入学式
ファリヤーナ学園の入学式は、私の想像を遥かに超える規模だった。
絢爛豪華な大講堂には、色とりどりの制服を着た新入生と在校生がぎっしりと並んでいる。
天井からは見たこともない巨大な魔導水晶のシャンデリアが吊り下げられ、床はピカピカに磨き上げられた大理石。
人間界の端っこにある我が家の慎ましい屋敷とは、比べものにならない。
(うわぁ……すごいスケールね。これが国最高峰の学園……)
私——フィオナ・クロツェは、ガイド科の列の後方に縮こまりながら、ただただ口を開けて圧倒されていた。
かつて父が無謀な事業でやらかし、没落の危機に瀕した我がクロツェ家。病気がちなお母様を支えながら、私が血の滲むような思いで破産を食い止めたものの、いまだに貧乏な最下級貴族であることに変わりはない。
幼少期に叩き込まれた貴族としてのマナーや作法だけが、今の私の唯一の武器だった。
周りの生徒たちを見渡せば、立派な角を持った龍人や、優雅な羽を休ませている鳥人、ふわふわの獣耳を生やした獣人ばかり。人間の私なんて、どう見ても異物でしかない。
自分の立ち位置と身の程は、痛いほど理解している。
そんな中、壇上に【特殊科】の在校生代表たちが登壇した瞬間、講堂内の空気がガラリと変わった。
「「「きゃあああぁぁぁ……っ!!」」」
黄色い悲鳴と息をのむような感嘆の溜め息が、波のように広がる。
ガイド科のお嬢様たちも、あわよくば彼らのガイドに選ばれたいと言わんばかりに、熱っぽい視線を壇上へ注いでいた。
それもそのはず。そこに立っていた三人を知らない者なんて、この国には一人もいないからだ。
壇上の中央で、生徒会役員としておっとりとした微笑みを浮かべているのは、龍人のジュリアン・クロード。長寿な龍人族の中ではシリスたちと同世代の若い龍人だが、聡明で優しく、学園中の誰もが憧れる生徒会の顔だ。
その隣で、あくびを噛み殺しながら面倒くさそうに赤髪を弄っているのは、鳥人最高峰の赤炎のフェニックスのイグニス・バーンハート。明るくチャラチャラとした雰囲気を纏っているが、放たれる魔力は圧倒的。
そして——その横に、ただ立っているだけで周囲の温度を数度下げてしまうような存在感を放つ男がいた。
白銀の長髪、誰も寄せ付けない氷のような瞳をした美形。
同じく鳥人最高峰の『青炎のフェニックス』のシリス・ヴェルハイト。
(……うわあ、噂通りのすごとてつもない美形たち……)
私は素直に感嘆した。
けれど、感動したのはそこまでだ。彼らは自分とは住む世界が違いすぎる雲の上の存在。関わることなんて一生ないし、私には何の関係もない。
ぼーっとジュリアン先輩の穏やかな祝辞を聞き流しながら、なんとなく壇上に視線を送っていた、その時だった。
ふと、ジュリアン先輩の隣に立っていたシリス先輩と——バチッと、正面から目が合った。
(……え?)
冷たく、氷のように冴え渡る青い瞳。
それが、まっすぐに講堂の後方にいる私を射抜いていた。
(……まさか、勘違い、よね。こんな大勢の中で私が見えるはずないじゃない。気のせい、気のせい)
私は慌てて視線を泳がせ、気のせいだと自分に言い聞かせた。
***
「ふぅ……やっと、終わった……」
厳粛な入学式がようやく終わり、生徒たちがゾロゾロと講堂から退出していく。
お友達ができるかしら、と一瞬だけ淡い期待を抱いて周囲を見渡してみたけれど、ガイド科のエリート貴族のお嬢様たちは、貧乏人間の私を遠巻きに見下すばかり。肩身の狭さに耐えかねた私は、さっさと家に帰ることに決めた。
(初日から友達づくりは諦めよう。とにかく無事に帰着することが最優先よね!)
