↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
2/3

②リッド

 外へ出ると、昼の往来が一段と騒がしくなっていた。

荷車の車輪が石畳を鳴らし、露店の呼び込みが通りを飛び交う。アルバートは人波を避けながら歩き出す。


 向かう先は市場の裏手、《跳ね猫横丁》。

 あいつなら、この時間はたぶんあの辺にいる。少なくとも、表通りを探すよりは早い。

 名前だけなら随分と愛嬌がある。実際には、ルーデンでも指折りに柄の悪い一角だった。


 《跳ね猫横丁》は、市場の裏手に細く伸びた路地の通称だった。

 表通りから一本入り込んだだけで、町の顔つきはずいぶん変わる。道幅は狭く、左右の建物は互いにもたれかかるように迫っていた。

 二階から張り出した物干し台や看板が空を切り取り、真昼だというのに、路地の奥には薄暗い場所が多い。

 安宿、古道具屋、質屋、賭場、娼館・・・。表通りでは大っぴらに扱いにくい品を並べた露店もある。人通りは決して少なくない。

 ただ、旅人が物見遊山で足を踏み入れるような場所ではなかった。


 アルバートはそんな路地を、慣れた足取りで奥へ進んでいった。

 途中、壁際に座り込んでいた男がこちらを一瞥した。目はまず顔に向き、それから肩の槍へ落ちる。それだけで興味をなくしたように、男は視線を逸らした。


 少し先では、店先の果物を巡って商人と子供が言い争っている。その横を、猫獣人の女がするりと抜けていった。この界隈では、獣人の姿も珍しくない。むしろ、表通りよりずっと多い。


 アルバートは歩きながら、何気ないふうを装って周囲へ目を配った。

 いない。いや。見つからない、という方が正しい。

 あいつは昔からそうだった。探そうとすれば、なかなか見つからない。放っておけば、いつの間にか近くにいる。


「……さて」


 どこから当たるか、そう考えたところで。


「後ろ」


 背後から声が落ちた。独特のイントネーション。アルバートは足を止めて振り返る。

 さっきまで誰もいなかったはずの場所で、古びた樽の上に一人の少女が腰掛けていた。

 灰がかった茶色の髪は、今は耳にかかるくらいまで伸びているが、初めて会った頃はもっと短かった。その間から覗く、同じ色の猫耳。小柄な身体に、動きやすさだけを優先したような簡素な服を着て、腰には短剣が二本。細い尻尾が、樽の脇で気まぐれそうに揺れている。


 リッド。本名は・・リディアだったか。十四歳の猫獣人で、知り合ってから、もう二年になる。


「お前ね。何度も言ってるだろ。急に後ろから声かけるのやめろって」


 アルバートが言うと、リッドは少しだけ目を細めた。


「油断してるんちゃう?こんなに簡単に後ろ取られて、大丈夫なん」


 猫獣人の多く暮らす地方では珍しくない話し方で、アルバートにとっては、もうすっかり聞き慣れたものだった。


「お前以外にゃ、簡単に取らせねえよ」

「ふーん」


 まんざらでもない顔で言う。


「なんか用」

「ああ」


 リッドは樽から軽く飛び降りた。着地の音はほとんどしなかった。昔から、こういう身のこなしは板についている。

 二年前、初めて会った時もそうだった。


 あの頃のリッドは、もっとひどい格好をしていた。煤と泥にまみれた顔に、短く、乱雑に切られた髪。丈の合わない上着と擦り切れた靴を身につけ、身体も痩せていた。ぱっと見では、性別すらよく分からないような子供だった。

