第九話 見せてくださいな。(前)
アウレリアは王宮へ向かう馬車の窓から外を眺めていた。
六年ぶりに見る王都の街並みは、アウレリアの記憶にあるものとそう大きく変わってはいなかった。
広い大通りには朝から多くの馬車が行き交い、その両側には何階建てもの建物が隙間なく並んでいる。店先には王国各地から運ばれてきた商品が並び、通りを歩く人の数も領都とは比べものにならない。
別に王都が嫌いなわけではなかった。
むしろ店は多いし、珍しい品も集まる。腕のいい料理人もいれば、王都でしか手に入らない酒や宝石もある。
まだ今ほど忙しくなかった頃には、たまに遊びに来ることもあった。
だが、家督を継いでからはそんな暇は一切なかった。街道を直し、軍を整え、交易路を広げ、領内各地の物流を繋ぎ直した。
それにーー
「やっぱり、来るべきではなかったかしら」
アウレリアが呟くと、向かいに座っていたコンラートが顔を上げた。
「今さらお戻りになりますか?」
「戻れるなら戻るわよ」
窓の外へ視線を戻す。
今頃、アイゼンマルクではベルンハルトが各砦の警戒を引き上げているはずだ。
アイゼンマルク辺境伯が領地を離れ王都に向かった。その事実が隣国へ伝わるまで、そう時間はかからないだろう。
「本当に面倒ね」
「でしたら、王宮ではくれぐれも穏便にお願いいたします」
アウレリアはコンラートを見る。
「私が暴れるみたいな言い方ね」
「そう申し上げております」
「……」
失礼な男だとは思ったが、否定するのはやめておいた。
◆◆◆
それからほどなくして、馬車は王宮の正門をくぐった。
窓の外を流れていた王都の街並みが途切れ、代わりに手入れの行き届いた庭園と、白い石造りの建物が見えてくる。
馬車が止まり扉が開き、アウレリアは差し出された踏み台へ足を下ろした。
六年ぶりの王宮だった。
正面には大きな階段が伸び、その先に巨大な扉が開かれている。左右には衛兵が並び、少し離れたところには何人かの侍従や文官の姿もあった。
「アイゼンマルク辺境伯閣下」
階段の前で待っていた侍従が、深く頭を下げた。
「王太子殿下がお待ちです」
「そう」
どうやら随分と急いでいるらしい。
長旅を終えたばかりなのだから、せめて一晩くらい休ませてもよさそうなものだが。
もっとも、呼びつけた相手を待たせるつもりもないのだろう。
「ご案内いたします」
「お願い」
侍従の後について王宮へ入る。
磨き上げられた石床に高い天井。
壁には歴代の国王や王族の肖像画が並び、その間には王国各地から献上されたらしい美術品が飾られている。
六年前とほとんど変わっていない。
途中ですれ違った者たちは、アウレリアの姿を見るたびに道を空けた。
廊下の先で談笑していた三人の貴族は、こちらに気づいた途端に声を潜めた。そのうち一人には見覚えがあったが、目が合うより先に視線を逸らす。
「相変わらずね」
「何がでございますか」
「王都の人間よ」
六年前も似たようなものだった。
もっとも、あの頃は今ほどではなかった気がするが。
やがて案内していた侍従が、一つの扉の前で足を止めた。
「こちらでございます」
謁見の間ではない。
政務に使われる部屋の一つらしく、扉の両脇には王太子付きと思われる近衛が立っている。
「アイゼンマルク辺境伯閣下がお見えになりました」
「通せ」
すぐに若い男の声が返ってきた。
扉が開き、アウレリアはコンラートを伴って室内へ足を踏み入れる。
最初に目に入ったのは、部屋の中央を占める大きな長机だった。その上には何枚もの書類が広げられ、中央には一枚の大きな地図が置かれている。
その向こうに、一人の男が立っていた。
淡い金髪を短く整え、澄んだ青い瞳をこちらへ向けている。身に纏うのは濃紺を基調とした、王族としては比較的簡素な衣装。胸元には王家の紋章が留められていた。
エドアルト王太子。
直接顔を合わせるのは、これが初めてだった。
