第5話 帰還
ルーヴァリア王国空軍基地。簡素な滑走路に、土煙が上がる。A-3型戦闘機が着陸した。車輪が地面を叩き、機体が大きく跳ねる。それでも姿勢を保ったまま滑走し、やがてゆっくりと停止した。エンジンが唸りを下げ、やがて静かになる。レオン・アルヴィスタ少尉はゴーグルを外し、深く息を吐いた。その瞬間、ようやく自分が地上に戻ってきたことを実感する。
「おかえりなさい、少尉。」
声をかけてきたのは、整備兵の少女だった。油に汚れた手袋。短くまとめた髪。年齢はレオンより少し下だろう。
「…ああ。」
短く答えながら、レオンは機体から降りる。足が地面に触れる。わずかに、違和感があった。重い。空にいた時よりも、世界が重く感じる。
「機体、確認します。」
少女はすぐに機首へ回り込み、手際よく点検を始める。慣れている動きだった。
「…どうだったんですか、今日は。」
何気ない調子で尋ねてくる。
「いつも通りだ。」
レオンは答える。
「補給線を叩いた。前線はまた押し上がる。」
「そう、ですか。」
少女は頷く。
だが、その声は少しだけ硬かった。
「…ただ。」
レオンは言いかけて、言葉を止める。
「?」
少女が顔を上げる。少し迷ってから、レオンは続けた。
「撃たれた。」
その言葉で、空気が変わった。
「…え?」
「かすっただけだ。損傷はない。」
そう言いながらも、レオンの視線は機体の側面に向いていた。少女も気づく。そこに、小さな傷があった。塗装が剥がれ、金属がわずかに露出している。
「…本当だ。」
少女はそっと触れる。
「これ…弾痕です。」
断言だった。
「届かないはずだった。」
レオンは呟く。
「距離も、速度も。全部、こっちが上だった。」
「でも…届いたんですね。」
「ああ。」
短い沈黙。風が吹く。基地のあちこちで、同じように帰還した機体の整備が行われていた。どれも、疲れているように見える。
「…壊れますよ。」
少女がぽつりと言った。
「何がだ。」
「これ。」
機体を軽く叩く。
「無敵じゃないです。何度も使えば、壊れます。」
レオンは答えなかった。代わりに、空を見上げる。さっきまで自分がいた場所。何もないように見える。だが、もう違う。
「…名前は?」
ふと、レオンは聞いた。
「え?」
「君の名前だ。」
一瞬、少女は驚いた顔をする。そして、小さく笑った。
「今さらですか。」
「エルナです。エルナ・クレイア。」
「レオン・アルヴィスタだ。」
「知ってますよ、有名人ですから。」
軽く肩をすくめる。
「…有名、か。」
レオンは苦く笑った。空から人を撃ち、補給線を断ち、戦線を動かす。それが“功績”として積み上がっていく。
「すごいと思いますよ。」
エルナは言う。
「少尉がいなかったら、ここはもう取られてました。」
「…そうか。」
短く返す。だが、その言葉はどこか遠かった。
「でも…」
エルナは続ける。
「撃たれたんですよね。」
「ああ。」
「じゃあ、向こうも気づいてます。撃てるんだって。」
その一言は、妙に重かった。
「…ああ。」
レオンは頷く。空は、もう安全ではない。遠くで、別の機体のエンジンがかかる音がした。次の出撃の準備だろう。戦争は止まらない。
「少尉」
エルナが呼ぶ。
「機体、すぐ直します。」
「頼む。」
「次も、飛べるように。」
その言葉に、レオンは一瞬だけ言葉を失った。飛べるように。
それはつまり——
また、出撃するということだ。
「…ああ。」
レオンは再び空を見上げた。そこには何もない。だが、確かに何かが変わっていた。空は、もはや安全な場所ではない。
格納庫を離れた直後、伝令が駆け寄ってきた。
「レオン少尉、司令部へ出頭命令です。」
「……今すぐか?」
「はい。」
司令室は静かだった。敬礼をして入室したレオンに、机の向こうに座る上官が、短く告げる。
「レオン・アルヴィスタ少尉よく来た。」
「はっ。」
「なに、悪い話ではない。貴官を、本日付で中尉に任ずる。」
一瞬、言葉の意味が遅れて届く。
「…昇進、ですか」
「戦果によるものだ。補給線の破壊、戦線の押し上げ——いずれも貴官の働きによるところが大きい。」
当然の評価だった。だが。
「…拝命いたします」
口にした言葉には、思っていたよりも気持ちが入っていなかった。それが上官にも伝わったらしい。
「喜ばないのか?」
上官が静かに問う。
「いえ……」
レオンは一瞬だけ迷い、答える。
「今日、撃たれました」
空気が止まる。
「…そうか」
上官はそれ以上何も言わなかった。
「貴官は、最前線にいる」
ただ一言、それだけを告げる。
「昇進は名誉だ。だが同時に——」
「より責任がのしかかる。」
短く、断言された。
「…はい」
レオンは敬礼する。言葉は出てこなかった。
そしてその日の夜。基地の外れで、一つの影が動いていた。闇に紛れ、音もなく。帝国の工作部隊だった。彼らの視線の先には——A-3型戦闘機。戦争を変えた兵器があった。




