第二話 派手になさい。
領都の中央広場では、数日後に迫った夏祭りの準備が進められていた。
通りを跨ぐように色布が張られ、広場の中央には木組みの舞台が作られている。
その周囲では職人たちが屋台用の木材を運び、役人たちが配置を確認しながら都度指示を出していた。
毎年この時期になると行われている伝統の祭りである。
準備は順調に進んでいた――はずだった。
「……地味ね」
傍らにいたコンラートはその言葉に眉をひそめた。
「はい?」
「地味だと言ったの」
「それは聞こえております」
ならばなぜ聞き返してきたのか。
この男は有能だが、こういうところが玉に瑕だ。
アウレリアは広場を見回しながら言葉を続けた。
「三日前、隣領を通ったでしょう?」
領内東部の視察のついでに、自領よりも数日早めに祭りをしていた隣領の様子を見た。
大通りの端から端まで吊るされた色とりどりの旗に建物の壁を覆い尽くす装飾。
どこまでも続くかと錯覚するほどに連なる屋台の数々。
そして大通りを埋め尽くす人々。
夜になると魔法灯が輝き、空いっぱいに広がる花火まで上がっていた。
去年まで、あの領地の祭りはあれほど煌びやかではなかったはずだ。
どうやら今年になって、随分と力を入れ始めたらしい。
それに比べて、我が領の祭りのなんと地味なことか。
「あの祭りは随分派手だったわ」
「……そうでございましたね」
「気に入らない」
私の領地が他領に劣るなど、面白くない。
「コンラート」
「はい」
「派手になさい」
コンラートは黙った。
その言葉を聞いていた、祭礼担当の役人が動きを止める。
「……はい?」
コンラートと二人して動きを止めて、何を遊んでいるのか。
「派手になさい、と言ったの」
「どの程度、でしょうか」
「隣領より、よ」
役人が困ったようにコンラートに視線を送る。コンラートは仕方なさそうに一歩前に出た。
「閣下。祭りというものは、他領と優劣を競うものではないかと」
「そうね、でも私は競っているの」
コンラートはこめかみを抑えながら、絞り出すように口を開いた。
「……祭りは六日後でございます」
「知ってるわ」
「今から規模を変更するとなれば、相応の問題が生じます」
「例えば?」
コンラートは促すかのように祭礼担当の役人に目を向けた。
役人はおずおずと切り出した。
「……まず、装飾品が足りません。追加手配するにしても職人の数に限りがございます」
「他の街から集めなさい」
即答すると、役人は困ったように口を閉じた。
何か難しいことを言っただろうか。
ここになければ、ある場所から持ってくればいい。それだけの話だ。
「輸送が間に合わない可能性が」
「近隣からなら六日もあれば間に合うわ」
役人はしばらく何か言いたげにしていたが、結局、小さく頷いた。
「……はい」
「他は?」
間を置かずに促すと、役人は手元の書類へ目を落とした。
「楽団を増やすとしても、予算が足りません」
「いくら?」
「少なくとも今の倍は」
「なら倍にしなさい」
予算が倍必要なら、倍にすれば良い。至極簡単な答えだ。
「閣下」
今度はコンラートが口を挟んだ。
「今年の領内の予算組みは昨年すでに終わらせています。他でもない閣下が。今から予算を増やす余裕などありません」
そういえば、そんなものもあった。
昨年の冬、何日もかけて各部門の予算を削ったり増やしたりした覚えがある。
だからといって、祭りを地味なままにしておく理由にはならない。
「いくら足りないの?」
コンラートではなく、祭礼担当の役人へ聞く。
突然話を戻された役人は、慌てて手元の書類を捲った。
「……正確には算出しておりませんが、装飾と楽団、それから屋台の増設まで含めますとーー」
「概算で良いわ」
「金貨二千枚ほどは」
「出すわ」
役人の顔が上がった。
「……はい?」
「だから、出すと言ったの」
返事がない。
役人は目を瞬かせ、コンラートは隣で眉間を押さえている。
眼下では、そんなことなど知る由もない職人たちが、祭りの舞台へ新しい板を運び込んでいた。
「何?」
「……それは、どこからお出しになるおつもりですか?」
「私のお金よ」
「閣下の私財から?」
「他に何があるのよ」
「……承知しました」
ようやく話がまとまった。
アウレリアが踵を返そうとすると、役人が何か言いたげにこちらを見ていた。
「何?」
促してやっても、すぐには口を開かない。
書類を胸元に抱え直し、一度コンラートへ視線を送る。
「まだあるの?」
役人は一度口を閉ざし、それから意を決したように答えた。
「……金銭の問題が解決しても、六日では人手が足りません」
「どのくらい?」
「装飾の追加、屋台の増設、それに会場の拡張まで行うとなれば……少なくとも百人以上は」
百人。
アウレリアは広場の向こうへ目をやった。
荷を運ぶ職人。舞台を組む男たち。通りの端では役人が何人か集まり、図面を覗き込んでいる。
確かに、この人数だけで今の倍を作れと言うのは難しいだろう。
だが、その程度ならすぐに思い当たる。
「南東の砦から百五十人回すわ。足りるでしょう?」
