第7話 帰還点を打つ
迷宮へ入る前に、俺は古い石柱の前で膝をついた。
表面の苔を削り、帰還紋と同じ図形を白墨で描く。中心に拳大の灯石を置き、救助縄で固定した。
「《帰還点》」
左手の紋から青い線が伸び、石柱へつながる。
灯石が柔らかく瞬いた。
「これで帰れるんですね」
リゼが盾の留め具を確かめながら言った。
「全員の同意を取れれば。帰還点が壊されても駄目だ」
「では、入口を守る人も必要です」
「本来はな。今日は衛兵に頼むしかない」
俺は門番へ銀貨一枚を渡した。ほぼ全財産だ。
「この灯を誰にも触らせないでくれ」
「賄賂か?」
「警備の追加報酬だ」
衛兵は銀貨を噛み、肩をすくめた。
「朝までは守ってやる」
迷宮内は、地上よりひんやりしていた。
第一層は採掘され尽くした石造りの通路。壁の青苔がわずかな光を放っている。
リゼが前、俺が半歩後ろ。曲がり角ごとに立ち止まり、帰り道の壁へ白墨で矢印をつける。
「急がなくていいんですか?」
「急いで迷う方が遅い。帰りはスキルを使う予定でも、使えない場合の道を残す」
「スキルを信じていない?」
「道具は壊れる。魔力は尽きる。俺も間違える」
前世の救助現場でも、通信機があるから声を出さなくていい、ヘリが来るから歩けなくていい、とは教えなかった。
便利なものほど、失った時の穴が大きい。
二層へ下りる階段で、黒い羽根を見つけた。
毒羽コウモリのものだ。床に血はないが、壁に剣で払った傷がある。
「子どもたちはここを通った」
「足跡は十二人分。戻った跡はありません」
リゼが即座に数えた。
騎士団で小隊を率いていただけはある。
二層の奥で、甲高い鳴き声がした。
三匹の毒羽コウモリが天井から降ってくる。
「伏せて!」
リゼの大盾が頭上を覆った。嘴が金属を打ち、火花が散る。
俺は盾の陰から灯石を投げた。
強い光に、夜行性の魔物がひるむ。
「右へ二歩!」
リゼが盾を傾け、三匹を壁へ押しつけた。俺は短剣で羽膜だけを切り、床へ落とす。
止めは刺さない。
「倒さないんですか?」
「目的は救助だ。血の匂いで群れを呼びたくない」
リゼは一瞬目を丸くし、それからうなずいた。
「分かりました。先へ」
三層へ続く階段に着くと、空気が変わった。
熱い。毒羽コウモリが好む温度ではない。
その奥から、かすかな声が届いた。
「……けて」
リゼが盾を構える。
俺は救助縄を握り直した。
「生存者だ。ここからは一歩ずつ行く」
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