①黒鉄の秤
交易都市ルーデンは、旅人の町だ。帝都から馬車で三日。東西南北へ延びる街道の結節点には、朝から晩まで荷馬車が行き交い、商人も、巡礼者も、傭兵も、行商人も、それぞれの目的を抱えて流れ込んでくる。そして、そういう場所には決まって、金になる揉め事も集まる。
昼を少し回ったころ、アルバートは大通りから一本外れた石造りの建物の前で足を止めた。
二階建ての、年季の入った扉の上には、剣と天秤を組み合わせた鉄製の紋章が掲げられている。賞金稼ぎギルド《黒鉄の秤》ルーデン支部。見慣れた場所だった。
アルバートは肩に担いでいた槍を持ち直すと、扉を押し開けた。
中はそれなりに混み合っていた。正面には、腰の高さほどの木製カウンターが横長に伸びている。数人の職員がその向こうで書類を捌き、依頼を持ち込んだ商人から事情を聞く者もいれば、仕事を終えた賞金稼ぎの報告を書き留めている者もいた。
入口に近い壁には、大きな掲示板がいくつも掛けられている。街道護衛、逃亡者の捜索、盗品の奪還、獣害の調査。
その中には、役所や州警から回されてきたらしい賞金首の手配書も混じっていた。書式も紙質もばらばらだが、それぞれの隅には《黒鉄の秤》が受理したことを示す印が押されている。
掲示板の前では、何人もの賞金稼ぎが依頼書を見比べていた。報酬だけを見て紙を剥がす者はいない。
目的地までの日数、相手の人数、生死の指定、必要になりそうな食料と宿代。そして、自分の腕で本当に片づけられる仕事か。そのあたりを読み違えれば、赤字で済めばまだましだった。
部屋の一角には長椅子がいくつか置かれ、受付の順番を待つ者や、仲間と仕事の相談をしている者がいる。奥には二階へ続く階段があり、その先は職員用の執務室や資料庫になっていたはずだ。
壁際には武器立てもある。ただし、そこへ武器を預ける者は少ない。ここに来る人間の大半は、それを商売道具にしている。
片目に古い傷のある大男。窓際では小柄な女が弩を分解して弦の具合を確かめ、その向こうでは革鎧姿の若い二人組が、一枚の依頼書を前に何やら言い争っている。壁際では獣人の男が椅子に腰掛け、手元の依頼書をじっと読み込んでいた。
アルバートが中へ入ると、何人かがちらりとこちらを見た。目が合った一人には軽く顎を上げて返す。
長いことこの稼業で食っている。名の知れた大物というほどではないが、この辺りで仕事をしている連中なら、顔くらいは知っている者も多い。もっとも、それは向こうも同じだった。
アルバートはそのまま受付へ向かった。カウンターの向こうで書類を整理していた女が、足音に気づいて顔を上げる。栗色の髪を後ろでまとめた、三十代半ばほどの女だ。
「……あら」
アルバートの顔を見るなり、片方の眉が上がった。マルタ。《黒鉄の秤》の受付を長く務めている職員で、アルバートもこれまで何度となく仕事を仲介してもらっている。
「久しぶりね、アルバート」
手元の書類を置き、マルタは言った。
「死んでなかったの」
「残念だったな」
「別に残念とは言ってないわよ」
口ではそう返しながらも、ほんのわずかに表情が緩む。
アルバートはカウンターに肘をついた。
「なんかあるか」
「仕事?」
「それ以外でここに来ると思うか?」
「たまには顔くらい見せに来てもいいんじゃない?」
「用もないのに?」
「……そう言われると、あんたが来る理由はないわね」
「だろ」
マルタは小さく笑った。それから机の脇に積まれていた書類を何枚かめくり、その中から二枚を抜き出す。
「ちょうどいいところに来たわ」
ぱさり、と。二枚の依頼書が、アルバートの前に並べられた。
