22話
次の日の朝、僕が本気でみんなと仲直りすると決めてから五日目。
タイムリミットは今日を含めてあと三日。だけど、そんなタイムリミットを気にするのも今日までだ。今日で全部を片付ける。失った絆の全てを取り戻す。
欠けたピースはあと二つ。奏ちゃんと桜ちゃんの二人。それを今日中に取り戻すんだ!
「よしっ! 気合入れてがんばろー! おーっ!」
グーにした片手をあげて一人気合を入れる。
我ながら朝から元気だな~、とは思うが、元気で何が悪い。元気なことが一番だ。
「八時に安藤さんが迎えに来てくれるって話だから、それまでに準備しておかないと」
昨夜、僕が安藤さんに天王寺家に連れていってほしいと頼んだ後に、安藤さんは一人でひとまず帰宅した。
理由は単純で時間が時間なこと。安藤さんとの話し合いが始まったのが十一時で、終わったのは深夜の一時頃だった。さすがにこの時間では奏ちゃんも桜ちゃんも寝ているし、僕の負担も考えてくれた安藤さんの気持ちによって、今日に持ち越された。
そんな安藤さんの心遣いもあり、いつもより寝た時間は遅かったものの、僕の体も心も万全といっていいほど回復している。
「それにしても、昨日のうちに同じようなことを二人に言われちゃったな」
僕に帰る場所をくれた上に、そこで待ってくれているとまで言ってくれた彼方ちゃん。
僕に帰れる場所をくれようとした安藤さん。
状況や立場は違えど、二人とも僕に帰れる場所を提供してくれた。僕に休める場所を与えようとしてくれた。
そのことは素直に嬉しい。嬉しいんだけど―――。
「やっぱり僕って頼りないんだな~。わかってたけど……」
わかってはいたんだ。僕に頼りがいなんてものはないなんてことは。
でもさすがに二人にあんな心配をかけてしまっていたんだとわかれば、認識も改まる。
「いや! ネガッティブな考えはよそう! へこんだ気持ちじゃ奏ちゃんたちとの仲直りに支障が出ちゃうかもだしね!」
沈みかけていた気持ちを無理矢理浮上させ、転覆を防ぐ。
あとは座礁や暗礁に乗り上げないようにするだけだ。
「それに考えようによっては僕には帰れる場所が二つもあるんだ! 近くにいてくれる彼方ちゃんに、少し離れたところから見守ってくれている安藤さん! こんなに心強いことはない!」
どうにか心に喝を入れ、心の船の軌道は安定してくる。
この点だけは、僕が成長した数少ない点かもしれない。
「まあ成功率は低いんだけど……」
せっかく安定してきた船の軌道が再び怪しくなってきた。そんな風に思っていると、家のチャイムが鳴った。
「誰だろ? まだ八時までは一時間もあるし……彼方ちゃんかな?」
今の時刻は朝の七時で、八時までは一時間も余裕がある。それを考えると安藤さんの線は薄い、そこまで考えて次点に出てきたのが彼方ちゃん。
昨日あれだけ心配をかけてしまったから、わざわざ様子を見に来てくれたのかもしれない。
「そうだったらすごく申し訳ないな……」
申し訳ない気持ちいっぱいで玄関へと向かい、急いでドアを開ける。
「おはよう。……桜ちゃん?」
玄関の先にいたのは彼方ちゃんではなく、天王寺家のメイドの桜ちゃんだった。
「どうしたの、こんな朝早くに。じゃなかった、それよりも先に家に上がって」
さすがに玄関に立ったまま立ち話というのは申し訳なさすぎるので、とりあえず家に上がってもらうことにした。
中に入ってもらおうと、ドアを抑えたまま壁際によると、桜ちゃんは僕の顔を見て少しの間逡巡した。理由はわかる。今の僕らの関係が喧嘩中というものだからだ。
それでも僕は桜ちゃんに笑顔を向け続けた。そのおかげなのかはわからないが、桜ちゃんはしぶしぶと言った様子ではあったものの、家の中へと入ってくれた。
「座って待ってて、飲み物もってすぐに戻るから」
居間に向かう桜ちゃんの背中にそう声をかけてから、急いでコップ二つを用意して飲み物を用意する。そして流れるように居間へと向かった。
「お待たせ、はいどうぞ」
俯きながら座っている桜ちゃんに優しく声をかけつつ飲み物を前に置き、僕はテーブルを挟んで対面に腰を下ろした。
「今日はメイド服じゃないんだね。桜ちゃんの私服ってあんまり見ないから新鮮だなー」
こんな調子でいきなり本題に入るのもどうかと思い、とりあえず的な話題を振ってみる。
実際、桜ちゃんはメイド服ではなく私服だ。彼女らしい明るい色のふわふわとした服を着ている。女の子の服のことはよくわからないけど、桜ちゃんに似合ってって、可愛いことだけはよく伝わってきた。
「……」
返事はなかった。
でも、諦めるつもりは毛頭ない。
「こんな朝早い時間にごめんね。本当なら僕の方から行かなくちゃいけないのに。ここまでどうやって来たの? タクシーとか使った? それならお金払うよ」
玄関から安藤さんの車は見えなかったし、姿もなかった。となれば、桜ちゃんは何かしらの方法を使って自分一人で来たということになる。
ここから天王寺家までは車を使っても結構な時間がかかる。どんなに最悪でも自転車くらいはないとキツイことは間違いない。
と言っても桜ちゃんのことだから、タクシーか電車を使ってるはずだ。
「……」
また返事はない。
それでも構わなかった。桜ちゃんの方から僕に会いに来てくれた。その事実があるだけで僕は十分に救われている。
だから僕は諦めない。彼女の笑顔を諦めない。彼女との絆を諦めない。絶対に掴み取ってやる!
