第十二話 帰りなさい(前)
軍務官が書状をまとめ、アウレリアの前へ置いた。
アウレリアは上から何枚かに目を通した。
現地で記された時刻と部隊の位置を確かめ、地図の駒と見比べる。
「南東の続報は、これが最後?」
「はい。こちらが第三砦から届いたものです」
差し出された一枚も読み、北側の報告と並べた。
第三砦から下がった兵と、第二砦の北にいる兵。書状を脇へずらし、その間を繋ぐ道へ視線を移す。
「第三砦と第二砦の配置は、そのままでいいわ。北側へ出た別働隊は追わずに見張らせて」
「千五百を、そのままにするのか」
エドアルトが北側の駒を指した。
「動いたら知らせてもらえばいいのですわ。こちらから砦の兵を抜いて、追いかける必要はありません」
「合流すれば、第二砦が攻められるだろう」
「その時は第二へ回します。今はまだ、丘陵を動いているだけでしょう?」
アウレリアは書状を机へ戻した。
「この兵を追うために、どこを空けるか。見られているのはそちらですわ」
第三砦から一部を下げ、北の兵を増やす。
こちらも北へ寄れば、その分だけ別の場所が薄くなる。
見えるものを全部追っていては、兵をいくら並べても足りない。
アウレリアは南東の街道へ指を移した。
「それから、この騎兵は西倉庫へ向かいますわね」
「西倉庫?」
「第二と第三へ送る物資を集めている場所ですわ。二つの砦の後ろにある、ここ」
地図の小さな印を指先で叩く。
「東へ動いた兵が、そこまで回るものか?」
「ずっと東へ進んでいたのなら殿下の仰る通りですわ。でも、これは途中で北へ曲がっています」
アウレリアは、騎兵の駒から先の道をなぞった。
北へ伸びた道はやがて西へ折れ、倉庫へ向かう街道へ繋がっている。
「南側の騎兵を東へ引っ張っておいて、その脇を抜けるつもりですわね。たった五百で砦を攻めるより、よほどいいでしょう?」
「補給を断つつもりか」
「そうでしょうね」
エドアルトが軍務官へ顔を向けた。
「倉庫の守備兵は」
「おりますが、騎兵への対応には――」
「ベルンハルトが回しているはずですわ」
アウレリアはもう一度、書状の日付と時刻を見た。
王宮へ知らせが来るまでにはもう現地は動いている。
「もう向かわせている、と?」
「それができるから、任せてるのですわ」
ちょうどその時、扉が開いた。
「アイゼンマルクより続報です!」
軍務官が書状を受け取り、封を切る。
アウレリアは中央軍の駒を見ながら、読み上げられる声を聞いた。
「南東騎兵の北進を確認。クルーガー将軍は第三予備騎兵隊を西倉庫方面へ転進させ、迎撃を命じたとのことです」
だから、そちらは任せておけばいい。
「今の書状はこちらへ。それから、中央軍の主力は第三砦へ入れずに、この辺りで止めてくださいな」
アウレリアは二つの砦の後方を指した。
「到着した部隊から、ここへ集めるのか」
「ええ。第二砦へ入った先遣隊まで動かす必要はありませんわ。後続の行き先だけ変えて」
「第三砦の正面には、まだ敵主力がいるんだぞ」
「そこはベルンハルトに任せれば持ちますわ。今から指揮も装備も違う兵を何千と詰め込んでも、すぐに使えるわけではありませんもの」
狭い砦の中で兵を並べ直し、持ち場を決め、食べさせる。
戦っている最中に、その仕事まで増やして動きが鈍っては困る。
「ここなら、第三にも第二にも回せます。西倉庫へ通じる道も押さえられる。敵が次に動くたび、王都から行き先を決め直さなくて済みますわ」
エドアルトは示された場所と、北側の駒を見比べた。
「予備に残すのか」
「せっかく送ったのですもの。使える場所に置いておかないと」
エドアルトが軍務官へ頷いた。軍務官は脇に控えた文官へ指示を出し、別の一人が命令を書き留め始める。
紙を擦る音が続く間、アウレリアは残りの報告にも目を通した。
「これで、国境は守れるか」
