ガイディング
「ふぅ……今日も無事に一日が終わったわね」
全ての授業が終わり、私は一人で鞄を抱えて校舎を後にした。
相変わらず周りからは冷ややかな視線を向けられていたけれど、没落の危機を乗り越えてきた私にとってはかすり傷にもならない。目立たず、静かに、無事に一日を終えられただけで満点だ。
(早く帰ろう)
静かな帰路につこうと、校舎の裏手にある広大な庭園の脇を通りかかった、その時だった。
——ゴーッ……!
真夏のような生ぬるい風の中で、突如として肌を焼くような熱気が漂ってきた。
見れば、庭園のさらに奥にある深い森が、静かに揺らめく青い炎で覆われていく。周囲の木々や空間そのものが、青い熱波によって空間ごと歪み、異様な音を響かせていた。
(……え? なにこれ……急にこんなに熱くなるなんて……)
明らかに異常事態だ。引き返して先生を呼ぶべきか迷ったけれど、青い炎の奥から聞こえてくる浅く苦しげな喘ぎ声に、足が勝手に動いてしまった。
薔薇のアーチを抜け、揺らめく青炎の熱を逃れるように奥へ進む。
大きな樹の根元に——一人の男が崩れ落ちるように倒れ込んでいた。
「ハぁ……っ、く……っ……!」
白銀の長髪が青い熱気で揺れ、苦しそうに胸を押さえている。
彼の全身から制御を失った圧倒的な『青炎』の魔力が溢れ出し、まるで青い炎が翼のように背中から揺れ、周囲の空間を焼き尽くさんばかりに侵食していた。
(ヴェルハイト様……!?)
私は息をのんだ。
あの完璧で冷徹な絶対者が、顔を苦悶に歪ま
せて意識を失いかけている。
(ウィーン先生が言っていた……! 強い魔力持ちほど、循環が狂うと魔力が暴走してしまうって……! 高位種族にあたるフェニックスは誰の接触も許さないから決まったガイドもいない……)
このままでは、彼の体内の魔力が破裂してしまうかもしれない。
恐怖で足が震えたけれど、苦しんでいる人を目の前にして見捨てるなんて、私にはできなかった。
「ヴェルハイト様! しっかりしてください……!」
私は駆け寄り、夢中で膝をついた。
そして、躊躇う暇もなく——彼の燃え盛るように熱い手首を、両手で力いっぱい握りしめた。
「ツっ……!?」
触れた瞬間、青い炎の熱で焼かれるような衝撃が私の手に走る。
けれど、諦めずにぎゅっと握りしめ、必死に祈った。
(一応、私にだって少なからずガイディングはできるはず…!)
私がもっているガイドの知識なんてたかが知れている。やり方も良くわからない。でもただ必死だった。
(お願い……落ち着いて……! 暴れている魔力よ、綺麗に流れて……っ!)
その瞬間——ズキン、と私の胸の奥から温かな脈動が跳ね上がった。
私の体を通って、心地よい熱の循環が彼の熱熱とした手首へと流れ込んでいく。
「……っ!?」
荒い息を吐いていたシリス様の瞳が、カッと見開かれた。
体を壊しかけていた荒々しい青炎が、嘘のようにスッと鎮まっていく。私の手から流れ込む不思議な巡りに引き寄せられるように、彼の体内の荒れ狂う魔力が、凄まじい勢いで正しく循環し始めたのだ。
「ハ……っ、あ……」
視界を染めていた青い炎の世界がスーッと消え去り、シリス様の頬に血色が戻っていく。
目の前で至近距離で重なる、青炎を宿した澄んだ青い瞳。
体内の激痛が嘘のように消え去り、信じられないほどの全能感と心地よさに満たされた彼は、茫然としたように私を見つめていた。
(え……私、なにをしたの……? 手が温かい……まさか、ガイディング……!?)
ガイド科とはいえ、魔力測定値『ゼロ』のただの人間であるはずの私の手が、決して誰も触れさせないはずの希少種の青炎を、完璧に鎮めて循環させていた。
「……きみ、は……?」
彼がかすれた声で言う。
あまりの至近距離に心臓が跳ね上がり、正気に戻った私は慌てて彼の手首を離した。
「あ、あの! お顔色が良くなられたようで何よりです! 私、これで失礼いたしますねっ……!」
「待っ——」
制止の手が伸ばされるよりも早く、私はパニックのまま立ち上がり、ドレスの裾を翻して一目散にその場を逃げ出したのだった。
***
残された森の中。
シリスは、去っていった少女の背中を、ただ茫然と見送っていた。
ゆっくりと自分の手を見つめ直す。体内の青炎の魔力は、かつてないほど完璧に、穏やかに循環していた。
「……嘘、だろ……」
燃えた跡が残る地面を辿り、駆けつけてきたイグニスが、一気に引いていく熱波に気がつき、森の奥で静かに佇むシリスを発見して目を見張る。
「シリス……!? お前、無事なのか……? 一体どうやって魔力の暴走を……」
息を切らせて駆け寄ってきたイグニスに、シリスはゆっくりと振り返った。
その青白かったの顔は朱に染まり、青い瞳には狂おしいほどの熱と恍惚が宿っていた。
「イグニス……見つけたんだ。俺の……俺だけの……」
「は……?」
「彼女は俺の【番】であるだけじゃない……。俺の魔力を鎮められる、世界で唯一の、俺の【ガイド】だ……」
絶対にあり得ないはずの二重の奇跡。
シリスの口元に、見たこともないような深くて重い笑みが浮かんだ。




