第六話 潰しなさい。
六年前。
アウレリア・フォン・アイゼンマルクが父の跡を継ぎ、辺境伯となってまだ半年も経っていなかった頃のこと。
家督継承の挨拶のため王都を訪れていた二十一歳のアウレリアは、その日、王都で催された晩餐会に招待されていた。
「これはこれは、新しいアイゼンマルク辺境伯閣下」
五十をいくらか過ぎた男が話しかけてきた。
「お若いとは伺っておりましたが――なるほど」
男はアウレリアを上から下まで眺め、納得したように頷いた。
「先代も、さぞご心配だったでしょうな」
「何が?」
「いえ。アイゼンマルクほどの領地ともなれば、若いご令嬢には随分と荷が重いでしょう」
「そう?」
「ええ。まして王都から遠く離れた辺境ともなれば、頼れる方も少ない」
男は穏やかに笑っている。
「もっとも、辺境では王都ほど難しいことを考える必要もありますまい」
その言葉に思わず眉が寄りそうになる。
「外交、宮廷、商会との折衝。王国全体を見渡せば、様々な思惑が絡み合うものです」
「そうね」
「その点、アイゼンマルクはよろしい」
男は手にした杯を軽く揺らした。
「敵が来れば追い返す。領民から税を集める。街道が壊れれば直す。実に分かりやすい」
「そうね」
「お気を悪くなさらず。辺境を軽んじているわけではございませんよ」
そう言ってから、男は周囲へ視線を向けた。
煌びやかな衣装を纏った貴族たちが、あちらこちらで談笑している。
「ただ、適材適所というものです」
男は再びアウレリアを見る。
「大きな商いともなれば、いくつもの商会や領地の利害を調整しなければならない。辺境のものには難しいでしょう」
「......」
まるで子供へ言い聞かせるような口調だった。
「王国のことは我々にお任せになればよろしい。閣下は東へお戻りになって、お父上から譲られた領地をきちんと守ることだけをお考えになるべきでしょう」
「そうね」
「では、失礼いたします。先代に恥じぬ辺境伯となられることを期待しておりますよ」
「ええ」
それだけ言うと男は去っていった。
◆◆◆
晩餐会が終わり各々が帰路に着く。
アウレリアもまた王宮をあとにし、帰りの馬車が王都の大通りをしばらく進んだ頃だった。
「気に入らないわ」
向かいに座っていたコンラートが顔を上げた。
「何がでございますか?」
「見ていたでしょう、さっきの男よ」
アウレリアは窓の外を眺めた。
「コンラート、あれは誰かしら」
「ハルトマン侯爵でございます」
「そう」
それだけ聞くと、アウレリアは口を閉じ、領地に帰るまで一度も開くことはなかった。
◆◆◆
そして今。
「随分と大きな話ね」
「はい」
アウレリアは執務机の上に広げられた資料へ目を落とした。
ハルトマン侯爵領を中心として、王国東部一帯の商会を束ねた大規模な国内交易網が作られようとしている。
実現しようとしている仕組みそのものはそれほど難しくない。
これまで東部の商会は、それぞれが別々に商品を王都まで運んでいた。
当然、荷の量も違えば使う街道も違う。途中で借りる倉庫も、雇う護衛も、支払う通行税すらも違う。
それを一つにまとめようというのが、今回の計画だ。
王都に向かうすべての荷物を一度ハルトマン侯爵領に集め、行き先ごとに荷をまとめ、大規模な輸送隊を組んで王都へ送る。
逆に王都から東部へ運ばれてきた商品も、まずハルトマン侯爵領で受け取り、そこから各地の商会へ振り分ける。
つまり――。
「東部の荷物は、一度全部ハルトマンに集めるわけね」
「はい。少なくとも参加商会については」
参加を予定している商会は、大小合わせて二十を超える。
当然、王国東端に広大な領地を持つアイゼンマルクも、その交易網と無関係ではなかった。
「随分と儲かりそうね」
「相当なものになるかと」
「でしょうね」
「準備には三年ほどかけているようでございます」
「三年」