エドアルトの声に、アウレリアは顔を上げた。
「守れますわ」
「第三砦も、第二砦もか」
「ええ。今の報告にある兵で、落とせるとは思いません」
エドアルトの指が、地図の縁から離れた。
「なら、あとは持ちこたえればいい」
「国境を守るだけなら、それでよろしいでしょうね」
言うと、エドアルトがこちらを見た。
「どういう意味だ」
「戦は、続きますわ」
アウレリアは机へ書状を置いた。
砦の名前ばかりが並んだ地図の端に、領内の街道と町が小さく描かれている。
「第三が駄目なら第二。第二が駄目なら南。今のように兵を引いて、別の場所を試すでしょう。全部駄目だと分かるまで、何度続けるおつもりかしら」
「相手にも、兵糧と金は要る。無限に続けられるわけじゃない」
「もちろんですわ。先に嫌になって帰るかもしれません」
「ならば――」
「それまでに、私のものをどれだけ使うのです?」
エドアルトの言葉が止まった。
「兵も馬も減ります。矢も油も薬も使う。街道を軍に渡している間、商人は遠回りをするし、村へ戻れない者もいますわ」
アウレリアは、地図に描かれた街道を指先で軽く叩いた。
「一月なのか、三月なのか。半年なのか。守り切った頃には、私の領地が貧しくなっているなんて、冗談ではありませんわ」
エドアルトは、すぐには答えなかった。
書き終えた命令書を差し出され、目を通す。
途中で一箇所を指して文官へ何かを告げ、それを返したあとも、視線はしばらく机の上に残っていた。
「……兵は、お前が来る前と同じだけいた」
低い声がした。
「砦も、将軍も、備蓄もあった。それでも、お前がいない今攻めてきた」
「ええ」
「……お前が王都にいるからか」
「他に何が変わりましたの?」
アウレリアは首を傾げた。
六年間、あの国境線を動かさせなかった。
兵を出し、それで足りなければ自分が出た。向こうも、それくらいは覚えているだろう。
エドアルトは国境線を目で追ったあと、アウレリアへ顔を向けた。
「お前を戻せば、終わらせられるか」
ようやく。
「終わらせますわ」
エドアルトの口元が僅かに引き結ばれた。
アウレリアは続きを待った。
「先の王命を拒んだことが、これで正しくなるわけではない」
「今は、国境のお話では?」
「いいか。命令を変えるだけだ」
エドアルトは机から一歩離れた。
「アイゼンマルク辺境伯」
「はい」
「先に命じた一月の王都謹慎を解除する。直ちにアイゼンマルクへ戻り、国境の敵軍を退け、この戦を終わらせろ」
命令を書き写していた文官の手が止まり、すぐに別の紙へ移った。
アウレリアはエドアルトを見たまま、口元を緩めた。
「王命ですか?」
「そうだ」
「でしたら、従いますわ」
アウレリアは地図へ向き直り、南東の街道と第三砦を順に見る。
先に南東。そこを片づけてから、第三砦へ行けばいい。
「では、本日中に南東と第三砦前面を潰しますわ。撤退を確かめるまでには、もう少しかかるでしょうけれど」
「……本日中に?」
「ええ。数日中には、戦が終わったとの報告も届くでしょう」
近くにいた軍務官が顔を上げた。
「もしや、閣下ご自身が向かわれるのですか」
「ええ、その方が早いもの」
今まで続いていた筆の音が途切れた。
誰かが小さく、《災厄のアウレリア》と呟く。
聞き慣れた呼び名だった。今さら振り向くほどのことでもない。
「コンラート」
「はい」
「あなたは後から来なさい。王都邸の片づけも任せるわ」
「承知いたしました」
アウレリアは胸元のブローチへ指を触れた。
魔力を流すと、宝石の奥に淡い光が灯る。足元の空気が揺らぎ、机も地図も、その向こうの人々も、薄く滲み始めた。
最後に、エドアルトへ視線を戻す。
「では、行ってまいりますわ。殿下」
白い光が膨れ上がった。
次の瞬間、王宮の景色は跡形もなく消えていた。




