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可愛いだけの杖

迫ってくる巨大な猪の魔物を見て、私は迷わず背を向け、逃げた。


「……いきなりあれは無理」


それにしても、足が速い。

時速三十……四十キロくらい出てる?しかも、疲れない。これなら逃げ切れそうね。


そう思った矢先、猪がすぐ横を砂埃を巻き上げながら駆け抜け、前方に回り込んだ。


……猪って、意外と速いのね。


やるしかないか。

ステータスはまだ見ていないけど、この杖をくれたんだから、魔法くらい使えるでしょう。

杖を振りかざし、炎が飛び出すところを思い浮かべる。


……出ない。


炎が出ないなら他には……

ダメね、魔法なんて、あまり詳しくない。


地面を蹴る音に顔を上げると、猪がこちらへ突っ込んできていた。

咄嗟に横へ飛び退き、すれ違いざまに杖を振り下ろす。

背中に当たったはずなのに、猪はそのまま駆け抜けていった。


……効いてないわね。


今の動き…普段の私なら、あんなふうに避けられない。身体は強くなっている気がするけど、どう戦えばいいかわからない。


猪が再び突進してくる。


さっきより速い。

……避けられない。


咄嗟に拳を突き出した。


鈍い音が響き、猪の巨体が宙に浮く。

そのまま背後の木に叩きつけられた。


「……え?」


突き出した拳を見る。

痛くもない。あの巨体を、私が吹き飛ばしたの?


「……そういうことなら」


杖を足元に置き、ボクシングの構えをとる。

軽くステップを踏んでみると、身体が思った以上に軽かった。


木の根元で、猪が立ち上がった。

猪は再びこちらを向き、低い唸り声を上げながら身構えた。


「……来なさい」


猪が勢いよく突っ込んでくる。

私は一歩踏み込み、鼻先に左のジャブを入れた。その一発で、猪の頭が大きくのけぞる。

続けて、全力の右ストレートを叩き込んだ。


猪の巨体が大きく吹き飛び、十メートルほど先の地面に叩きつけられた。

土煙を上げながら何度も転がり、やがて動かなくなる。


……ダイエットのためにかじったボクササイズが、役に立ったわね。


今のうちに、ステータスを確認しましょう。

頭の中で念じると、半透明の画面が現れた。


【名前】黒瀬 澪

【種族】人間

【レベル】5

【装備】黒曜のゴスロリ一式

【魔法】《月影の転装》


【装備効果】

・身体能力強化――極大

・防御力強化――極大

・疲労軽減

・外見変更

・アイテムボックス

・武器弱体化


「さっきの力は、この服のおかげみたいね」


身体能力も、防御力も極大。

……極大って、そんなに凄いの?


……武器弱体化?


「素手でしか戦えないってこと? せっかく杖まであるのに?」


足元の杖を拾い上げる。

じゃあ、この杖は何なの?

杖の情報が見たいと思うと、画面の表示が切り替わった。


【可憐な杖】

攻撃力――ほぼなし

魔法補助――なし

特殊効果――見た目が可愛い


へし折ってやろうかと思ったけど、先端のリボンと赤い宝石を見ると、ちょっと惜しい。


……可愛いので、一応持っていこう。


画面を閉じると、倒した猪が光っていた。

近づくと、その巨体が足元から黒い粉のようになって消えていく。


あとには、拳くらいの大きさの、赤黒い結晶が残っていた。


「……何これ?」


拾ってみると、少し温かい。

ドロップアイテムのようなものかな?

ひとまず、アイテムボックスにしまった。


「まずは森を出ましょう」


私はスカートの裾をひるがえし、木々の間を駆け出した。

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