……これを着ろってこと?
目の前に、黒いフリルとレースで飾られたドレスが浮かんでいた。胸元には大きなリボンが付いている。
「……これを着ろってこと?」
ついさっきまで、私は仕事帰りに駅へ向かっていた。途中でクレープ屋を見つけ、足を止めた。
夕飯前だし、今日は通り過ぎよう。
そう思ったのに、あっさり欲に負けた。
「……苺クレープを一つお願いします」
苺クレープを受け取り、店を離れた。
さっそく一口、と口を近づけた。
その瞬間、目の前が真っ白になった。
「……え?」
店も、道路も、行き交う人も消えていた。
見渡す限り、真っ白な空間。
消えていた、手元のクレープまで……
『黒瀬 澪さん。あなたは異世界へ転移されます』
目の前に浮かび上がった文字を、しばらく見つめる。
……これは異世界物というやつね。
辺りを見渡すが出口はない。何よりこの世の物とは思えない空間にいる。
「一応聞くけど、断ることはできるの?」
『いえ、今回の異世界転移は決定事項です』
問いかけに応じて、新たな文字が浮かぶ。
どうやら会話ができるようだ。
……それにしても、一口くらいは苺を食べたかったな。苺の酸味とクリームの甘さが、ちょうどいいのよね。
『……話を進めてよろしいですか?』
「え?ああ、いいわ。どんな世界に行くの?」
『あまり驚かれないのですね?』
「ええ、避けられないこともあるから、構わないわ」
……異世界って、少し楽しそうだし。
『アナタには剣と魔法のファンタジー世界に行ってもらいます。特別な役目はありません。自由にお過ごしください』
その文字の下に、黒いドレスがふわりと現れた。
「……この服は何?」
『アナタ専用の特別装備です。受け取りは任意ですが、危険な世界ですので装備することを推奨します』
黒いフリルに大きなリボン。レースもたっぷりで、かなり可愛い。
私の年齢でこれを着るのは……ちょっときついわね。
『ゴスロリ装備時は、顔をアナタの好みに変えることができます。ただし、一度決定したら変更はできません』
やっぱりゴスロリ服……。
「顔まで変えられるなら、私でも着られるかも」
『尚、体型を変えることはできません。
あまりお太りになると、ゴスロリを着れなくなるのでご注意ください』
「……失礼ね」
『顔をお選びください』
空中に顔の候補が映る。
私の顔は特徴のない平均的な顔……だと思う。せっかくだからゴスロリが似合う可愛い顔にしよう。
これは幼すぎる。
指で触れると、次の顔に切り替わった。
次は……少し派手ね。
もう一度触れ、三つ目の顔が表示されたところで、指が止まった。
「髪型も変えられる?」
『髪型も自由に変更できます』
髪を黒く、長いストレートに変えてみる。
白い肌に、わずかにつり上がった大きな瞳。少女のように可愛いのに、どこか近寄りがたい。綺麗な人形のような顔。
うん、可愛い。これなら、あの服を着ても浮かないか。
「これに決めたわ」
『承知しました。ゴスロリ装備時はこちらの顔に切り替わります。装備を外されると元の顔に戻りますのでご注意ください』
「……わかったわ」
『専用魔法《月影の転装》を取得しました。使用すると専用装備へ瞬時に着替えられます。また、普通の服への着替え等にも使えます』
なるほど便利ね。
……名前が厨二臭いのが気になるけど、今さら恥ずかしがっても仕方ない。
形式に従うなら、こんな感じかな?
手を前に突き出し、軽く息を吸って声を張る。
「我が身を黒き衣で包め!《月影の転装》」
一瞬で、着ていた服が黒いフリルとレースのドレスに変わった。
いつの間にか、目の前には鏡まで用意されている。
……これが私?なかなか可愛いわね。
思わずスカートの裾をつまみ、くるっと回ってみる。
「……コホン、着替えたわ」
『とてもお似合いです。ただ……魔法は叫ばなくても念じるだけで発動しますよ。ノリノリでしたのでそのままでも構いませんが』
「……」
『では、異世界へご案内します。少しお歳を召して……いえ、あまり異世界物には慣れていないようですので、まずはステータス画面を確認することをお勧めします』
「……今、歳をとってるって言いかけなかった?」
『失礼しました。お詫びに心ばかりのプレゼントをご用意しました。転移後、アイテムボックスをご確認ください』
……否定しないんだ。
『それでは、よい異世界生活を』
足元が光り始めた。目を閉じると、足元の感触がふっと消えた。
『いつか会える日を楽しみにしていますよ』
文字ではなく、声が聞こえた。
目を開けると、白一色だった景色は深い緑に変わり、周囲には木々が並んでいた。
「森……?」
まずはステータス画面……の前に、アイテムボックスを開いてみよう。
頭の中で「アイテムボックス」と念じると、目の前に半透明の画面が現れた。
そこには『お詫びの品』と書かれている。
その文字に触れると、一本の杖が現れた。
黒い柄の先には赤い宝石。その下には大きなリボン。
「可愛いけど……これで戦えってこと?」
魔法が使えるのかな。まずはステータスを確認してみよう。
ステータス画面を開こうとした瞬間、十メートルほど先の茂みが大きく揺れた。そこから姿を現したのは、体長三~四メートルはある巨大な猪の魔物だった。口元から伸びた二本の牙は、私の腕ほど太かった。
「……最初はスライムみたいな弱い魔物が出るんじゃなかったの?」