「アイゼンマルク辺境伯」
先に口を開いたのはエドアルトだった。
「はい」
「よく来た」
「王命でしたので」
答えた途端、エドアルトの眉が僅かに動いた。
出頭せよと命じられたから来た。それ以外に、わざわざこの時期に領地を離れて王都まで来る理由などない。
「……そうか」
「ええ」
短いやり取りのあと、エドアルトは長机を挟んだ向かいの椅子へ視線を向けた。
「座れ」
「失礼いたします」
アウレリアは促された席へ腰を下ろした。コンラートはいつものようにその後方へ控え、エドアルトも向かいの椅子へ座る。
改めて正面から見るが、やはり若い。
「六年ぶりの王都だそうだな」
「ええ」
「父上への家督継承の挨拶以来か」
「そうですわ」
「随分と長く王都を離れていたものだ」
「忙しかったものですから」
「そうか」
何を聞きたいのだろう。
六年間王都へ来なかったことを咎めたいのか、それとも単なる世間話なのか。少なくとも、わざわざ自分を王都まで呼びつけた理由がこれでないことだけは確かだった。
アウレリアが黙って待っていると、やがてエドアルトは机上へ視線を落とした。
「では、本題に入ろう」
「そうしてください」
書類へ伸びかけていたエドアルトの手が、ほんの一瞬止まった。
後ろでコンラートが小さく息を吐いたような気がした。
何なのよ。
エドアルトは何も言わず、一枚の書状を取り上げた。見覚えのある紙だった。アイゼンマルクから送った返書である。
「単刀直入に聞こう。なぜ王命を拒否した」
アウレリアは僅かに眉を寄せた。
「理由は書いたはずですが」
「読んだ。資料にも目を通した」
エドアルトが机上の地図へ視線を落とす。
「だが王命を拒否するほどの理由にはならない。なぜ拒否した」
何を言っているのだろう。
「従えない命令だったからですわ」
エドアルトの眉間に皺が寄った。
「アイゼンマルク辺境伯。お前が国境を誰より理解していることは認めよう。だが、アイゼンマルクは王国の領土だ」
「ええ」
「ならば王命に従え」
「ですから、千名なら出すと申し上げたでしょう?」
エドアルトはしばらく何も言わなかった。
「……お前は、自分が何をしたのか分かっているのか」
「三千名の派遣を断りましたわ」
「王命を拒否したのだ」
「そうですわね」
エドアルトは机の上へ手を置いた。
「中央軍の再編には、アイゼンマルクだけでなく各地の諸侯が兵を出す。兵数をそれぞれの領主が勝手に決め始めれば、必要な数が揃わない」
「でしたら、国境を抱えていない領地から多めにお取りください」
エドアルトの表情が僅かに険しくなった。
「そういう問題ではない」
「私にはそういう問題ですわ」
アウレリアは机上の地図へ目を落とした。
赤い線で引かれた国境。その両側に、いくつもの砦が並んでいる。
「実際に国境を守るのは私です」
「だから何だ」
エドアルトは即座に返した。
「お前の判断が正しいかどうかを問題にしているのではない」
アウレリアは僅かに眉を寄せた。
「王が命じ、臣下が従う。それがこの国の秩序だ」
エドアルトは机上の返書へ視線を落とした。
「意見があるなら述べればいい。危険があるなら訴えればいい。減員を求めることも構わない。だが、最終的に王命が下されたなら従え」
「危険だと分かっていても?」
「そうだ」
アウレリアは黙った。
「自分の判断の方が正しいという理由で王命を拒めるのなら、王国は成り立たない」
「……なるほど」
ようやく話が分かった。
「殿下のおっしゃりたいことは分かりましたわ」
「ならば――」
「ですが、それでも三千は出しません」
エドアルトの表情が固まった。
「……今の話を聞いていたのか?」
「聞いていましたわ」
だからこそ、答えは変わらない。
「殿下は王国の秩序を守るために、臣下は王命に従うべきだとお考えなのでしょう?」
「そうだ」
「私はアイゼンマルクを守るために、従うべきではないと考えています」
