表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
夜更けのルミエール〜花と珈琲を愛する年下の店主が淹れるハーブティーは、忘れかけていた恋の味がした〜  作者: 寝不足魔王


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
6/70

第6話:コーヒーの香りは、安らぎの合図

お読みいただきありがとうございます。

第6話は、志保が自分の「名前」を取り戻すお話です。

仕事の肩書きではない自分を認められる場所。その温かさを感じていただければ幸いです。


 運ばれてきたのは、淡いクリーム色のポタージュだった。

 湯気と共に、根菜の優しい甘さと、ほんの少しのハーブの香りが立ち上る。


「……いただきます」

 スプーンですくい、口に運ぶ。

 丁寧に裏ごしされた野菜の旨味が、空っぽだった胃に、そしてささくれ立っていた心に染み渡っていく。

 

「美味しい……」

 本音が零れた。嘘偽りのない、ただ一人の「人間」としての言葉。

 瀬尾さんはカウンターの向こうで、自分も小さなカップを手に、満足そうに目を細めた。


「良かった。一ノ瀬さんは毎日神経を使っているから、胃に負担をかけないものがいいと思って」

「……瀬尾さん、さっき『毎日見ていた』って言いましたよね」

 私はスープを飲み込み、彼を真っ直ぐに見据えた。

「どうして、あんなに大勢の人が行き交う場所で、私だったんですか?」


 彼は少しだけ考え、それから焙煎機の隣にある一輪挿しに目をやった。

「皆、スマホを見たり、下を向いて歩いたりしている中で、一ノ瀬さんだけは、戦場に向かう武士もののふみたいな顔をしていたから」

「……武士、ですか」

「はい。でも、時々、その背中がひどく寒そうに見えたんです。だから、もしチャンスがあれば、温かいものでも淹れて差し上げたいな、と……ずっと思っていました」


 武士。

 その言葉は、どんな「有能なクリエイティブディレクター」という称賛よりも、私の本質を突いていた。

 ずっと一人で戦ってきた。誰にも背中を見せず、凍えるような孤独に耐えることが、強さだと思っていた。

 

「志保さん」

「……え?」


 唐突に呼ばれた名前に、心臓が跳ねた。

 社内では「一ノ瀬さん」か、役職で呼ばれる。

 プライベートで名前を呼んでくれる親しい友人も、今は忙しさに負けて疎遠になっている。


「あ、すみません。……嫌でしたか?」

「……いえ。ただ、あまりに久しぶりで、びっくりしただけ」

「そうですか。……志保さん。ここでは、ただのあなたでいてください」


 瀬尾さんが淹れ始めた食後のコーヒーの香りが、安らぎの合図のように店内に満ちる。

 私は残りのスープを飲み干し、もう一度、彼の顔を盗み見た。

 四歳年下の、穏やかな目をした男性。

 

 この場所なら、私は「一ノ瀬志保」ではなく、ただの「志保」になれるのかもしれない。

 そんな、ありえないはずの期待が、コーヒーの苦味と一緒に喉の奥を滑り落ちていった。


第6話、いかがでしたでしょうか。

不意打ちの「志保さん」呼び。瀬尾の静かな攻勢にドキドキしますね。

応援していただける方は、ぜひ【☆☆☆☆☆】の評価やブックマークをお願いいたします!


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