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スラッガー⚾️  作者: 宇目 観月(うめ みづき)
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失われた記憶

「葬儀が終わってしばらくは、私もあなたも放心状態だった。母さんも体の力が抜けた様になって何もやる気が起きないの。二人とも仕事も保育園も休んで、団地の部屋で寝て過ごしたわ。父さんの遺骨《いこつ》や位牌《いはい》はあなたに見せないように押入れの奥にしまっておいた。あなたは魂が抜けてしまったように元気を無くしてた。四六《しろく》時中ボーッとしてるの。時々誰かと話してるように、聞き取れない小さな声で独《ひと》り言《ごと》を言ってたわ。ご飯もスプーンで口に運んであげないと食べないの。おねしょもするし、まるで一歳か二歳の幼児に逆戻りしたようだったわ。時々、『パパは? パパは?』って、急に泣き出すの。このままじゃいけないって思った。忌引《きびき》休暇も終わりに近づいてて、私はもうそろそろ病院に出勤しなければいけない時期になってたの」


そう言って、母さんは深いため息をついた。


「私とにかく、あなたの環境を変えた方が良いと思ったの。それで定年して他県に住んでたお祖父《じい》ちゃんとお祖母《ばあ》ちゃんに、一カ月程(ほど)あなたを預《あず》けることにしたの。お祖父ちゃん達は一日中目を離さずに、あなたの面倒を見てくれた。そしたら、不思議なことが起こったの」


って、母さんが言ったんだ。


「あなたはその一カ月の間に、父さんが亡くなったことを、全く忘れてしまっていたの。団地に戻ると、あなたは普段の生活に戻り、また保育園に通い始めたわ。でもある日突然私に聞いたの。『ねえ母さん、僕が良い子になったら、父さんは帰ってくるよね?』って何度も聞くの。私は戸惑いながら、『ええ、そうね』って曖昧《あいまい》に答えるしかなかった。父さんが亡くなったことをいくら言い聞かせてみても、あなたは、『違うよ! 父さんは外国に行ってるだけだよ!』って言い張るの。お葬式のことを質問してみたけど、あなたは全く覚えていないようだった。私、あなたの脳に障害《しょうがい》が起きたんじゃないかって、物凄く心配になったの。それで直ぐ、私が勤めてるこの病院にあなたを連れて行ったの。精神科の先生は、こう仰《おっしゃ》ってたわ」


って言って、母さんは先生が言ったことを話してくれた。



『翔太君くらいのお子さんの記憶は元々曖昧なものです。特に、恐ろしい体験をしたお子さんは、その時の記憶を全く無くしてしまうことがあります。心の自己防衛機能が働くわけです。その記憶はほとんどの場合、一生戻りません。翔太君は感受性が高いお子さんです。大好きなお父様が突然亡くなられたわけですから、その精神的ショックはかなり大きかったはずです。一歳か二歳に戻ったような言動は、幼児退行(たいこう)と言って、愛情を求めている時によく見られる行動ですので心配は要《い》りません。記憶の捏造《ねつぞう》も、小さなお子さんの場合よくあることです。翔太君はお父様が外国に行かれたと思い込むことで心のバランスを保っているのでしょう。ですから、翔太君の脳に障害が起きたわけでは決っしてありませんので、お母様もどうかご安心なさってください』


そして、お医者さんはこう言ったんだって。



『ごく稀《まれ》にですが、奇跡的に当時の記憶を取り戻すお子さんもいます。何か象徴的な出来事等(など)をキッカケに突然記憶が甦《よみが》えるのです。脳の記憶回路の個人差とかいろんな説がありますが、私は本人に事実を受け入れるだけの心の準備が出来たということだと考えています。但《ただ》しこの場合、鬱《うつ》状態に陥《おちい》ることがあります。また、お父様が亡くなったのは自分のせいだと思い込んで自分を責《せ》め、自分の手や指を噛《か》んだり、自分で自分の顔を叩いたり、リストカットしたりなどの自傷《じしょう》行為を行うこともあります。この様に大変危険な場合もありますので、もし記憶が甦った場合は、また病院にいらして下さい。ですが当面は何の問題もありませんので、普通に生活なさって下さい。お母様も今はお辛《つら》いでしょうが、温《あたた》かい目で翔太君を見守ってあげて下さい。そして是非《ぜひ》、亡くなったお父様の分まで、沢山《たくさん》の愛情を翔太君に注《そそ》いであげて下さい』

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