エドアルトの目が僅かに細くなった。
「それでは国が成り立たない!」
「そうかもしれませんわね」
あっさり答えると、今度こそエドアルトが言葉を失った。
アウレリアは別に、彼の言っていることが間違っているとは思っていない。
すべての諸侯が自分の都合で王命を選り好みするようになれば、国などまともに動かなくなるだろう。
だがーー
「その国が今日も変わらぬ形でいられるのは、誰のおかげだとお思いです?」
エドアルトの目が細くなった。
「……お前が守っているとでも言いたいのか」
「ええ」
アウレリアは迷わず答えた。
「随分と思い上がったものだな」
「事実を申し上げただけですわ」
「王国を守っているのはアイゼンマルクだけではない」
「存じています」
「中央軍がいる。他の諸侯もいる。各地の領主がそれぞれの土地を守り、兵を出し、王国を支えている」
「ええ。その通りですわ」
「ならば分かるだろう」
エドアルトはアウレリアを真っ直ぐに見据えた。
「お前がいなくとも、国は守れる」
なるほど。
「でしたら、見せてくださいな」
エドアルトの表情が変わった。
「……何?」
「私がいなくとも守れるのでしょう?」
アウレリアは何でもないことのように続けた。
「でしたら、私が王都にいる間にでも証明なさればよろしいのでは?」
「貴様――」
エドアルトの声が低くなる。
後ろでコンラートがまた小さく息を吐いた。
しばらく、誰も口を開かなかった。
エドアルトはアウレリアを睨んでいたが、やがて大きく息を吐くと、椅子の背へ身体を預けた。
「……もういい」
「あら」
「これ以上話しても無駄だ」
「そうですわね」
「お前が言うな!」
アウレリアとしても、これ以上同じ話を続けるつもりはない。互いに言いたいことは十分言ったし、どうやらどちらも譲る気はないらしい。
エドアルトはしばらく黙っていたが、やがて机上の返書を手に取った。
「アイゼンマルク辺境伯」
「はい」
「王命を拒絶した件について、処分を下す」
アウレリアは僅かに眉を上げた。
まあ、そうなるだろう。
「一月の間、王都で謹慎せよ。その間、許可なく王都を離れることを禁ずる」
「承知いたしました」
◆◆◆
王宮を出て、用意された馬車へ乗り込むなり、コンラートが深く息を吐いた。
「何よ」
「王宮ではくれぐれも穏便に、とお願いしたはずですが」
「穏便だったでしょう?」
「どこがでございますか」
アウレリアは窓の外へ視線を向けた。
「一月も何をして過ごそうかしら」
コンラートが黙った。
「どうされるのですか、アイゼンマルク領は」
「ベルンハルトに任せて来たわ」
アウレリアは何でもないことのように答えた。
「それはそうですが」
「斥候も増やした。巡回も増やした。砦には二月分の備蓄を積ませている。あとはあの男の仕事よ」
ベルンハルトなら、こちらがいちいち指示を出さなくとも必要な判断はする。
そういう男だ。
「それに、殿下がおっしゃったでしょう?」
アウレリアは窓の外を眺めた。
王宮の白い外壁が、少しずつ遠ざかっていく。
『お前がいなくとも、国は守れる』
「なら、守っていただきましょう」
コンラートが黙った。
「……閣下」
「何?」
「まさか、根に持っておられますか」
アウレリアはコンラートを見る。
「当たり前でしょう?」
「左様でございますか」
コンラートはそれ以上何も言わなかった。
「それで、これからどうするの?」
「まずは王都邸へ向かいます。到着に合わせ、屋敷の者には準備をさせております」
「そう。六年も使っていなかったものね」
「最低限の管理は続けておりますので、滞在に支障はございません」
「ならいいわ」
アウレリアは椅子の背へ身体を預けた。
「では、屋敷へ戻りましょう」
「承知いたしました」
馬車は王宮を離れ、六年ぶりとなるアイゼンマルク辺境伯家の王都邸へと向かった。




