退院と花火と耀との約束
僕はその一週間後に退院したんだ。
母さんは僕が目を覚ました翌日、
家に帰った。
ずっと僕に付きっ切りだったからね。
その後は、看護師さん達が交代で僕を看てくれた。
僕の風邪は寝てる間にほとんど治ってた。
でも、体中に蕁麻疹が出てストレス性の熱がしばらく続いたんだ。
上がったり下がったり、平熱に戻るのに一週間くらいかかった。
蕁麻疹は痒くて痛くて、とても辛かったけど
一週間経つとスーッと引いて行った。
父さんの夢を見て、泣きながら目が覚めた
ことも何度かあった。
たけど、僕もだんだん慣れて来て、
夢を見ながら、
[ああ、これは夢だな]
って、夢の中で考えることが出来るように
なったんだ。
一週間くらい経つと、父さんの夢もあまり
見なくなった。
精神科の先生にも診てもらったよ。
黒縁の眼鏡をかけた年配の先生だったけど、何となく見覚えがあった。
先生は、僕が野球を始めたのが父さんの
記憶を取り戻すキッカケになったんだろ
うって言ってた。
先生は僕にいろんな質問をしたんだ。
気分はいいかとか、体はだるくないかとか、食欲はあるかとか、楽しいかとかね。
先生は僕が父さんのことを思い出した後、
どんな気持ちになったのか知りたいみた
いだった。
退院後も半年くらいは毎週通院してたんだ。今はもう病院には行かなくなったけどね。
鬱の症状も軽かったし自傷行為もないから、先生はもう大丈夫だろうって言ってた。
◇◇
退院する前の晩は市の花火大会で、
僕と母さんは病院の屋上に出て花火
を見てたんだ。
「ドン! ドン!」
って大きな音がして、
花火が直ぐ近くに見えた。
屋上には人がたくさんいて、僕と母さんは
ベンチに腰かけて花火を見てた。
母さんは先に帰ったけど、僕はしばらく一人で花火を見てたんだ。
そしたらね、母さんと入れ違いに、
耀がお見舞いに来てくれたんだ。
「ヤホ! 翔太、元気そうだね」
って、耀は後ろから僕の肩を叩いて、
明るく声をかけてくれたんだ。
僕が驚いて振り向くと、
耀が笑いながら立ってた。
耀はその日、白地に紺の花柄の浴衣を着て、赤い帯を締めてた。
僕は久しぶりに耀に会ったんで、凄く照れ臭かった。
しかもパジャマ姿だし、入院してるし。
出来れば耀には、退院後に何事も無かったように会いたかったんだ。
「あっ、耀、今晩は」
って僕が言うと、耀は僕の横にドカンと座ってこう言ったんだ。
「もう! 久しぶりに会ったのに、『今晩は』
って何? もう少し嬉しそうな顔してよ」
「ごめん、 突然だったから、 ビックリし
ちゃって、来てくれてありがとう」
◇◇
僕達は花火を見ながら話をした。
僕の体の具合とか合宿の話、父さんの記憶を取り戻したこととか、色々ね。
耀も、僕が入院してる間に合宿に行って、
超楽しかったって言ってた。
耀達は肝試しをしたり、キャンプファイアでマシュマロを焼いて食べたりしたんだって。
僕も焼いたマシュマロが食べたくなった。
僕も、サイクリングで湖を一周したり、キャンプファイアでみんなで歌を歌った話をしたんだ。
監督が貴史君の脚にしがみついた話をしたら
耀も大ウケしてた。
◇◇
話題が途切れて、二人でしばらく、
ボーッと花火を見てたんだ。
花火はスローモーションで大きな花が咲くみたいで、とても綺麗だった。
何となく耀の横顔を見ると、耀の瞳にも花火が映ってて、神秘的な感じがした。
そしたら耀が振り向いて、こう言ったんだ。
「私、保育園の時、翔太の父さんが亡くなっ
たのは知ってたの。だけど翔太が、『僕の父
さんは外国にいるよ』って言うから、ずっと
話を合わせてたの。私、翔太が悲しむといけ
