お昼
波乱の午前中の授業が終わり、ようやく待ちに待った昼休みがやってきた。
(ふぅ……お腹すいちゃった。流石に食堂に行ったら目立ちすぎるし、今日も静かな中庭で一人でお弁当を食べようかしら)
私は持参した貴族令嬢らしからぬ、お弁当箱を鞄から取り出し、目立たないようそっと教室を抜け出した。
庭園の隅にある大きな木陰のベンチに座り、パカッと蓋を開ける。それだけで少し心が和らいだ。
「いただきます——」
「やあ、ここなら静かに食べられそうだね」
「ひゃいっ!?」
突然、頭上から降ってきたあまりに美しい声に、私は思わず素っ頓狂な声を上げて跳ね上がった。
見上げると、そこには白銀のシリス様……ではなく。
流れるような黄金の髪に、凛とした琥珀色の瞳を持った、息をのむほど麗しい男人が立っていた。頭上からは優美な角が生えている。
(り、龍人様……!?)
「驚かせてしまってごめんね。怪しい者じゃないよ」
彼は極上の温和な笑みを浮かべ、胸に手を当てて優雅に一礼した。
「僕はジュリアン。ジュリアン・グランヴェールだ。昨日まで政務で学園を離れていたのだけど……帰ってきたら学園中が君とシリスの話題で持ちきりでね。気になって探させてもらったんだ」
「グ、グランヴェール様……っ! ガイド科一年のフィオナ・クロツェと申します!」
あの大貴族で、生徒会役員でもある龍人のジュリアン様だ。私は慌ててお弁当を膝の上に置き、深々とお辞儀をした。
「……ふふ、そんなに畏まらなくていいよ、フィオナちゃん。二人のときは、気軽にジュリアンとよんで?
シリスを救ってくれたって聞いたよ。あの誰の接触も拒む偏屈な彼が、まさか専属ガイドを受け入れるなんて……本当に奇跡だよね。どれだけ相性が良かったんだろうね…?」
ジュリアン様は目元を緩め、どこまでも穏やかで優しい雰囲気を纏っている。
ジュリアン様にとって、シリスさまは幼少期からの大切な幼馴染であり、親友だ。
「そ、そんな、畏れ多いで…っ!」
ジュリアン様と目があった。
仏のように甘く穏やかな笑みを浮かべながらも、その目の奥は一切笑っていない。
ーービクッ
一瞬だけ向けられた冷たい視線に気付き、フィオナは小さく肩が跳ねた。
それに気付いたジュリアンは、すぐさま完璧な笑みを浮かべ直し、柔らかい足取りでフィオナへと近づいた。
「ねえ、フィオナちゃん。もしよかったら、僕とも少し——」
「——何をしている、ジュリアン」
ジュリアンがフィオナへ手を伸ばそうとした直前。
冷気すら孕んだ低い声とともに、ぬっと背後から現れた白銀の影が、ジュリアンの手首をガシッと掴んで引き剥がした。
「……やあ、シリス。」
ジュリアンは一瞬だけ瞳を細めつつも、完璧な笑顔でシリスへと振り返る。
「フィオナに触るな」
シリスはジュリアンを殺気すら感じる鋭い瞳で睨みつけると、そのまま滑らかな動作でフィオナとジュリアンの間に割って入り、フィオナを自分の背中へと隠した。
「やだな、そんなに威嚇しないでよ。二人でこれからお昼ご飯? 僕も混ぜてくれないかな」
ジュリアン様が両手を軽く上げておどけて見せる。けれど、シリス様の背中から漂う殺気は一切衰えない。
「拒否する。二人で食べる」
「ふふ、つれないなぁ。」
(え……? そもそも私、シリス様とお昼を食べる約束なんてしていましたかしら……!?)
シリス様の広い背中の後ろで、私は冷や汗を流しながら呆然としていた。けれど、あまりに不穏で緊迫した空気の前に「そんな約束していません!」なんて言える雰囲気では口が裂けてもなかった。
「そっか、じゃあ邪魔者は退散するとするよ。またね、フィオナちゃん」
ジュリアン様は優雅に手を振ると、爽やかな笑みを残して去っていった。
その背中が見えなくなると、シリス様はふぅと短く息を吐き、くるりと私へと振り返った。冷徹だった瞳が、私を見た瞬間に嘘のように柔らかく甘い光を帯びる。
「……フィオナ。一緒にご飯を食べてもいいか?」
「えっ……あ、はい! もちろんです!!」
断れる雰囲気でもなく、私はコクコクと深く頷いた。
シリス様は嬉しそうに目を細めると、私の隣に自然な動作で腰掛けた。
あまりの至近距離に緊張しつつも、私はふと気になったことを尋ねてみることにした。
「あの……シリス様。ジュリっ…グランヴェール様とは、昔からのお知り合いなのですか?」
「?…ああ。ジュリアンはイグニスと同じで幼馴染だが……あいつは少し抱えているものが多い」
シリス様は庭園の空を見上げながら、淡々と教えてくれた。
「ジュリアンは龍人で皇族。次期後継者候補の一人だ。希少種ゆえの公務も多く、いつも忙しくしている。優しく、穏やかだが仕事は完璧で、基本的にはいい奴だ。ただ……龍人は基本的に群れを作らない生き物でね。兄弟ともそこまで仲が良いわけではないらしい。そろそろ本格的な後継者争いも始まるから、心休まる暇もないんだろう」
「そう……だったのですね……」
シリス様の話を聞いて、私は胸のつかえがスッと下りるのを感じた。
(……なんだ、そういうことだったのね! さっき一瞬だけ見えた冷たい目は、お仕事で疲れ切っていらっしゃったからなのね。私のことが気に入らないのかと思って、びっくりしちゃったわ。気のせいで良かった!)
ジュリアン様の過酷な境遇に一人で勝手に納得し、ホッと胸を撫でおろしていた——その時だった。
「それより……フィオナ」
シリス様がじっと私の膝の上にあるお弁当箱を見つめていた。
「そのお弁当、手作りか?」
「え? あ、はい! ……あまり豪華なものではございませんが……」
「……美味しそうだな。俺も食べたい」
「えぇっ!? い、いえいえっ! ヴェルハイト様のようなお方のお口に合うようなものではございませんわ! 畏れ多すぎます!」
高位貴族様に家庭的な普通のお弁当を食べさせるなんて、と慌てて拒否しようとした私。
するとシリス様は、ぬっと顔を近づけてきた。
あまりの至近距離に広がる、息をのむような顔面国宝の美貌。澄んだ青い瞳が、すがるように私を覗き込んでくる。
「……ダメ、か……?」
(ぐ……っ! だ、だめですそのお顔は……っ!! 反則すぎますわ!!)
「うぐっ……! は、はい、どうぞ……!」
美貌の威力に抗いきれず、思わず許可を出してしまった私。
するとシリス様は満足そうに微笑むと、私が手に持っていたお箸から、卵焼きを——パクリと直接口に含んだ。
「……っ!?」
一瞬、何が起きたのか理解できなかった。
私の手元にあったお箸から、シリス様が直接食べたのだ。いわゆるあーんの状態で。
「ふむ……すごく美味しいな、フィオナ」
唇がわずかに触れたような感触と、耳元で聞こえた甘い囁き。
シリス様が幸せそうに頬を緩める姿を見て、私の顔は一気に沸騰したように真っ赤に染まったのだった。