そう思ってまた違う話題を振ろうとしたら、桜ちゃんが微かに震え出した。
そして一言、ぽつりと漏らす。
「ごめん……なさい……」
謝罪の言葉を。
「なんで! ……なんで桜ちゃんが謝るの?」
感情的になりかけたのをどうにか自制して、乗り出しかけた体を元に戻す。
落ち着け。僕は何のために桜ちゃんや奏ちゃんと会おうとした? 仲直りの為だ。自分の意見を一方的に押し付けたり、自分だけ感情を剥き出しにして話をするためじゃない。
桜ちゃんだってきっと同じだ。僕と仲直りしたくて、わざわざこんな朝早くにここに来てくれたんだ。それを蔑ろにしてはいけない。
「教えて、桜ちゃん」
できるだけ優しい声音を作って桜ちゃんに呼びかける。
少しの間無言だったけど、少しして口を開いてくれた。
「私……あの時の佐渡さんの気持ち、わかるんです。私が佐渡さんの立場でも、きっと同じことをしました……」
予想外の言葉に面を喰らうも、それも一瞬のこと。
僕はすぐに心の整理をつけて話の先を促した。
「たぶんですけど、佐渡さんはみんなが傷つく可能性が一番低い方法を選んであんなことをしたんですよね?」
驚いた。
まさか安藤さん以外にあの時の僕の心境を的確に当てられる人がいるなんて、思ってもなかった。その安藤さんだって、少し離れて僕らの全体像を見ていたからわかったはずなのだ。
鈴さんでさえ、僕があの時にあんな行動を取ったのは、あの時すぐにできる方法があれしかなかったから。と言っていた。
僕と似たような考えの持ち方の彼方ちゃんならあるいはわかってるかも、くらいには思っていたけど、明確に口で聞いたことはない。
それを桜ちゃんは的確に言い当てたのだ。その上、自分も同じことをしただろうとも。
「……なんでわかるの?」
僕からしたら当然の質問だった。
僕しか知りえないことを、ヒントもなしに的確に言い当てたのだ。気にならないはずがない。
「わかりますよ。私だってかなちゃんが傷つかないでいい方法があるならそれを選びますもん。選んで……きましたもん」
ああ、やっとわかった。
桜ちゃんがあの時の僕の気持ちを理解できている理由が。
「私は少し前までかなちゃんが傷つかないようにメイドに徹してきました。小さい頃みたいに仲良くしたい。姉妹みたいでいたい。一緒に遊びたい。そんな数々のわがままを噛み砕いて、飲み込んで、無理矢理消化してきました。これでかなちゃんが幸せになれるんだったらそれでいいって、自分の感情を押し殺してました」
夏ごろまで桜ちゃんと奏ちゃんの仲は少し歪な関係だった。
遊び相手という天王寺家特有の習わしと、メイドと主という二人の境遇が災いして起きてしまった不幸なすれ違い。
どうにかそれを解消することができたけど、二人には痛いほど深い心の傷が刻み込まれているはずだ。特に一人傷を負い続けた桜ちゃんには。
「そっか……そうだよね。確かに、同じだね……」
似ている。なんて言葉じゃ収まらない。
きっと桜ちゃんが抱いていた思いと、あの時の僕の思いは同一のものだ。寸分違わず同じものだ。
「ごめんなさい」
「謝らないで」
「ごめんなさい」
「僕は大丈夫だから」
「ごめんなさい」
「ほんとに気にしなくていいよ」
俯いたまま、何度も何度も謝罪の言葉を並べる桜ちゃん。
本当にもう気にしなくてもいいのに。
「私は……私だけは、佐渡さんの気持ちを理解できたのに……。それなのに……今まで、ごめんなさい」
涙を見たくなかったが為の行動が、結果的には涙の原因になっている。
皮肉な話だと思う。何度も何度も大切な人の涙を見て、その度に実感して、心に刻み込んでいく。
人は失敗から学ぶなんて言葉があるけど、失敗しないならその方がいいに決まってる。失敗が悪いことばかりじゃないのはわかる。でも、今回の僕の失敗は間違いなく致命的なものだった。