「はい。各領主との通行税の調整、商会との契約、中継倉庫の確保。既に大半の話はまとまっております」
「そう」
アウレリアは資料を一枚ずつゆっくりと確認した。
「コンラート」
「はい」
「潰しなさい」
「......はい?」
「この計画よ」
アウレリアは何でもないことのように言った。
「私たちも作るわ」
コンラートは資料へ目を落とした。
「……交易網を、でございますか?」
「他に何があるのよ」
「閣下。交易網を一から作り上げるのはそう簡単ではございません」
「何を言っているのよ、下地ならあるじゃない」
「……領内輸送網のことでございますか」
「ええ。あれを王都まで伸ばしなさい」
アイゼンマルクでは、領内の主要な街と領都の間を定期的に輸送隊が行き来している。
元々は、国境沿いに点在する砦へ食料や武具を安定して届けるために整えたものだった。
アウレリアはそれを少しずつ広げた。
街道を直し、橋を架け、中継地点には倉庫を置いた。一定の距離ごとに馬を替えられるようにし、空いた荷台には商会の荷物も載せるようにした。
そうしてできたのがアイゼンマルク領全体を網羅する領内輸送網。アイゼンマルクの豊かさを支える基盤だ。
「閣下。王都までとなると流石に規模が違います」
「でしょうね」
もちろん、そのくらいは分かっている。だが不可能でもない。
領内にはすでに、各地から荷物を集め、決められた日に決められた場所まで運ぶ仕組みがある。
馬車もある。倉庫もある。馬を替える中継地点もある。
何より、アイゼンマルクには軍がある。
代々国境を守り続け、私がこの六年でさらに鍛え上げた、王国内でも屈指の精鋭だ。
「十日に一度」
「はい?」
「王都まで定期輸送隊を出しなさい」
コンラートが僅かに目を見開いた。
「領内の商会には、王都へ送りたい荷物を領都まで持ってこさせる。そこで全部まとめて、こちらで王都まで運ぶわ」
「……なるほど」
「街道沿いに何か所か荷受け場所を置くの。近隣の商会には、そこまで持ってこさせればいいわ」
「つまり――」
「アイゼンマルクの輸送隊が王都へ向かいながら、途中の荷物も拾っていくのよ」
それならば、他領の商会がわざわざアイゼンマルクまで荷物を運ぶ必要もない。最寄りの中継地点まで商品を持ち込み、決められた日に預けてしまえば、あとはアイゼンマルクの輸送隊が王都まで運んでくれる。
商会ごとに馬車を用意する必要もなければ、護衛を雇い、道中の安全に気を配る必要もない。
輸送隊を守るのは、長年国境を守ってきた国内屈指のアイゼンマルク兵だ。万が一何かが起きたとしても、荷を預かった以上、その責任を負うのはこちらになる。
商人たちが自分で面倒を見るのは、最寄りの荷受け場所へ商品を運ぶところまで。それより先は、すべてアイゼンマルクへ任せてしまえばいい。
「便利でしょう?」
「……ええ。商会にとっては、かなり」
「なら使うわよね」
「条件次第ではございますが、相当数は」
「でしょう?」
ハルトマン侯爵の計画では、各地の商会が自分たちの商品を一度侯爵領まで運び、そこでまとめて王都へ送る。
こちらは違う。
決められた日に、アイゼンマルクの輸送隊が街道を通る。商人たちは最寄りの荷受け場所まで商品を持っていけば、それでいい。
「帰りはどうなさいますか?」
「同じよ」
行きの荷だけを考える必要はない。
王都から地方へ運ばれる商品も当然ある。それらもまとめて引き受ければ、輸送隊は往路と復路のどちらでも荷を運べる。
そして一度その流れが出来てしまえば、商人たちにとって重要なのは誰が三年かけて交易網を作ったかではない。
どちらが安く、安全で、手間がかからないか。
「コンラート」
「はい」
「ハルトマン侯爵より安くするのよ」
コンラートが僅かに眉を寄せた。
「採算が悪化しますが」
「最初だけよ」
アウレリアは机上に広げられた資料へ視線を戻した。
「ハルトマンのところへ行こうとしている商会にも、全部知らせなさい」
