第36話:ルミエールまで、徒歩一分
お読みいただきありがとうございます。
第3部、スタートです!
生活環境が変わり、より親密になった二人の日常。
「徒歩一分」という距離がもたらす、大人の心の安らぎを描きました。
統括部長としての新しい一日は、これまでの比ではないほど激務だった。
深夜、オフィスを出た私の足取りは重かったけれど、心には確かな「灯り」があった。
これまでは、タクシーを降りてから、冷え切った部屋に帰るまでの孤独をどうやり過ごすかが課題だった。
けれど、今の私は違う。
マンションのエントランスをくぐると、すぐ隣に『Lumière』のガラス窓が見える。
看板は消えていても、中から漏れる柔らかな光。
私は迷わず、鞄から取り出した合鍵を回した。
「……ただいま」
「おかえりなさい、志保さん。今日もお疲れ様です」
カウンターの奥から、瀬尾さんが顔を上げる。
その瞬間、肩にのしかかっていた重圧が、嘘のようにふっと軽くなるのを感じた。
以前のように「客」として席に着く必要はない。
私は彼が淹れてくれた温かいお茶を受け取り、カウンターの向こう側——彼のパーソナルな領域へと自然に足を踏み入れる。
「この後、上で少しだけ……一緒に過ごせますか?」
「もちろんです。そのために、このマンションを選んだんですから」
エレベーターで一つ上の階へ。
徒歩一分。そのわずかな距離が、今の私にとっての「世界で一番幸せな道のり」だった。
部屋に入ると、引っ越しの段ボールはまだ少し残っているけれど、そこには瀬尾さんの花の香りが満ちていた。
私はコートを脱ぎ、彼に背中から包み込まれる。
逞しい腕の熱。三十八歳の私が、ようやく手に入れた「誰かが待っている部屋」。
「志保さん、今日は一段と頑張った顔をしてますね。……もう、鎧を脱いでも大丈夫ですよ」
彼の囁きに、私は深く息を吐き出し、心地よい沈黙に身を委ねた。
仕事での成功も、高い地位も。
この「徒歩一分」の先にある安らぎがなければ、私にとっては無意味なものだったのだと、改めて噛み締めていた。
第36話、いかがでしたでしょうか。
ついに同じ建物内での生活が始まりました。
仕事が終わってすぐに大好きな人に会える幸せ……。
ここから始まる二人の新しい形を、ぜひ応援してください!
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