第60話 死者ゼロの大災害
大氾濫は、三日後に終息した。
メルドでは家屋四十一棟と畑の三割が被害を受けた。ベルナの北門は崩れ、ハルクの外壁には大穴が開いた。
それでも住民二千五百名、騎士、冒険者、救助員を合わせた死者はゼロだった。
河原の広場で、帰還式が行われた。
先に各都市の安全確認班が入り、残存魔物、井戸、建物を調査する。安全札が上がった地区から、住民を小分けにして戻した。
メルドの老人が、踏み荒らされた畑へ膝をついた。
「また種をまける」
彼が土を握る。
避難前には、墓を誰が守ると聞いた人だ。
「祈る人も帰ってきましたね」
リゼが言う。
老人は黙ってうなずいた。
ハルク伯は城門で住民一人ずつを迎えた。
「最後まで残ると言ったのに、最初に撤収させられた」
「指揮官が先に受け入れ先へ行くのも役目です」
「次は自分で決める」
「次も契約条件に入れます」
伯が苦笑する。
一週間後、王都から勅使が来た。
《帰還灯》を王国公認災害救助組織とし、各都市へ支部と帰還灯を置くこと。撤退訓練を騎士団と冒険者へ導入すること。
倉庫一つから始まったギルドが、王国全体の仕組みになろうとしていた。
祝いの席で、アレクシスは酒杯を掲げた。
「今回は認める。敵を全て倒す前に、全員を救った」
「次も認めてもらう」
「調子に乗るな」
笑いが起きる。
その頃、王都の凱旋大聖堂では別の宣言が準備されていた。
撤退を制度として認めれば、教会が長年教えてきた「勝利こそ救済」という教義が揺らぐ。
大司祭オルデンは、俺たちを救助者ではなく、神への反逆者と呼んだ。
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