「今、あんた向きならこの辺かな」
アルバートは一枚目を手に取った。
北西街道周辺で商隊を襲う武装集団の討伐。街道を行く商隊を繰り返し襲っており、確認されている人数は七人から十人。一味の生死は問わない。身元は不明。報酬、銀貨五百枚。
「ずいぶん景気よく暴れてるな」
「ここ半月で三件。今のところ死人は二人。怪我人はもっと多いわ」
「五百か。悪くねえな」
「一味の討伐でね。捕まえてもいい。全員を片づけたと確認できれば支払われるわ」
アルバートは依頼書にもう一度目を落とした。人数を考えれば楽な仕事ではない。だが内容は分かりやすい。襲撃者を見つけて、潰す。賞金稼ぎの仕事としては、ごく普通の部類だった。
「もう一枚は?」
「こっち」
マルタが二枚目を指で押し出した。アルバートは受け取る。そして、報酬欄を見たところで眉を上げた。
「……八百?」
「そう」
逃亡している魔術師の捕縛。帝立魔術院、元所属。罪状は研究資料の窃盗。生け捕り限定。報酬、銀貨八百枚。気絶させて即時魔術院に通報すること。その間に本人が何を言っても聞く耳を持たないこと。
依頼書には人相書きもある。女だった。名前はセディア。年齢は二十三歳。美人だった。
アルバートは一度、商隊襲撃の依頼書と見比べた。
「この女一人で、武装集団より三百枚上か」
「そういうことになるわね」
「そんなに凄腕なのか?」
「それが、よく分からないのよ」
マルタは少し首を傾けた。
「魔術院にいた以上、魔術が使えないなんてことはないでしょうけど、戦闘専門だったって話は来てない。依頼書にもそこまでは書かれてないわ」
「じゃあ、この金額は何だ」
「さあ」
マルタは肩をすくめた。
「ただ、生け捕り限定。それも魔術院がこの額を出してる」
アルバートは黙って依頼書を見る。
資料の窃盗。生け捕り。高額報酬。
殺して終わりでは困る理由がある。盗まれたものの在処を吐かせたいのか。ほかに、本人から聞き出さなければならないことがあるのか。少なくとも、依頼書からそこまでは分からない。
「詳しい話は?」
「それ以上は来てないわ」
「生け捕りにしたら気絶させてすぐ通報しろか。しかも話を聞くなときている。盗まれた資料ってのはそんなに極秘なのかね」
「そうなんでしょうね。大方、自分たちだけで探していたけど、どうにもならなくてやむなくうちに依頼してきたってところじゃないかしら」
アルバートは鼻を鳴らした。
なるほど。マルタの読みは当たりだろう。だとしたら、この逃げている女は相当優秀だ。
その時だった。
「おい、マルタ」
背後から野太い声が飛んできた。
「あの魔術師の依頼、俺に回せ」
振り返ると、先ほど目に入った、片目に古傷のある大男だった。立ち上がると、なおさら大きい。二メートル近い背丈に厚い胸板。背中には、大ぶりの剣を背負っている。
マルタが露骨に嫌そうな顔をした。
「バルガス。人が見てる最中でしょ」
「見てるだけだろ」
男――バルガスがアルバートを見る。
「兄ちゃん。それ、俺が狙ってる。別の仕事にしな」
笑ってはいる。だが、冗談を言っている顔ではない。
アルバートは依頼書を持ったまま、大男を眺めた。
「バルガスさんとやら」
「あ?」
「魔術師相手は得意で?」
バルガスが少し眉を寄せた。
「何だ、急に」
「一人捕まえて八百枚だ。しかも生け捕り。俺なら、得意でもない相手に手を出す気はしない」
「……なるほどな」
バルガスは鼻を鳴らした。
「魔術師相手なら何度かある」
「捕まえたことも?」
「ああ」
バルガスが短く答える。
「詠唱する前に詰める。逃げ道を潰す。結界を張られたら割る。それでも抵抗するなら、動けなくする」
