第5話:修繕された靴と、戻りたくない場所
お読みいただきありがとうございます。
直った靴と、空っぽのお腹。
大人の女性が一番隠したい「隙」を、瀬尾がどう包み込んでいくのか。
二人の距離が、また一段階縮まるお話です。
「お待ちして、いた……?」
思わず、手にした紙袋を握りしめた。
三十八年も生きていれば、社交辞令の類は嫌というほど耳にしてきたはずだ。けれど、カウンター越しに私を見つめる彼の瞳には、そういった計算高さが微塵もなかった。
「はい。一ノ瀬さんは律儀な方だから、きっと今日、これをお返しに来るだろうと思って」
彼は私の手元——スリッパの入った袋に視線を落とし、それから優しく微笑んだ。
私は逃げるようにカウンターの端の席に座り、袋を机の上に置く。
「……お借りしました。手入れもせずにお返ししてしまって、ごめんなさい」
「いいんですよ。あ、ちょうど良かった。預かっていた靴、もう直りました」
彼が店の奥から持ってきたのは、昨日無残に踵が折れていたはずの、私のハイヒールだった。
折れた箇所など全く分からないほど完璧に修繕され、それどころか、預ける前よりも美しく磨き上げられている。
「……綺麗。これ、本当に私の靴?」
「ええ。馴染みの職人が、持ち主の歩き方が綺麗だから気合が入るって、徹夜で直してくれたんです」
受け取った靴の革は、微かに温かい。
この靴さえ戻れば、もう私にはここに来る理由がない。
あんなに「早く直ってほしい」と思っていたはずなのに、手元に戻ってきた瞬間、胸の奥をチリリとした寂しさが通り過ぎた。
帰らなきゃ。上の階にある、静まり返った私の部屋へ。
そう思って立ち上がろうとした時、お腹が「くぅ」と小さく情けない音を立てた。
「…………っ」
顔から火が出るかと思った。
昼休みも会議で潰れ、そういえば今日は朝からコーヒーしか口にしていない。
穴があったら入りたい私を前に、瀬尾さんは吹き出すことも、茶化すこともしなかった。
「……一ノ瀬さん、まだ夕食がまだなら、少しだけ付き合っていただけませんか? 試作のスープが余っていて、片付けるのを手伝ってほしいんです」
あからさまな口実。
けれど、今の私にはそれがどんな高級レストランの招待状よりも、救いのように感じられた。
「……片付ける、だけなら」
私は座り直した。
引き出しに仕舞った「鉄の女」の仮面が、少しずつ、遠ざかっていくのを感じながら。
第5話いかがでしたでしょうか。
完璧な女性の、ちょっとした「音」に気づいて、
プライドを傷つけないように誘える瀬尾の大人な気遣い……。
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