68話 お前らより強いしな
「……むっ」
目を覚まして最初に見たのは豪華な照明がぶら下がる綺麗な天井。
やたらと肌触りの良い掛け布団をどけて、体を包み込むような適度な柔らかさのベッドから体を起こす。
「広っ……」
寝室には不相応としか思えない広さの部屋見て、素直な気持ちが口をつく。
特別用事の無いこんな日は普段ならもう少し微睡んでいるところなのだが、どうにもそんな気分ではなくなってしまった俺はベッドから出て、適当な服に着替え適当な上着を引っ掴み、それに袖を通しながら落ち着けない部屋のその出口を開く。
寝るか寝ないかの瀬戸際はどうしてあんなにも気持ちがいいのだろう。 俺は二度寝より二度寝をしないように耐えている時間が好きだ。
閑話休題。 俺は落ち着けない長い廊下に出て、リビングルームへ歩きながら昨日のことを思い返す。
じっくりと巨大水晶――ブラオ・シュナーベルだったか――を観察し、またエーミールさんの蘊蓄を聞き流しながら馬車に揺られてホテルに帰還。
その後はしばらくお茶を飲んだりクリスタ達に道中の話を聞いたりしながらまったりと過ごし、夜は彼女らの疲労を考慮してホテルに食事を用意してもらったのだが――これが判断ミスだった。
高級料理というのは、皿の中でどれが食べられてどれが食べられないのか分からないのが厄介だ。 あの牧草みたいな草は本当に装飾になっているのか? もしかしたら食えたのでは?
「……おはよ、意外と早かったわね」
気づけばリビングまでたどり着いていたようで、クリスタはいつも2つに結っている髪を下ろしたレアな姿で俺を出迎える。
ウェーブがかったクセっ毛だとは思っていたが、寝起きなせいかより癖が増して爆発寸前という感じだ。
「おはよう。 実験でも失敗したか」
「濡らして整えないといっつもこうなのよ……。 あんたが起きて来るんなら先シャワー浴びるんだった……」
クリスタは俺から顔を背け、「せめて結んでればなー」と愚痴りながら片手で自分の頭をワシャワシャして唇を尖らせる。
「いつも用事がなきゃこんなに早く起きてこないのに……もしかして何かあった?」
「いや、気分じゃなかったから」
あまりに具体性に欠けるうえしょうもない理由故、そんな心配そうに覗き込むのはよしてほしい。
「あーまあ、分からなくはないわ。 あの部屋テントよりずっと落ち着かない」
「特にお前はそうだろうな」
実はこの部屋の個室にもグレードに違いががある。
その中で最も広く、用途不明の天蓋とやらまで搭載されたキングサイズのベッドが置かれた最高グレードの部屋を、譲り合いという名の押し付け合いによって根負けしたクリスタが使っているのだ。
「……ま、寝心地自体はいいんだけどね……丁度お茶淹れたところなんだけど、飲む?」
長めの溜息を吐き、クリスタはティーポットを指差した。
もちろん、ありがたくいただくことにする。
「じゃ、あたしシャワー浴びてくるわ」
「上の浴場は使わんのか?」
昨日の反応を見るに中々気に入っていた様子だが、1人で使うにはやはり広すぎるか。
「昨日夜使ったきりだし、掃除が……」
「いや、スタッフが夜中してたぞ?」
昨夜のことを思い出して言うと、クリスタは分かりやすく目を丸くする。
ちなみにこれは紛れもない事実である。 夜中気配がして起きて出ていくと、このホテルの従業員の服を着た数人が侵入していたところに出くわしたのだ。
「「気づかれたのはお客様が初めてです」って褒められちゃったよ。 悔しそうでもあったな」
「えぇ……? なんか怖くなってきたわ……」
クリスタは腕をさすり身震いをした。
「……とりあえず、シャワーで充分だからそうする。 訊いてみたら朝ご飯は連絡したくれたらすぐ出せるって話だから、お腹空いてるなら頼んで」
「おう、分かった」
頷き、ボンバーヘッドの幼馴染を見送ってすぐに立ち上がる。
昨日の夕食がボリューム不足だったせいか少し腹が減っていたので、連絡用のパイプを通じて朝飯の注文をすることにしたのだ。
「もしもし~」
『はい、こちらフロントでございます』