「随分力任せね」
マルタが横から言った。
「捕まえりゃいいんだろ」
「殺さずにね」
「ああ」
その返事だけは、妙に迷いがなかった。マルタもそれに気づいたらしい。
「珍しいわね」
「何がだ」
「あんたが生け捕り条件をそんなに素直に飲むなんて」
バルガスは一瞬だけ黙った。それから、呆れたように笑う。
「八百枚だぞ。条件を無視してふいにするほど馬鹿じゃねえ」
「それもそうね」
アルバートは依頼書からバルガスへ視線を移した。こいつは、ずいぶんこの仕事を欲しがっている。
銀貨八百枚。欲しがる理由としては十分だ。
目の前の大男が、捕縛というより、人探しに向いているとは思えないが。
「お宅、本当にこれでいいんすか」
バルガスがこちらを見る。
「何がだ」
「魔術院でも手を焼いているような相手だ」
「だから何だ」
「いや」
アルバートは肩をすくめた。
「別に」
そこまでして欲しいなら、譲ればいい。アルバートには、競り合ってまで取る理由がない。
「魔術師は得意じゃない」
依頼書をカウンターへ戻す。
「お宅がお得意なら、譲りますよ」
バルガスが少しだけ意外そうな顔をした。
「……へえ」
「俺は自分に不向きな八百より、向いてる五百の方を選ぶ」
「物分かりがいいじゃねえか」
バルガスが口の端を上げた。そのままカウンターへ寄る。
「じゃあ、こっちは俺が受ける」
マルタが依頼書を手元へ引き寄せた。
「手続きするわよ」
「ああ」
「本当に生け捕りだからね」
「分かってるって言ってるだろ」
バルガスは腰袋から登録証を取り出した。アルバートはその横顔を一度だけ見る。妙な男だとは思う。誰が見てもこの男に向いてない仕事に執心している。
だが、それだけだ。賞金稼ぎには、他人に言わない事情の一つや二つある。いちいち首を突っ込む義理はない。
何より、銀貨八百枚。
高い。
だが、アルバートの勘は別の値段を告げていた。
――たぶん、それでも安い。
「そうだな」
アルバートは商隊襲撃の依頼書を指で引き寄せた。
「俺は街道の連中を片づけるかな」
マルタが一瞬こちらを見る。それから、少しだけ口元を緩めた。
「その方が、あんたらしいかもね」
「そうだろう」
その隣で、バルガスが鼻を鳴らした。
「最初からそうしとけ」
アルバートは聞き流した。マルタが商隊襲撃の依頼書を開く。
「じゃあ、こっちの詳しい話をするわね」
マルタは商隊襲撃の依頼書を開き、机の下から折り畳まれた地図を取り出した。
ルーデンを中心に、街道と周辺の村々が描かれた簡易なものだ。そのうち北西へ伸びる街道の一点を、指先で叩く。
「最後に襲われた商隊はここ。ルーデンからなら、徒歩で半日ってところ」
街道の両側には森林地帯が広がり、その先には低い丘陵と岩場が続いている。
「ここ半月で三件って言ったな」
「ええ。ただし、襲撃場所は全部違う」
マルタは地図の上を指でなぞった。
最初は街道沿いの森。次はそこから数里離れた丘陵地で、三度目はさらに南。一定の根城から街道へ出ているにしては、行動範囲が広い。
「移動してるのか」
「その可能性もある。でも、今のところ根城は見つかってない」
「人数は七から十」
「確認できてる範囲でね」
マルタは別の紙を一枚抜いた。そこには襲撃を生き延びた者の証言が記されている。
「名前も素性も分かってない。ただ、戦い慣れしてるらしいわ」
「へえ」
アルバートは紙を受け取った。短い証言だったが、護衛との戦いぶりが書き留められている。
「剣を使う男がいたそうよ。腕もそこそこ立つらしいわ。元兵士か傭兵崩れが混じってるのかもしれない」
