相性
昨日の出来事は、きっと夢か幻だったのだと思うことにした。
人間である私が、高位種族であるフェニックスのヴェルハイト様をガイディングしただなんて、いくら考えても信じられない。
(今日からはまた、目立たず静かに学園生活を送ろう……)
そう心に誓い、登校した私は、校門を潜った瞬間、固まった。
「……あ」
昇降口の前で、白銀の髪をなびかせたシリス様が、ぽつんと一人で立っていたのだ。
相変わらず近寄りがたいほど綺麗で、気高く冷ややかな表情を浮かべて佇んでいる。すれ違う生徒たちが遠巻きに悲鳴を上げているけれど、当の本人からはどこか独特の固さが漂っていた。
(う、わぁ……! 凄まじく気高くて冷たいオーラ……! 昨日のこと、やっぱり怒られるのかしら……? 助けるためとはいえ、勝手に触ったから怒ってる……!?)
私が青ざめて立ちすくんでいると、シリス様の青い瞳がまっすぐに私を捉えた。
(……あ、足がすくむ。逃げたら余計に怒られそう……)
私が内心で「終わった」と絶望していることなど知らず、シリスは心臓が口から飛び出そうなほど緊張していた。昨日の今日で彼女に引かれないか、どう話しかければいいのか、彼なりに冷や汗をかきながら必死に威厳を保っていただけだったのだ。
そんなこと知らないフィオナは怖がりながらも前を通ろうとした。
「……クロツェ嬢」
「は、はいっ……! ヴェルハイト様!」
「ちょっと来てくれ」
「……はい……」
怯えつつ、言われるがままに彼の後ろを歩いてついて行く。
案内されたのは、特別校舎の最上階にある重厚な扉——校長室だった。
「失礼します」
シリス様が扉を開けると、そこには大きな角を生やし、眼鏡をかけた穏やかそうな羊の獣人が校長椅子に腰掛けていた。
「やあ、ヴェルハイト君。……そして君が、噂のフィオナ・クロツェさんだね」
「こ、校長先生……っ!?」
ファリヤーナ学園の最高責任者、ロコロラ・モーンネイ校長だ。シリス様たちは「校長」と呼び、私は慌てて深々とお辞儀をして「校長先生」とお呼びした。
「そう身構えなくてもいいよ。昨日、ヴェルハイト君から話は聞いている。彼の暴走を君が鎮めたそうだね。今日はね、二人の『ガイドの相性』を正しく確認するために来てもらったんだ」
ロコロラ・モーンネイ校長が机に置かれた透明な特製水晶を指さす。
「さあ、二人で同時にこの水晶に手をかざしてごらん」
教えられるまま、私とシリス様は並んで水晶に手を触れた。
その瞬間——。
——ブワッ……!!
魔力測定ではピクリともしなかった水晶が、目も眩むような澄み渡る青と温かなゴールドの光を放ち、部屋全体を包み込んだ。
「素晴らしい……! まさに奇跡的な相性だ。互いの波長が完璧に合致している」
校長先生が驚きに眼鏡を直す。
シリス様ご自身も、私に触れられていることに一切の拒絶反応を示さず、それどころか体内の青炎が心地よさそうに脈打っているのを感じていた。
と、その時。
「——クロツェ嬢」
シリス様が私の目の前で、ゆっくりと片膝をついた。
「え……っ!?」
絶対者として君臨する彼が、人間である私の前で膝を折ったのだ。シリス様は、私の手を優しく包み込むように握り締め、真っ直ぐな青い瞳で私を見上げた。
「俺の、ガイドになってくれないか」
「た、立ってくださいっ……!! ヴェルハイト様、あ、頭を上げてくださいっ!!」
突然の事態にパニックになった私は、顔を真っ赤にしてあたふたしながら手を振り解こうとした。
「な、何かの間違いではございませんか!? 私は魔力測定ゼロだしっ。ただの人間ですのよ!? ヴェルハイト様のようなお方のお役に立てるはずが……っ!」
「間違いなどではない。俺の魔力を鎮められるのは、世界で君だけだ」
シリス様の声音はどこまでも優しく、包み込むような切実さを孕んでいた。
(……う、嘘でしょ……!? 雲の上の存在であるフェニックス様に、こんな風に頭を下げられて断れる人間なんて世界に存在するかしら……!? これだけ身分の差があって、断れるわけがないじゃない……っ!)
圧倒的な身分の差と、彼の溢れ出る威圧感(と本気の切実さ)に押し切られる形で、私は腹を括るしかなかった。
「……分かりました。私で勤まるかは分かりませんが……ガイドをお引き受けいたします……」
「感謝する」
シリス様は心底ホッとしたように目を細め、私の手にそっと額を当てた。
(「番」のことなど、まだこの少女に教える必要はない。知れば逃げ出してしまうかもしれないからな。……どちらにせよ、もう手放す気など毛頭ないが)
シリス様の胸の内に渦巻く重すぎる執着に、私はまだ何も気づいていなかった。
「……それと、お願いがあるのだが」
「はい、なんでしょうか?」
シリスは少しだけ頬を染めると、上目遣いで私を見つめてきた。
「これからは……フィオナ、と名前で呼んでも良いだろうか?」
「ええっ!? い、いえっ、恐れ多すぎますわ! ヴェルハイト様のような雲の上のお方に呼び捨てにされるなんて……っ!」
流石にそれは身分違いが過ぎると慌てて拒否しようとした、その時。
「……ダメ、か……?」
ヴェルハイト様が、まるで捨てられた子犬のように耳や尻尾が垂れ下がって見えるほどの、すがるような切ない表情を浮かべたのだ。あの冷徹で孤高なフェニックス様が、である。
(な、なにそのお顔……っ!? 反則ですわ……!!)
まさかのギャップ攻撃に私の理性は一瞬で崩壊した。
「うっ……! は、はい……『フィオナ』とお呼びいただいて構いません……」
「……! 感謝する、フィオナ」
私の返答に、シリス様の顔が一瞬でパッと華やぐ。
「なら、君も俺のことを『シリス』と呼んでくれないか?」
「それは絶対に無理ですわっ!!」
流石に呼び捨ては絶対に無理だと全力で拒否すると、シリス様はまたしても子犬のような悲しげな瞳で「どうしてもダメか……?」と見つめてくる。
(うっ……! そのお顔に騙されちゃダメよフィオナ……! でも……っ!)
「……っ。で、では、『シリス様』とお呼びいたします……! 」
(負けたわ…!)
「……わかった。シリス様、か。ふふっ」
満足そうに微笑むシリス様を見て、私はすっかり翻弄されて疲弊していた。
「さあ、フィオナ。教室まで送ろう」
「えっ!? い、いえっ、一人で行けますわ!」
「ダメだ。大切な俺のガイドを一人にはしておけない」
手を繋がれんばかりの距離感で、甘い声を隠そうともしないシリス様。
昨日までの冷徹な姿はどこへやら、あまりの過保護さに私はドギマギと戸惑うばかりで、こうして波乱に満ちた私の学園生活が本格的に始まってしまったのだった。