 実際、アルバートもしばらくの間、疑いもせず少年だと思っていた。


 今は、少なくともそうではない。服は質素だが、身体に合っている。髪も少し伸び、きちんと整えられていて、毎日の食事にも、以前ほど困ってはいない。

 もっとも、生活の仕方がどこまで真っ当になったかと聞かれれば、アルバートは首を傾げるしかない。


 リッドはアルバートの前まで来ると、顔より先に槍を見た。それから腰元へ視線を落とし、最後に顔を上げる。


「仕事?」

「よく分かったな」

「ていうかアル、仕事以外でうちに会いにくることないやん」


 つまらなさそうに横を向くリッド。

 そうだった。最近コイツはちょっと面倒なんだった。アルバートは少し気が滅入る。


「仕事って何」


 リッドはしつこく食い下がる気はないらしい。


「街道の襲撃者探し」


 アルバートが言ったその一言で、猫耳がぴくりと動いた。

「何人?」

「七から十」


 今度は、目つきが変わった。さっきまでの気の抜けた顔が消える。


「多いな」

「ああ」

「場所は?」

「北西街道の周辺。根城はまだ分かってない」

「せやから、うち?」


 アルバートは少し笑った。


「だからお前だ」


 ほんの一瞬、リッドの表情が緩んだ。喜んだ、と言っていいのかもしれない。だが、それはすぐに消える。


「……ふーん」


 わざと興味がなさそうに横を向く。そのくせ、尻尾の先だけがさっきより少し速く揺れていた。アルバートは気づいたが、何も言わなかった。


「別にええけど」

「そうか」

「で?」

「何だ」

「いくら?」


 そこでアルバートは、ようやく少し笑った。仕事の話になると早い。二年前から何も変わっていない。


「先に条件聞かねえのか」

「聞いてるやん」

「金だけだろ」

「大事やろ」


 否定はできない。


 アルバートは懐から依頼書を取り出し、リッドへ見せた。


「最低七人。多くて十人前後。名前も素性も分かってない。元兵士か傭兵崩れが混じってるかもしれないって話だ」


 リッドは紙を覗き込み、上から下まで目を走らせる。


「戦うん?」

「俺がな」

「うちは?」

「探す」


 アルバートはそう言って、指を折った。


「根城。人数。素性。出入り。見張りの位置。逃げ道」

「聞き込みは?」

「必要なら」

「潜るんは?」

「状況次第だな」


 リッドはもう一度依頼書を見る。


「やること多いやん」

「だから呼んだ」


 その言葉に、リッドは何も返さなかった。ただ、紙を見るふりをしながら、ほんの少しだけ口元を緩める。やがて視線が報酬欄で止まった。


「五百」

「ああ」

「で」


 顔を上げる。


「うちは、いくら?」


 アルバートは少し間を置いた。

 これはリッドが受けるならと最初から決めていた額だ。さて、同反応するか。


「百」


 その瞬間、リッドの耳が止まった。尻尾まで止まる。


「……は?銅貨100って、子供の小遣いやないで」


 そう来たか。アルバートはいくつかしていた予想とは違う答えに内心ほくそ笑んだ。


「バカ、銀だよ」


 間が空く。


「銀百?」

「ああ」


 今度は、じっと見られた。値段を聞いて喜ぶより先に、疑うところがこいつらしい。


「……アル、しょうもない」

「は?」

「銀百やで。うち一人に。そんなボケいらんねん」

「ボケ?」


 時々こいつの訛りはわからない。アルバートは聞き返した。


「冗談ってことや」

「いや、冗談じゃねえよ」


 そこでようやく


「え?本気なん」


 呆然と、リッドが答えた。


 ようやく予想していた反応になりつつあると思いながら、アルバートは依頼書を畳む。


「下調べをしくじったら、俺が死ぬ」


 リッドは黙った。


「だから百」

「……うちがやるん、情報集めだけやろ?」

「だけ、じゃねえよ」


 アルバートはリッドを見る。


「そこが一番大事だ」


 一瞬だけ、猫耳が動いた。


「……危ない仕事なん?」

「俺にとってはな」

「うちは?」

「危なくするな」


 間を置かずに言う。するとリッドは、わずかに目を細めた。


「またそれ」

「なんだよ」

「別に」


 それだけ言って横を向く。けれど、止まっていた尻尾は、いつの間にかまた揺れていた。今度は、ゆっくりと。


「百なら、ちゃんと働く」

「いつもちゃんと働け」

「働いてるやん」

「スリは仕事に入らん」


 リッドの耳がわずかに伏せた。


「最近はしてないし」

「最近まではしてたってことだろ」


 小さく鼻を鳴らす。けれど、それで話は決まったらしい。さっきまでどこか緩んでいたリッドの目が、すっと細くなった。


「北西街道の連中やったな」

「ああ」


 アルバートは少し眉を上げた。


「知ってるのか」

「噂くらいは。最近、あっちの商隊が何回かやられてるんは聞いてる」

「それだけ?」

「今はな」


 言いながら、リッドは何かを思い出したように視線を逸らした。


「でも、ちょっと変やねん」

「何が」

「盗賊なら、普通は楽な相手狙うやろ?」

「ああ」

「護衛の少ない商隊とか、足の遅い荷馬車とか」