教科書が入った重い鞄を抱え直し、校舎の裏手にある静かな中庭の小道を早足で歩いていた、その時。
「——待て」
背後から、氷を溶かした水のように冷ややかで、けれど息が止まるほど美しい低い声が響いた。
振り返った瞬間、私の思考は完全にフリーズした。
そこに立っていたのは——つい先ほどまで壇上にいたはずの、あの白銀の長髪の絶対者。
青炎のフェニックス、シリス・ヴェルハイトその人だった。
(な、なんで……!?)
鳥人自体はこの世界にたくさんいる。けれど『青炎のフェニックス』は別格中の別格だ。
代々ヴェルハイト家にしか生まれない超・希少種であり、同じくバーンハート家にしか生まれない『赤炎のフェニックス』と並び、あの龍人族と同等の最高位の地位を誇る存在。
人間の私だって、彼の名前と顔を知らないはずがない。この国でヴェルハイト家を知らない者なんて存在しないのだから。
そんな雲の上の貴公子が、なぜ私なんかに話しかけてくるのか。
心臓を嫌な汗が伝うのを感じながら、私は制服の裾をわずかに持ち上げ、綺麗な貴族の礼を執った。
「……何かご用でしょうか、ヴェルハイト様」
失礼のないよう凛としたお辞儀を添えて尋ねると、彼はどこかハッとしたような顔をして、一瞬だけ視線を泳がせた。
あの冷徹と恐れられる彼が、ほんの少しだけ気まずそうに、けれど真剣な眼差しで口を開く。
「……その、名前を……聞いてもいいだろうか」
「……? フィオナ・クロツェと申します。」
「フィオナ……。俺は、シリス・ヴェルハイトだ」
(知っています……!)と心の中でツッコミを入れる間もなく、彼が何かを言いたげにさらに口を開こうとした——その時だった。
「おーい、シリスー! 何してんだよ、こんなところで……って、あれ?」
軽快な足音とともにやってきたのは、赤炎のフェニックスであるイグニス・バーンハートだった。
風に乗ってふわりと漂ってきた彼の気配と香りに、張り詰めていた空気がふっと切れる。
(い、今だわ……!)
「で、では! 私はこれで失礼いたしますね!」
私はお二人にサッと綺麗なお辞儀をすると、返事も待たずにそそくさとその場を後にした。
***
「……なんだったんだあの子? シリスが自分から女子に話しかけるなんて珍しいじゃん。……それに」
遠ざかっていく小さな背中を眺めながら、イグニスは鼻腔をくすぐるかすかな匂いに、ふと赤い眉をひそめた。
鳥人や獣人のように魔力を含んだ特有の匂いが、彼女からは一切しない。
澄んだ、けれどあまりにも儚くて弱い独特の気配。
「……あの匂い、人間だろ? なんでお前が人間の子なんかに声かけてんだ?」
普段なら、群がってくる者たちを氷のような視線と圧倒的な圧で一蹴するはずのシリスだ。
それが、わざわざ自分から呼び止めて名前まで尋ねていたのだから、イグニスが違和感を覚えるのも無理はない。
不思議そうにシリスの顔を覗き込んだイグニスは、直後、絶句した。
「……見つけた」
ぽつりと呟いたシリスの頬が、薄い桃色に染まっていた。
いつも冷徹で感情を見せないはずの青い瞳が、熱を帯びて激しく揺れている。
「は……? 見つけたって……まさかっ、マジで言ってるのか、お前……!?」
イグニスの驚愕の声を背に受けながら、シリスは去っていったフィオナの残像を慈しむように見つめ続けていた。
***
「——ふぅぅぅ、帰ってこれたぁ……」
自宅の貧乏屋敷の部屋にたどり着いた瞬間、私はベッドに倒れ込んだ。
思い返しても心臓がバクバクといっている。あのヴェルハイト様に直接話しかけられたなんて、未だに信じられない。
美形をあんな至近距離で見つめておいて、その場に崩れ落ちなかった自分を心の底から褒めてあげたいくらいだ。
(……でも、明日からどうしよう)
ふと、入学式が終わったあとの中庭の光景が頭をよぎる。
物陰からあの状況を見ていたガイド科のエリートお嬢様たちの、刺すような視線。
(絶対に標的にされるわよね……目立たずに空気のように生きるって誓ったのに、初日から前途多難ね……)
私は枕に顔をうずめ、来るべき明日からの学園生活に思いを馳せて小さく頭を抱えるのだった。