そう告げた途端、コンラートの表情が変わった。
「閣下、それでは南東橋を見張る兵が足りません」
「心配ないわ。その橋は落とすもの」
「……はい?」
また聞き返された。
コンラートにしろ、この役人にしろ、今日はどうにも耳が遠い。
歳かしら。
「落とす、と言ったの」
一瞬、誰も口を開かなかった。
広場の下から聞こえてくる職人たちの掛け声だけが、妙に大きく耳に入る。
やがて、コンラートが確認するように口を開いた。
「……橋を、でございますか?」
「他に何があるのよ」
「あの橋を使っている領民もおります」
「東橋まで迂回すれば済む話よ」
「時間が余計にかかります」
「十日もすれば橋は元通りよ。我慢させなさい」
コンラートは深く息を吐いて黙り込んだ。
また何か問題を探しているらしい。
随分と心配性な男だ。
「その橋は誰に直させるおつもりですか」
「職人に決まっているでしょう。何のためにいるのよ」
「……承知しました」
これで人手も足りる。
アウレリアは改めて広場を眺めた。
今より装飾が増え、屋台が通りの向こうまで並び、日が落ちれば魔法灯が街を照らす。
そこまでやるのなら――。
どうせなら、花火ももっと大きなものにした方がいい。魔法灯も倍は欲しい。
「三千枚出すわ」
「不足分は二千枚でございます」
「増やしたの」
「それも、閣下の私財からですか?」
「だから、他に何があるのよ」
今度こそ話は終わりだ。
アウレリアは踵を返し、階段へ向かって歩き出した。
硬い靴音が石床に響く。
「それじゃあ今から行ってくるから」
足を止めずに告げる。
「あなたたちは祭りを派手になさい」
「閣下」
コンラートの声が飛んできた。
「どちらに行かれるのですか?」
アウレリアの足が止まった。
数秒そのまま立ち尽くし、やがて小さく息を吐き振り返った。
「橋よ。落とすと言ったでしょう」
「閣下が、でございますか?」
「その方が早いもの。ついでに砦に祭りを手伝うように言ってくるわ」
何を今さら確認しているのだろう。
それだけ告げると、アウレリアは胸元のブローチへ指を触れた。
一瞬、周囲の空気が揺らぐ。
次の瞬間には、その姿は跡形もなく消えていた。
◆◆◆
領都は、六日前とはまるで別の街になっていた。
通りの上には色とりどりの布と旗が幾重にも張り巡らされ、建物の軒先から壁面に至るまで、花や飾り紐で埋め尽くされている。
中央広場だけでは収まりきらなくなった屋台は大通りにまで溢れ、その先が見えないほどに連なっていた。
広場では楽団が演奏し、その向こうでは別の楽団が負けじと音を鳴らしている。
六日前の、あの地味な広場の面影はどこにもない。
「……いいわね」
アウレリアは満足げに広場を見下ろした。
隣に立つコンラートから返事はない。
ちらりと横を見ると、目の下にはうっすらと隈が浮かんでいた。
「何よ、その顔」
「ここ三日ほど、祭礼担当の者たちはほとんど休めておりません」
「終わったら休ませなさい」
「職人たちもです」
「賃金は追加で払ったわ」
「払いました」
「ならいいじゃない」
何が不満なのだろう。
確かに追加で仕事をさせた。だが、人員も補充し、追加分の金も払った。
終われば休ませる。
何も問題はない。
「それから、南東地区から橋の復旧を急いでほしいとの陳情が届いております」
「復旧はあと何日?」
「予定通りなら三日ほどで」
「なら待たせなさい」
「……承知しました」
コンラートはそれ以上何も言わなかった。
アウレリアは再び広場へ視線を戻す。
旗の数はこちらの方が多い。装飾も多い。
屋台の数も、隣領を明らかに上回っている。
楽団に至っては三つも呼んだ。
少なくとも昼については、負けているところは見当たらない。
「魔法灯は?」
「予定通り配置を終えております」
「花火は?」
「そちらも。閣下のご希望通り、当初の予定の倍以上を用意しました」
「そう」
アウレリアは満足げに頷いた。
◆◆◆
日が沈み、領都を包んでいた夕暮れの色が、ゆっくりと夜へ変わっていく。
鐘の音を合図に、通り沿いの魔法灯が一斉に灯った。
一つ。
二つ。
それが瞬く間に大通りの先まで連なっていく。
赤、青、黄、緑。
建物を飾る色布が光を受け、昼とはまるで違う姿を見せていた。
アウレリアは手すりに片手を置き、もう一方の手にワインの杯を持って、静かにそれを眺める。
悪くない。
いや、かなりいい。
「隣領より多いわね」
「数えられたのですか」
「見れば分かるでしょう」
「左様でございますか」
やがて、最初の花火が上がった。
一発ごとに夜空が明滅し、建物の屋根も、張り巡らされた色布も、広場の舞台も、そのたび違う色に染め上げられていく。
空の端から端まで使い切るように、次々と花火が打ち上がる。
あの日見た隣領のものより大きい。
数も多い。
上がる間隔も短い。
何より――派手だ。
「勝ったわね」
「……何にでございますか」
アウレリアは怪訝そうにコンラートを見る。
「隣領よ。他に何があるのよ」
コンラートはしばらく何も言わなかった。
やはり、この男はよく黙る。