「こちらにも定期輸送網を作る、と?」
「ええ」
「それで、潰すと」
「そうよ」
「三年かけて準備したものを?」
「期間なんて関係ないわ」
コンラートは何も答えなかった。
机上に広げられた資料へ目を落とし、しばらく何かを考えている。
「……どうして、そこまでなさるのですか」
「何が?」
「確かに、この方法であれば実現は可能でしょう。商会にとっても魅力はありますし、ハルトマン侯爵の計画にも相当な影響が出ると思います」
「なら問題ないでしょう?」
「そういう話ではございません」
コンラートは小さく息を吐いた。
「領内輸送網を王都まで拡張し、新たに定期輸送隊を組み、兵まで護衛につける。その上、採算を削ってまで侯爵より安い料金を提示する」
「ええ」
「そこまでして、あの方の交易を潰す理由です」
アウレリアはコンラートを見た。
何を聞いているのだろう。
「嫌いだからよ」
「......左様でございますか」
◆◆◆
それから数ヶ月後。
「アウレリア・フォン・アイゼンマルク!」
怒声とともに、応接室の扉が開いた。
ノックもなく入ってきた男を見て、アウレリアは手にしていた紅茶をゆっくりとソーサーへ戻した。
ハルトマン侯爵。
六年前より髪には白いものが増えていたが、顔はすぐに分かった。
「随分と騒がしいわね」
「これはどういうことです!」
侯爵が手にしていた書類をテーブルへ叩きつける。
アイゼンマルクと王都を結ぶ定期輸送隊が運行を始めてから、まだ二月も経っていない。
だが、利用する商会はすでに当初の想定を大きく上回っていた。
領都を出発した輸送隊は、王都へ向かう街道沿いで各地の荷を受け取りながら西へ進む。帰りには王都からの商品を積み、同じ場所で順番に降ろしていく。
一度使った商会が次の便も使い、その評判を聞いた別の商会がさらに荷を持ち込む。
その中には当然、ハルトマン侯爵の交易網へ参加する予定だった商会も含まれていた。
「何の話かしら」
「とぼけるのはおやめいただきたい!」
侯爵の顔には、隠しようのない怒りが浮かんでいる。
「我々が三年をかけて準備してきた交易網です! 参加を予定していた商会へ次々と接触し、より安い条件を提示したそうですな!」
「ええ」
「しかも我が領を経由する必要すらない定期輸送隊を新設した!」
「そうね」
「おかげで、こちらとの契約を見直したいという商会が続出している!」
「でしょうね」
「でしょうね、ではない!」
侯爵の声がさらに大きくなる。
「我々は三年をかけたのです。各領主と通行税を調整し、二十を超える商会と交渉し、倉庫を確保し、それぞれの利害を一つずつ――」
そこまで聞いたところで、アウレリアは僅かに眉を上げた。
どこかで聞いた話だった。
「大きな商いというものは、いくつもの商会や領地の利害を調整しなければならないのです!」
「あら」
思わず声が漏れた。
侯爵が怪訝そうに眉を寄せる。
「何です?」
「いえ」
アウレリアは口元に僅かな笑みを浮かべた。
「申し訳ありませんわ。私、辺境のものなので難しい話は分かりませんの」
「……何?」
「だってそうでしょう?」
アウレリアは何でもないことのように続けた。
「私にできることなんて、敵が来れば追い返して、領民から税を集めて、街道が壊れれば直すくらいですもの」
侯爵の表情が止まった。
「だから街道を直して、荷物を運んで、敵が来れば追い返しているだけよ」
「……」
「王国のことは、あなた方にお任せしておりますわ」
しばらく、侯爵は何も言わなかったが、やがてその顔がゆっくりと歪む。
「……貴様」
「あら」
アウレリアは微笑んだ。
「ようやくお気づきかしら」
「貴様……っ!」
随分と怒っているらしい。
いい気味だ。
「でも、あなたの言った通りだったわ」
「……何だと」
アウレリアは紅茶を一口含んだ。
「辺境の仕事は、実に分かりやすいわ」




