犯人
「……シカの角が生えた生徒、か」
事件の直後、落ち着きを取り戻した私から事情を聞いたシリス様は、静かに顎に手を当てて考え込んでいた。
私は思いだそうと必死に記憶を辿るけれど、どうしても首から上の記憶が霧がかかったようにぼやけてしまう。
「はい……。たしかにシカの角が生えていたはずなのですが、なぜかお顔がどうしても思い出せなくて……」
「記憶に何らかの干渉をされた可能性があるな。それよりも……」
シリス様は壊された部屋の隅、焦げついた魔法陣の残骸へと視線を向けた。
その僅かに残る焦げくさい魔力の『匂い』に、シリス様は胸の奥が冷たくなるような感覚を覚えていた。
(この魔力の質……かすかだが、ジュリアンのものと似ている。……まさか、な)
幼い頃から共に育ち、信頼してきた幼馴染。彼がフィオナにこんなことをするはずがない——そう打ち消そうとしながらも、シリス様の心には消えない疑念がじわりと広がっていた。
「シリス様……。私、シリス様の魔力が暴走しなくて本当によかったですわ。……私、もっと強くなりたいです。こんな風に守られてばかりでは……」
不甲斐なさに唇を噛みしめる私に、シリス様は優しく頭を撫でてくれた。
***
翌日、学園側は事態を重く受け止め、即座に厳重な措置をとった。
全校生徒に通達が出され、校内では悪意ある攻撃性魔法陣や高負担の結界が二度と展開できないよう、強力な防衛結界が張り直されたのだ。
同時に、学園に籍を置く『シカ科』の獣人の生徒たちが全員呼び出され取り調べを受けたものの——魔力に一致する者がいなく、捜査は一向に進まなかった。
「フィオナ、体調は大丈夫か?」
昼休み、シリス様はいつものように私に会いに来てくれた。
けれど、たまたま廊下を通りかかったジュリアン様が「災難だったね、フィオナさん」と声をかけてきた瞬間、シリス様の全身の緊張が一気に高まるのを私は感じ取った。
シリス様はさりげなく私を背中に庇うように立ち、冷ややかな視線をジュリアン様へと向けている。
(やっぱり、顔を思い出せれば一発で犯人がわかるのに……)
モヤモヤとした焦りを抱えたまま午後の授業へ向かうため、私はクラスメイトのクロウと一緒に教室移動を行っていた。
その時だった。
すれ違ったのは、頭にピンと立った【狐の耳】を生やした、細身の男子生徒。
(あれ……? なんだろう、あの方……どこかでお会いしたことがあるような……?)
強烈な違和感が胸を突き、私は思わず立ち止まって振り返った。
「ねえ、クロウ。いまの狐の耳の子って、だれか知ってる?」
「ん? ああ、あいつは確かキツネ族のレイノだろ。ジュリアン様の側近で、いつも笑顔で何でもこなす優秀な奴だよ」
クロウの言葉に、胸の奥の違和感がさらに大きく膨らむ。けれど、それが何なのかまでは掴めない。
「どうしたの? 様子が変だけど」
「お!フィオナちゃん! 無事だったか!?」
聞き覚えのある凛々しい声が響き、廊下の向こうからイグニス先輩が駆け寄ってきた。
「イグニス先輩……!」
「昨日の事件を聞いてな。怪我はないと聞いて安心したが……まだ犯人が捕まっていないんだろう? 心配で様子を見に来たんだ」
「ありがとうございます。」
「せ!……せ、せん、先輩……っ」
イグニス先輩に話しかけられた瞬間、隣にいたクロウは案の定耳を真っ赤にし、視線をあちこちに泳がせながら言葉をつまらせている。
そんなクロウの微笑ましい姿に少し心が和みつつも、私はさきほど抱いた『違和感』をイグニス先輩に打ち明けることにした。
「イグニス先輩。実はさきほど、ジュリアン様の側近のレイノ様とおすれ違いしたのですが……なんだかすごく妙な違和感があって。思い過ごしかもしれないのですが……」
「レイノが……? 違和感とはどんなだ?」
「それが、うまく言えないのですけれど……昨日のシカの角の生徒様と……どこか重なるような……」
私の言葉を聞いた瞬間、イグニス先輩の顔からスッと色が引いた。
「……! まさか……そんな、信じられない……っ」
何か思い当たる節があったのか、イグニス先輩は青ざめた顔で「すまない、少し外す!」と言い残し、風のようにその場を走り去ってしまった。
***
「——シリス」
生徒会室の奥で、イグニス先輩から報告を受けたシリス様は、静かに目を閉じた。
「……そうか」
キツネ族の中には、古くから伝わる高度な【化術】を扱う者がいる。
レイノはシカ科の生徒に化けてフィオナを誘導し、術が解けた後も記憶が曖昧になるよう精神干渉をしていたのだ。
「だが……証拠がない。レイノが化けていたという確たる証拠がなければ、断言することはできない……っ」
悔しそうに拳を握りしめるイグニス先輩の横で、シリス様は深々とした絶望と凄まじい怒りに苛まれていた。
側近のレイノが動いていたということは、十中八九——ジュリアンが絡んでいる。
フィオナにあんな仕打ちをした者たちへの激しい【怒り】。
そして、実の兄弟のように信じていたジュリアンが自分を裏切り、愛する人を害そうとしているという、底なしの【悲しみ】。
二つの感情に引き裂かれそうになりながらも、シリス様の青い瞳には、冷たい決意の光が宿る。




