に入れないもの」
どうしよう。とんでもない返事が返ってきてしまった。僕はエプロンをかける手を一旦止めて、混乱する。
「えっと、それはどういうことなのかな奏ちゃん」
「私、自分では何もしないの。本当に湯船に入るだけ。それ以外は全部メイドにやってもらってるの」
「ごめん。奏ちゃん。家にメイドさんはいないよ」
というか、僕の常識が間違っていなければ、だいたいの家庭にはいないはずだ。
「わかってるわよ。でも、佐渡がいるじゃない。佐渡がやればいいのよ」
「ま、待ってっ。僕は男だよ。奏ちゃんも男の人に裸見られるのは嫌でしょ」
混乱して思考がマヒしている頭を必死にまともに回転させて奏ちゃん説得を試みる。
「んー。佐渡、あんた目隠ししてできたりしないの?」
「できないよ。それに目隠ししてても体洗ったりしたら意味ないじゃない……」
自分で言ってて恥ずかしくなってきてしまった。それになんだか顔と鼻の辺りが熱い。とにかくこの状況をどうにかしないと本当に奏ちゃんとお風呂に入ることになってしまう。どうにかしなければ。
「奏ちゃん。この際だから自分1人でお風呂に入れるようになるのはどうかな」
「却下ね。そんな面倒なことはしたくないわ」
なんとなく予想はしていたけど、やっぱり断られてしまった。お金持ちの家に生まれたからなのか、元々の性格からなのかはわからないけど奏ちゃんは人一倍プライドが高いように思う。
だから今までの生活を大きく変えるつもりはないのだろう。それに今までの生活を変えるのは確かに大変だというのは僕もこっちに越してきたときに身をもって体験しているので重々承知している。奏ちゃんの気持ちもよくわかるのだ。
でも、わかるからと言って納得してしまうわけにはいかない。それは僕が奏ちゃんとお風呂を一緒にすることと同意だ。一応もう一つ考えがないわけではないけど、あんまり使いたくはない。
「んー。本当はやりたくないけど、仕方ないよね……」
奏ちゃんに聞こえない様に小さい声でつぶやく。少しの間考えたけど結局僕ら二人が一番傷つかなくて済むのはこの方法しかなさそうだ。
「奏ちゃん」
「なーに。佐渡。いい方法でも浮かんだ」
僕に考えることを任せて、テレビに夢中になっていた奏ちゃんが首だけをこっちに向ける。
「やっぱり奏ちゃん一人で入ってもらおうと思うんだ」
「またそれ? さっきも言ったけど嫌よ。この考えを変えるつもりはないわ」
ここまでは僕の書いたシナリオ通り、問題は次からだ。
「でも、お風呂に一人で入れた方が大人っぽいと思うんだ。奏ちゃんくらいの年の女の子はみんな一人でお風呂に入れるし、これも大人の階段の1つなんじゃないかな」
僕の描いたシナリオ、それは奏ちゃんが気にしている大人っぽさを利用することだ。奏ちゃんは服を買う時に大人っぽさに執着していたように思う。だから最初にあんなまだサイズの合わない服を買おうとしたのだと思う。それにさっき言った通り、奏ちゃんはプライドが高い。大人に近づくためだと言えばたぶん乗ってくれるはずだ。
奏ちゃんを騙すみたいで気が引けるけど仕方がない。これが僕ら二人が一番傷つかないで済む方法なんだ。
ちなみに奏ちゃんくらいの女の子が1人でお風呂に入れるというのは僕の妹がそうだったからみんな同じだろうという僕の偏見だ。たぶん間違っていないと思う。
「ホントに? ホントに一人でお風呂に入れると大人に近づけるのっ?」
よし、上手く乗ってきてくれた。
「う、うん。これができれば奏ちゃんも大人の仲間入りできるかもしれないよ」
「わかったわ。佐渡、1人でお風呂に入る方法を教えなさい。後はこの私がなんとするわ」
「うん。わかった。じゃあついてきてくれる」
「だいたいわかったわ」
「それはよかった。なにか困ったことがあったら大きな声で呼んでね。そこの扉の向こうで話すから」
「わかったわ」
そして僕らは一旦居間に戻ってきて、僕はエプロンを今度こそ装着して、奏ちゃんはお風呂に行く準備を整える。僕が下準備が終わった頃。丁度奏ちゃんも準備を終えたらしい。
「じゃあ行ってくるわ。見てなさい佐渡、私がお風呂を上がったらあんたは私の大人の魅力でメロメロよ」
「楽しみに待ってるよ」
奏ちゃんがお風呂場へと足を踏み入れた。それを確認してから僕も本格的な夕飯づくりに入る。するとお風呂場から……
「ぎゃあー。シャンプーとボディーソープ間違えたっ。」
やら、ゴンッという音の後に
「うわっ。なんでこんなに床が滑るのよっ」
など、奏ちゃんの叫び声で夕飯づくりに集中できない僕でした。