ないと思ったんだ」
「そうだったんだ・・・これまで気を使わせてごめんね」
「ううん、そんなこといいの。それより私、
これからの翔太の事が心配だよ。ねえ翔太、
実際どうなの? 父さんが亡くなったこと思い
出して。今凄く悲しくてショックだよね?」
「まだ漠然としてる。最初思い出した時は物凄くショックで、悲しかった。母さんと二人でワーワー泣いたんだ。だけど今はだんだん落ち着いてきた。先生からも言われたんだけど、最近はなるべく良い面を考えるようにしてる。今までは父さんの記憶が曖昧で、いつも不安な気持ちで暮らしてたんだ。でも事実がハッキリして、いつも感じてた不安がだんだん無くなってきた。父さんが浮気とかして僕と母さんを捨てた訳じゃないって分かったのはとても良かった。僕ね、なぜかずっと、父さんは他に好きな女の人が出来て、家を出て行ったって思ってたんだ。だけど実際は父さんが立派な人だったことが分かって、てとも嬉しかった。プロに入れるくらい野球が上手かったことも分かったし。それに僕に最初に野球を教えてくれたのは、父さんだったことも思い出したんだ」
「そう、翔太は今、そういう気持ちなんだ。
良かった、私、少し安心したわ」
「だけど時々、どうしようもなく悲しい気持
ちになる事があるんだ。そういう時は気分が
落ち込んじゃって、自分でもどうすることも
出来ないんだ」
って僕が言うと、
「翔太、それは私も分かるよ」
って言って、耀は僕の目をじっと見つめた。
そして、自分の父さんの話を始めたんだ。
「私の父さん、私が生まれて直ぐ、交通事故
で亡くなったでしょ。だから、私には父さん
の記憶が全然無いの。父さんの顔は写真で見
て知ってるだけ。だから私、父親がいる家庭
がどんなものか全く分からないの。私の父さ
んってね、母さんと同じで、音楽が大好きだ
ったんだって。音大の管弦楽団で母さんと知り合ったの。父さんも、小さい頃からバイオリンを習ってたの。だけど父さんは、母さんの才能に惚込んでね、バイオリンは諦めたんですって。父さんは音大を出ると、楽器メーカーに就職して、母さんの音楽活動を支える道を選んだの」
耀は暫く言葉を切って、花火を見上げてた。
「二人は音大を出て、二年後に結婚したの。
でも私が生まれて来たのは、二人が三十七歳
の時だった。子供はもう出来ないだろうって
諦めてた父さんは私の誕生を凄く喜んだの。
私の耀っていう名前も、父さんが付けてくれたのよ。だけど私が生まれて半年後に父さんは亡くなったの。高速道路で玉突き事故に巻き込まれて全身を強く打って死んだの。地方に演奏に行った母さんを迎えに行く途中だったの」
ここまで話すと、耀はしばらく俯いてた。
涙は見せなかったけど、少し泣いてるように見えた。僕は何て声をかけて良いのか分からなかった。
僕が黙ってると、耀が顔を上げて、
また話し始めたんだ。
「私も時々、どうしようもなく悲しくなる事
があるの。普段は明るく振る舞ってるけど、
実は私、父さんのことを思って、自分の部屋
で一人で泣く時があるの。こんなこと、人に
話すの初めて」
耀は僕の顔を見て、少し笑ったんだ。
「母さんはね、『父親がいないから、あの娘はダメなんだとか、絶対に言われないようにしなさい』って、私によく言うの。『父親がいない分、人の二倍、三倍努力しなさい』って。だから私は、誰からも後ろ指をさされないように、今日まで一生懸命に生きてきたつもりよ。だけど世の中って、両親健在なのが当たり前でしょ? 私の家の事情を知らない人は、友達や先生だって、みんな私に父親がいると思って話しかけてくるの。でも、私に父親がいないって分かると、気まずそうな顔をするわ。だから私は友達が家族の話をしてる時、いつも肩身の狭い思いをしてきたの。翔太だって経験あるでしょ? でも、さっきも言ったように、私には父親がいる家庭がどんなものか全く分からないから、適当に話を合わせることも出来ないの。この先、普通の家庭がどんなものかも知らずに、大人になって社会に出て、まともに生きて行けるのか、とても不安になる時があるわ」