「ただの食い詰め者の集まりじゃないわけだ」
「そういうこと」
だから五百枚。数人で分けても、まとまった稼ぎにはなる。割のいい仕事かもしれない。だが、戦い慣れした連中がまとまって動いているなら話は別だ。
「それと、少し気になることがある」
マルタが言った。
「何だ」
「三件とも、護衛付きの商隊を狙ってるのよ」
アルバートが眉を寄せる。
「わざわざ?」
「そう」
普通なら逆だ。盗賊が狙うなら、護衛の薄い商隊を選ぶ。荷を奪うのが目的なら、危険は少ないに越したことはない。
「護衛を潰せる自信があるのか」
「かもしれない」
「それとも」
アルバートは地図へ目を落とした。
「護衛付きの商隊を狙う理由が、別にあるか」
マルタが軽く肩をすくめる。
「そこまでは分からない」
分からない。だが、こちらの仕事はそれを解き明かすことではない。襲撃者を見つける。捕まえるか、殺す。少なくとも依頼の上では、それだけだ。
「報酬は?」
「一味の討伐で五百。捕縛でもいい。全員を片づけたと確認できれば支払われるわ」
「期限」
「十日」
「他の奴も受けられる?」
「もちろん。専属依頼じゃないから、先に片づけた者勝ち」
それもいつものことだ。アルバートは少し考え、それから頷いた。
「ああ。受ける」
マルタが手を出す。
「登録証」
腰袋から取り出して渡す。マルタは番号を確認し、台帳へ何かを書き込んだ。続いて依頼書の隅へ《黒鉄の秤》の印を押す。乾いた音が一つ。
「北西街道の武装集団討伐。アルバート名義で受領」
写しの一枚が差し出された。アルバートは受け取り、ざっと内容を確認してから懐へしまう。ちょうど隣では、バルガスも手続きを終えたところだった。
「じゃあな、槍使い」
それだけ言うと、大男はさっさと出口へ向かっていった。足取りに迷いがない。まるで、これからどこを探せばいいのか分かっているような――。そこまで考えて、アルバートはやめた。
他人の仕事だ。
「で」
マルタの声に、アルバートは振り返る。
「もう少し詳しい情報もあるけど」
「詳しい?」
「最近襲われた商隊の生存者。襲撃場所のもっと細かい記録。それと、数日前に襲撃者らしい連中を見たっていう猟師の証言」
「ずいぶん揃ってるじゃねえか」
「ギルドを何だと思ってるのよ」
もっともだ。
「ただし、有料」
「おい」
「こっちだって情報集めるのに金がかかってるの」
マルタは指を三本立てかけ、少し考えてから五本にした。
「まとめて銀貨五枚」
高くはない。むしろ、この手の情報としては安い。だがアルバートは首を横に振った。
「いや、今はいい」
「あら」
「先に当たっておきたい奴がいる」
マルタが少しだけ首を傾げた。
「仲間?」
「いや」
アルバートは懐にしまった依頼書を軽く叩く。
「こういうのを探すのが得意な奴だ」
「情報屋?」
「まあ、似たようなもんだ」
正確には少し違う。情報を売ることを生業にしているわけではない。ただ、人の出入りを見て、噂を拾って、誰にも気づかれずに後をつける。そういうことに関しては、アルバートよりずっと上手い。
「じゃあ、その人に頼むの?」
「ああ。話がまとまらなきゃ、その時はこっちの情報を買いに戻る」
「毎度あり。できれば最初から買ってほしいけど」
「商売熱心だな」
「ギルド職員ですから」
マルタは平然と答えた。アルバートはカウンターから離れる。
「じゃあ行ってくる」
「死なないでね」
「さっきも似たようなこと言ってなかったか」
「生存確認は大事なの」
アルバートは背中越しに片手を上げ、《黒鉄の秤》を出る。