「桜ちゃん……」
これ以上桜ちゃんが泣く必要はない。
だから僕はとにかく何でもいいから口を開こうとした。慰めの言葉でもいい、励ましの言葉だってかまわない。笑顔の似合う桜ちゃんに泣き顔をさせてちゃいけない。そんな義務感にも似た何かが僕を動かした。
「もう泣かないで……。僕なら本当に大丈夫だから。だからいつもみたいに笑ってよ、また一緒にメイド喫茶に行こう? それでうちでまた実践しようよ。安藤さんにも奏ちゃんにも認められるようなすごいメイドさんになるため頑張ろう? 僕もできることは何でも手伝うから」
僕にできることなんてたかが知れてる。
一緒にメイド喫茶に行ったり、その実践をうちでしてみたり、そんなことしか僕にはできない。基本的なメイドスキルは既に桜ちゃんの方が上だし、安藤という立派な先輩もいる。的確な指摘やアドバイスなんてもってのほかだ。
本職のことなら安藤さん、アニメ的なことなら広志くんの方がよっぽど僕より適任だ。
それでも僕は桜ちゃんの手伝いをしたい。毎日メイドとして努力して、日々メイドとして成長していく彼女の支えになりたい。
さらに我儘を言わせてもらえるなら、安藤さんにも奏ちゃんにも認められたメイドになったとき一番に、頑張ったね、よかったね、と褒めてあげたい。
だから僕は、桜ちゃんと仲直りがしたいんだ。
「許してくれるんですか……? こんな私を……」
ずっと俯いていた桜ちゃんの顔がようやく上を向く。
目元は真っ赤に腫れ、頬には涙が伝った跡がいくつもあり、唇は微かに震えていた。
「それはこっちのセリフだよ。……僕は、奏ちゃんにも桜ちゃんにもひどいことをした。それに僕はバカだからもしかしかたまた同じようなことをしちゃうかもしれない。それでも許してくれるかな? こんな自分勝手な僕と仲直りしてくれるかな?」
我ながらひどい謝罪の言葉だと思う。
自分はバカだからまた同じようなことをしてしまうかもしれないなんて、反省の欠片もないと思われてもしょうがない。
それでも僕はありのままの自分の気持ちを口にした。嘘偽りのない本当の思いを口にした。
それが今の僕にできる精一杯の謝罪と誠意だと思ったから。
「また一緒にメイド喫茶に行ってくれますか?」
「さっきも言ったよね? もちろんだよ」
「また色々なメイドの実験に協力してくれますか?」
「当たり前だよ。でも、あんまり僕が辛くなるのは勘弁してね」
「私が立派なメイドになるまで一緒に居てくれますか?」
「うん。それ以降だって一緒に居たいと思ってる」
一つ一つ質問を重ねる桜ちゃんに、僕はすべて肯定する。
当然だ。だってそのすべてが僕も望んでることなんだから。
「それじゃあ最後にもう一つ」
少し不安げな表情で桜ちゃんが訊ねてくる。
「世界一のメイドに、私がなれると思いますか?」
ああ、なんだ。よかった。
すごく簡単な質問で。
「うん。桜ちゃんは絶対に世界一のメイドさんになれる。保証なんてできないし、確証なんて全然ないけど、僕はそう信じてる。桜ちゃんを―――信じてる」
なにも迷うことはない。
僕は桜ちゃんのメイドとしての頑張りを見てきた。安藤さんや奏ちゃんには劣るものの、それでも確かに桜ちゃんの努力をこの目で見て、耳で聞いて、心で感じてきた。
どこまでも曖昧で、不確実で、説得力なんて皆無だけど、これだけは自信を持って言える。
桜ちゃんは世界一のメイドさんになれる!
「ありがとう……ございます……」
再び下を向いてしまった桜ちゃん。でもそれも一瞬のことで、次の瞬間には。
「私、佐渡さんのご期待に応えて、絶対に世界一のメイドになってみせますね!」
こんなにも素敵な笑顔を見せてくれた。