って言って、耀は一息ついたんだ。
僕も友達と父さんの話題になって、困ったことはこれまでに何度もあったけど、耀がそんな風に筋道を立てて、きちんと考えていたなんて知らなかった。
しかも、大人になった時のことまで考えてるなんて。
[耀って、やっぱり凄い]
って、僕は改めて思ったんだ。
そして、今日まで何も考えず、母さんに甘えて生きて来た自分が恥ずかしくなった。
その上、耀には父さんとの思い出が全く無い
んだ。父さんに抱きしめてもらった記憶も、
父さんと遊んだ記憶もね。
耀にくらべたら、僕の方がまだ恵まれてるん
じゃないかって思ったら、耀に対して物凄く
申し訳ない気持ちになった。
それで僕は、ずっと下を見て俯いてたんだ。
「ごめんね、翔太が大変な時に、私、こんな話しちゃって」
「ううん、そんなこと無いよ。僕、耀の話し
が聞けて良かった。耀は凄く真剣にいろんな
こと考えてるんだね、とても勉強になるよ。
もっといろいろと耀の話が聞きたいよ」
「本当? 良かった」
って言って、耀がニッコリ笑った。
「私ね、色々と考えてみたけど、父さんがいない寂しさや悲しさ、悔しさやこの喪失感は一生死ぬまで消えないと思うの。何度も吹っ切ろうとしたけど、全然ダメだった。だから今は、一生この心の痛みと付き合って行くしか無いと思ってるの。私ね、ある時こう思うことにしたの。これは神様が私に与えてくれた人生の課題なんだって。父親がいなくても自分の人生をしっかり生きて行くことが出来るのか、私は神様から試されてるんだって。私ね、自分の人生をまっとうして天国に帰った時、父さんから『耀、良く頑張ったな!』って言ってもらうのが夢なの。馬鹿な考えかも知れないけど、これが今の私の正直な気持ちなの」
って、耀は僕の目を見て言ったんだ。
「耀って凄いね。父さんの死を受け入れて、
そこまで前向きに自分の人生に取り組んでる
なんて。僕なんかまだ完全には、父さんの死
を受け入れられてないよ」
って僕が言うと、耀は僕の手を握ってこう言ったんだ。
「大丈夫よ、翔太、慣れれば出来るようにな
るよ、自信を持って! 翔太はつい最近まで
父さんがどこかで生きてるって思ってたんだ
から、無理もないよ」
「うん・・・僕、頑張ってみるよ」
「でも、一つだけ私に約束してほしいの」
って、耀が僕の手を握ったまま言ったんだ。
「何?」
って僕が聞くと、耀はしっかりと僕の目を見つめてこう言った。
「父さんの死を知って、翔太はこれから何度も苦しむと思うの。時には死にたいと思うくらい気持ちが落ち込む事もあると思う。でも絶対に自分を責めたり、運命を呪って、自暴自棄になったり、自分を傷つけたりしないで欲しいの。翔太の周りには、母さんや私や、野球の仲間達や、いろんな人達がいて、あなたを支えてるんだって事を絶対に忘れないで欲しいの。何か困った事があったら、必ず私に言ってね、分かった?」
って。
耀の温かい気持ちが伝わってきて、
凄く嬉しかった。
そしたら僕の目から突然、
涙が溢れ出して来たんだ。
涙声になっちゃったけど、僕は耀の手を
両手で強く握りしめて、
「うん、分かったよ。ありがとう」
って、言ったんだ。