 そこで指を一本立てる。


「でも、最近やられたん、どれも護衛ついてたはずや」


 マルタから聞いた話と一致する。アルバートは黙って続きを待った。


「それとな」


 今度は二本目の指。


「盗られた荷も、なんか変やったって聞いた」

「どう変なんだ」

「そこまでは知らん」


 あっさり言う。


「まだ噂だけ」

「なら、何が変なんだよ」

「せやから、それを調べるんやろ」


 もっともなことを言われた。

 リッドはもう頭の中で、どこをどう回るか考え始めているらしい。


「どれくらいかかる」


 アルバートが聞く。

 リッドは少し考えた。


「明日の夕方までちょうだい」

「丸一日以上か」

「三件あるんやろ」


 リッドは指折り数える。


「まずルーデンで、商隊の関係者に当たる。生き残った人がおったら話聞く。何盗られたんかも調べる」

「それだけなら今日中でもいけるか」

「せやけど、襲われた場所まで見に行くなら無理」


 その言葉に、アルバートは頷いた。

 最後の襲撃地点だけでも、ルーデンから徒歩で半日ほどかかる。それが三か所あり、しかも一つ一つが離れている。


「現場まで見るのか」

「見た方がええやろ」


 当然という顔で言う。


「足跡残ってるかもしれへんし、街道沿いの宿とか村で、見た人おるかもしれん」


 少し間を置く。


「連中がどこでご飯食べて、どこで寝てるかまで分かったら一番ええけど」

「そこまで掴めるか?」

「分からんかったら、分からんって言う」


 即答だった。妙な見栄を張らない。そこが信用できる。


「それと」


 リッドは少し目を細めた。


「盗ったもんを誰かに流してるなら、そっちも見たい」


 アルバートは思わず口元を緩めた。

 十四歳。普段は路地裏をうろついて、金がなければろくでもない方法で小銭を稼いでいる。だが、こういう仕事になると話は別だった。

 何を調べるべきか、どこから手を付けるべきか。教えなくても、自分で組み立てる。

 百枚。報酬の五分の一だ。安くはない。それでも、払う価値はあると思えた。


「分かった。明日の夕方だな」

「早かったら昼には戻るかもしれへんけど」

「無理すんな」

「してへん」


 そう言って、リッドは踵を返しかける。そこでアルバートは、ふと思った。


「……お前、足は?」


 リッドが振り返る。


「ついてるけど」

「現場まで歩いて行く気か」


 相手にせずに続けるアルバート。


「馬借りるけど」

「乗れるのか」


リッドの耳がぴくりと動いた。


「乗れるわ」


 少しむっとした顔をする。


「そこまで子供ちゃうし」


 ミヤ族・・リッドのような猫獣人は、人間よりやや早く身体つきが大人びる者も多い。十三、四にもなれば、遠目には成人と見分けのつかない者もいる。

 ただし、リッドには、その恩恵はほとんどなかった。小柄で、童顔。どう見ても十四歳だった。


「馬借りる金、あんのか」


 沈黙。ほんの一瞬だったが、十分だった。

 アルバートは目を細める。


「……あるし」

「今の間はなんだ」

「あるって」

「いくらだ」


 リッドが視線を逸らす。


「……ちょっと足らんだけ」

「足りねえんじゃねえか」

「ミヤやから十四でも――」

「お前はどう見ても十四だ」

「最後まで言わせてぇや」

「言っても結果は同じだろ」


 リッドは不満そうに耳を伏せた。


「帰ってきてから払う言うたら、貸してくれるかもしれへんやん」

「どこの馬屋がお前みたいなガキにツケで馬貸すんだよ」

「ガキちゃうし」

「はいはい」


 アルバートはため息をつく。それから腰袋を探り、小さな革袋を取り出して軽く放る。リッドが反射的に受け止めると、中で硬貨がじゃらりと鳴った。


「……何これ」

「前金二十」


 リッドが目を瞬く。


「残り八十は仕事が終わってからだ」

「ええの?」

「足代もなしで調査させるほど鬼じゃねえよ」


 リッドは革袋の重みを確かめるように、掌の上で一度だけ弾ませた。それから、ほんの少しだけ口元を緩める。


「ほな、ちゃんと百枚分働くわ」

「そうしろ」


 口元を緩めていただけのリッドが、露骨にニヤニヤする。


「なんだよ」

「この前金、随分用意がええなあ。まるで最初っからうちに渡す気やったみたいやなあ・・って」


 革袋を懐へしまう。


「言ってろ」

「・・・明日の夕方。いつもの店な」

「ああ」

「遅れんといてや」

「お前がな」


 リッドは鼻を鳴らし、そのまま人混みへ紛れていった。


 数歩、十歩。そこまでは見えていたが、次に人波が横切った時には、もうどこにいるのか分からなくなっていた。


 アルバートはしばらくその辺りを眺めていたが、やがて踵を返した。あれなら明日の夕方までには何か掴む。間違いなく、《黒鉄の秤》が銀貨五枚で売っていた情報より、遥かに役に立つものを持ってくるだろう。

 問題は、それまで自分が何をするかだ。少し考えて、そういえば朝から何も食べていないことに気がついた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。