父さんの仕事と事故
「父さんは工場で車のバンパーに塗装する仕事をしてたの。父さんは仕事も良く出来たのよ。家に帰るとね、『陽子、今日は良い色が出せたぞ!』って嬉しそうに話してくれる時があったわ。塗装の仕事ってね、その日の気温とか湿度とか、バンパーの形状とかによって、塗料の配合を微妙に変えないと、良い色が出せないんですって。良い色が出せても、油断するとバンパーに細かいゴミがついたりして不良品になるの。父さんは研究熱心だったから、入社して二、三年もすると塗装工程の中で一番腕の良い職工だって言われるようになったの。二十八歳の時には、チームリーダーになって、部下を何人も持つようになってた。でも、ある日事故が起きたの・・・」
って言って、母さんは一旦言葉を切った。
「事故が起きた日、父さんは手作業で塗装す
る工程に入ってたの。ホースの様な長い棒を
持って、バンパーに塗料を吹き付ける仕事。
ツナギみたいな青い防塵服と防塵マスク、防塵帽子を着けてね。車の塗装って今はほとんどロボットがやるんだけど、どうしても人間の手で色を補正しなきゃいけない部分もあるの。だからその工程には腕の良い職工さんが入るの。父さんはリーダーだったから、普段はバンパー塗装工程全体を管理してたの。でも若手の指導も兼ねて、時々その工程に入ってたのね。でもその日は、運の悪いことに、機械の誤作動が起きて、有毒ガスが作業室内に流れ込んで来てしまったの・・・」
母さんは目を閉じて、しばらく黙ってた。
「外部から密閉された作業室では、父さんを含めて四人が作業してた。最初に空気ダクトに近い所で作業してた二人がバタバタ倒れたんですって。異常に気づいた父さんは、後ろにいた青木さんっていう職工さんに『青木、ガス漏れだ、早く逃げろ!』って叫んだそうよ。でも、その時にはもう遅かったの。父さんも青木さんも既にに有毒ガスを吸ってしまってたの。青木さんは意識が無くなる寸前、父さんがフラフラになりながら非常ボタンの方に歩いて行くのを見たそうよ。その後、救助の人達が駆けつけて、父さん達四人は病院に運ばれたの。だけど助かったのは、出口の一番近くにいた青木さんだけだった」
ここまで話すと、母さんはハンカチを取り出して泣き出したんだ。
僕も一緒に泣き出した。
僕は声を上げて泣いたんだ。
体が震えて止まらなかった。
母さんが僕を強く抱きしめて、
背中をさすってくれた。
「翔太、思い切り泣きなさい」
って、母さんが言ってくれた。
だから僕は大声を上げて、
思い切りワーワー泣いたんだ。
◇◇
しばらくして僕が落ち着くと、母さんがまた話し始めた。
「救助の人達が駆けつけた時、父さんは非常ボタンの近くに倒れてたそうよ。非常ボタンは父さんが最初にガスを吸った場所から、五メートル離れた所にあったの。普通の人が有毒ガスを吸ったら、一メートルも歩けないんですって。父さんは最後まで立派な人だったのよ。もし父さんが非常ボタンを押さなかったら、火災が発生して、もっと大惨事になってたらしいわ」
母さんがまた泣きながら、声を絞り出すようにして話してくれたんだ。
僕はずっと泣きながら、母さんの話しを聞いてた。後から後から、涙が流れて来て止まらなかった。
僕達は抱き合って、結構長い間、一緒に泣いてた。
しばらくして、母さんがこう言ったんだ。
「短い結婚生活だったけど、母さん幸せだったわ。あなたも生まれて来てくれたしね。父さんは子供のように純粋で、心の優しい人だった。そして何よりも芯が強かったの。きっと野球で鍛えたせいね。どんなに辛くても、一度も弱音を吐いたことがないの。野球を止めた時なんて、本当に辛かったと思うけど、いつもプラス思考でニコニコ笑ってるのよ。あんなに心の強い人はいないわ。『野球はダメになったけど、俺はこれから仕事を一生懸命頑張って、将来は社長になってみせるからな!』って、よく言ってたわ」
母さんはハンカチで涙を拭い、僕を見て笑ったんだ。
◇◇
「父さんのお葬式はね、亡くなった三人合同の葬儀だったの。とても大きくて立派な斎場だったわ。社長さんまで来てくれて弔辞を読み上げたのよ。出棺の時、あなたは父さんの棺から離れようとしなかった。さっきみたいにあなたは大声でワーワー泣いてたわ。あまりにも激しく泣くものだから、母さんも周りの人達もだんだん心配になってきたの」
って、お葬式での僕の様子を、母さんが話し始めたんだ。
「大好きだった父さんが亡くなったショック
があまりにも強すぎたのね。棺から引き離そ
うとしても、あなたは頑として、父さんの棺
から離れようとしなかった。『父さん、早く
起きて!』って、あなたは何度も父さんに呼
びかけてたわ。あなたは父さんがただ眠って
いるだけだと思い込んでたのね。周りの人た
ちもそれを見て泣いてたわ」
僕はその時、徐々に記憶が戻って来てて、
断片的にだけど、当時の光景が頭に浮か
ぶようになって来てた。
母さんの話を聞きながら、フラッシュバックみたいに映像が脳裏に閃くんだ。
「私が強くたしなめてもダメだった。仕方な
く父さんの部下だった男の人達が力ずくであ
なたを棺から引き離し、控え室に抱えて連れて行ったの。あなたは手足をバタバタ動かし
て暴れてたわ。あなたは小さいのにとても力
が強くて、男の人達も手を焼いてた」
って言って、母さんは当時を思い出すように遠くを見つめたんだ。
「あなたは控え室で男の人達から降ろされると、また素早く扉の方まで駆け出して行って斎場に戻ろうとするの。男の人達が必死になって捕まえたけど、あなたがあまりにも大声で激しく泣くものだから、みんな困り果ててしまったの。一体、こんな小さな体のどこから、こんな凄いエネルギーが出て来るんだろうって、母さん不思議に思ったわ」
って言って、母さんはフーッっとため息をついたんだ。
「あなたは狂乱状態だった。このまま泣き続
けると、あなたが死んでしまうんじゃないか
って母さん本気で心配したわ。それで周りの
人達も病院に連れて行って鎮静剤を打っても
らった方が良いって言い出したのよ。だから
私達、そのまま父さんの会社の人の車に乗せ
てもらってあなたを病院に連れて行ったの。
あなたは車の中でもずっと激しく泣いてた。
病院に着いて、鎮静剤を注射してもらうと、
やっとあなたは泣き止んで眠ったの。だから
母さんとあなたは父さんの出棺や火葬には、
立ち会ってないの」
母さんは目に涙を浮かべながら言ったんだ。




