第2話:魔法が解ける前のハーブティー
お読みいただきありがとうございます。
第2話は、少しずつ心がほぐれていく二人の時間です。
カモミールティーのような、穏やかな空気感をお楽しみください。
「……熱いので、気をつけてくださいね」
差し出されたのは、小ぶりなカップ。立ち上る湯気と共に、リンゴに似た甘い香りが鼻腔をくすぐった。
「カモミール、ですか?」
「はい。安眠の効果があるんです。今夜の……その、災難を少しでも忘れていただけるように」
瀬尾さんはカウンターの向こう側で、困ったように、けれど柔らかく微笑んだ。
一口含めると、優しい熱が冷え切った胃の腑にじわりと広がっていく。
静かな店内。聞こえるのは古い置時計の音と、加湿器の小さな稼働音だけ。
さっきまでの喧騒と、アスファルトの上で感じた孤独が、まるでおとぎ話のように遠のいていく。
「……あ、あの。なぜ私の名前を?」
ふとした疑問を口にすると、彼は少しだけ照れくさそうに視線を逸らした。
「このマンションに越して来られた時から、ずっと。……いえ、ストーカーとかじゃないですよ。毎晩、日付が変わる頃に、とても綺麗な姿勢で歩いてくる方がいるな、と思って」
「綺麗な、姿勢……」
「はい。でも、今日は少しだけ、無理をしているように見えました」
図星だった。
誰にも悟られないように塗り固めていた「完璧な私」を、四歳も年下の、昨日まで名前も知らなかった男性に簡単に見抜かれてしまった。
本来なら不快に思うはずなのに。今の私には、その言葉が驚くほど滑らかに染み込んでくる。
「……これ、高かったんです」
私は傍らに置かれた、踵の折れたハイヒールを見つめた。
「プロジェクトが成功した時に、自分へのご褒美に買ったの。……直るかしら」
「きっと大丈夫です。僕の知り合いに、腕のいい靴職人がいます。明日、預かってもいいですか?」
差し伸べられた手は、私の仕事相手たちが持つそれとは違っていた。
指先にはハサミのタコがあり、小さな傷がいくつもある。
けれど、その手はとても温かそうで。
「……お願いします」
私は、自分でも驚くほど素直に、その手を、いえ、彼の好意を頼っていた。
深夜一時。
魔法が解けるには少し遅すぎる時間。
借りたスリッパの感触に心細さを覚えながらも、私は自分の部屋へと続くエレベーターに乗り込んだ。
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一ノ瀬さんの鎧が少しずつ脱げていく様子を、これからも見守ってください。