透き通った女性の声がパイプから返ってくる。 多分、夜中部屋に入って来た中の1人だな。
「朝ご飯お願いしたいんですが……」
「はい、リクエスト等はございますでしょうか?」
どうやらある程度のリクエストを受け付けているらしい。
昨日と同じ轍を踏まぬよう“おまかせ”ではなく、シンプルにパンをお願いした。
「どこを食えばいいか分からんパンが来ませんように……」
俺はそんなことを考えながら、甘い香りの紅茶をすすって到着を待つ。
◆
「ふわぁ~……ししょう~おはようございますぅ」
小麦香ばしい焼きたてパンを頬張っていると、リリィがフラフラと覚束ない足取りでリビングに入ってきた。
「おはよう。 お前も結構早いな」
「……あ~、それ、おいしそうっすねぇ、ふふふっ……」
意識が朦朧とするとセクシーになる性質でもあるのだろうか。 はだける寸前の服で俺の隣に座り、いつもより300%増し甘い声を出すリリィ。
髪は一部跳ね、何の色気も無い寝巻を着ているくせに、とろんとした瞳と少し赤い頬がやけに扇情的だ。
しかし、すでに焼きたてのパンに誘惑されきっている俺に死角は無い。
「これはやらんぞ。 自分で注文しなさい。 あと顔洗ってきなさい危ないから」
「あぶない~?」
寝ぼけてすり寄ってくるリリィを押し返して、俺はパンを貪り食う。
どうやら言った通り顔を洗いに行ったようだ。
ふぅと一息ついたところで、フワリと石鹸の香りが近づいて来たことに気づく。
クリスタ――にしては早い。 振り向くと、やはり。
「旦那様っ、おはようございます♡」
ヒルベルタがタオルで髪を拭きながら首を傾げる。
しっとりとした長い銀髪、褐色の肌にはまだ滴が伝っている……が、なんと言うべきか。
「ああ、ギャップが足りないのか……」
「ギャップ……?」
挨拶で傾げた首をそのまま更に大きく傾けて、ヒルベルタは頭の中に疑問符を浮かべる。
「いや何でもない、失言だ。 おはよう」
これはちょっと考えるだけで失礼だ、思考を打ち切って小麦に浸る。
「しかしあれだな、お前が一番最後なのはちょっと意外だった。 シャワー浴びてたからだろうけど」
さり気なくピッタリ隣に座るヒルベルタから適切な距離を取りつつ、ふと思ったことを言う。
「旦那様の気配がしたもので、すぐにでも“始められる”よう準備して来たのです♡」
「ブレないねお前は。 部屋の鍵が手の込んだやつでよかった」
開けられる鍵なら侵入を試みただろう、確実に。
故郷の自室はすでに3度ピッキング被害に遭い、少し高級な鍵に付け替えているからな。
「あの手の鍵はまだ私の技術では開けられないのが歯がゆいですな……」
“まだ”っていうのは何だ? 進化しようとしているのか?
「――お、おはようございますーっス……」
身の危険を感じていると、顔を洗って髪を整えたらしいリリィが気まずそうに部屋に入って来た。
「あっ……ヒルベルタ、あんたさっきの見てなかったっスよね?」
「さっきの? ……とは何だ?」
入れ違いでやって来ていたからどうなのかと思ったが、どうやらヒルベルタは本当に知らないようだ。
「見てなかったならいいっス!」
「なんなのだ一体……」
訳が分からないといった様子で、ヒルベルタは少し不機嫌そうに頬を気持ち膨らませる。
「そ、そういえば先輩は?」
「一番最初に起きてきて、今はシャワーだ」
話を切り替えたい意図を感じるので乗ってあげよう。 俺の責任もゼロではない。
「あーそうっスか~! それにしても先輩って体力ありますよねぇ。 自分はあんなに寝起き悪いの珍しいってくらいには疲れてたのに……」
あ。 と言って赤くなる。 墓穴を掘る、とはこのことか。
「ほう、貴様は案外早起きに慣れている印象があったが……体力が足らんのじゃないか体力が」
「へ、へへへ……そ、そうっスね」
ヒルベルタの面倒臭い先輩みたいなムーブにも、明らかに動揺しているリリィは上手く返せない。
「何だ気持ちの悪い反応を……貴様なにが――」
仕方ない、助け船を出してやるか。
「そりゃ体力もあるさ。 クリスタは戦えばお前らより強いしな」
「「――えっ?」」




