40話 剣は振り下ろされる
木から木へ跳び移り、気配のする場所にたどり着くと、既にリリィは剣を構え魔狼と睨み合っているところだった。
彼女の目の前にいる個体は以前戦ったものより一回り大きい。 リーダー格の個体なのかもしれない。
想定していたよりも少々手強い相手だが、俺はそのまま木の上で戦いを見守ることにした。
「……こりゃしばらく動きが無いな」
じりじりと距離を測り合う両者はお互い隙が出来るまで待つ構えだ。
そうして続く睨み合い、先に痺れを切らし動くのはどちらか――
「…………っ!」
先に動いたのは、リリィだった。
剣を振り上げる動作と共に一歩踏み込む――
「――ガアッ!!!」
その刹那、リリィが踏み込むより速く、ほんの僅かな予備動作で魔狼が跳び出し、その喉元に迫る。
「……そこだ」
跳び込んでくる動きに合わせて、リリィは剣を引き、体を逸らす。
そうして突進を受け流すと共に滑らすように刃を当てた。
読んでいた――いや、誘っていた。
先に動いたのはフェイク。 相手に動いてもらうためにわざと隙を見せたのだ。
動こうとしない相手に対する基本の動き。 俺が教えたとおりに、実戦で見事活用してみせた。
「グゥ……!」
魔狼の呻きながらたたらを踏む。 血がポタポタと地面に落ちる。
僅かにタイミングを逸したか、傷は浅い。
「……速い……!」
想像の上を行くスピードに冷や汗を拭うリリィ。
「もっと速く……いや……」
リリィは呟き、先ほどより半歩距離を取った。
相手の速度を見て、より鋭い攻撃に反応するにはどうするべきかを考え、実行している。
いいぞ、そうだ、もっと“考える”んだ。 思考を止めるな、足を止めるな。
「グルルルル……! ガアアアアッ!!」
魔狼は唸り声を上げながら爪を突き出すようにしてリリィに跳びかかる。
さっきより速い――が、さっきより見え透いている。
「――ふッ!!」
リリィは刃で相手の攻撃を滑らせるように受け流し、今度は前足に手傷を負わせた。
そして、その勢いのまま振り向きざまに横薙ぎの一閃――これは剣先がかすめただけで、痛手とはならない。
察知した魔狼が跳び退いたことで、命中しなかったのだ。
「ふぅーー……」
リリィは再び間合いを取り、肺に溜め込んでいた空気を吐く。
今の所、致命傷と言えるダメージを与えられていないが、これには理由がある。
リリィの膂力と技術では大振りの一撃を当てなければこの魔物には深く刃が通らない。
しかし、現在の彼女と魔物の力量差では大振りの隙を晒すのは逆に致命傷を受けかねない危険な行為だ。 それは彼女自身も分かっている。
故に大振りの隙を見せることなく倒す必要があり、それを実現させるには受け流す際相手の力を利用するしかない。
だが、まだ完璧なタイミングを掴めていないため大ダメージには至っていないのだ。
「焦らない、まだアタシが有利……」
リリィは魔狼を見据えたままブツブツと呟く。
そうだ、焦るな。 死ぬような傷ではないとはいえ、相手は血を流している。 ジリジリやり合う分には不利な戦いじゃない。
しかし、はやる気持ちを抑えるというのは意外と難しい。 実戦の興奮の中であれば尚更だ。
先ほどまで狙いが上手くいっていたのも悪い方に作用したのか、リリィの自信が生んだ間合いは、直前のものよりやや近いものだった。
それを理解した――ということはないだろう。 生存本能のなせる業か、魔狼は突然、行動の色を変えた。
「……ウオオオオオオオオーーーンッ!!!」
「――ッ!?」
遠吠え――仲間を呼ぶ動き。 なんてことはない、どちらかといえば隙のある動き。
しかし、これによりリリィの頭からほんの一瞬、“目の前の相手”が消えた。
なぜここで叫んだ?――仲間を呼ぶため?――増援が来る――でも師匠が――
リリィの顔に迷いが浮かぶ。 微かに構えが緩む――その間合いはマズい。
「――グオオオーーッ!!!」
「しまっ――」
獣がその隙を見逃すはずはない。
最初と同じ、工夫の無い噛みつき攻撃。 それでもリリィの反応は遅れる。
「くッ……!!」
ギリギリだった。
咄嗟に構えた位置に攻撃が来たこと、そして前足へのダメージによって僅かにスピードが落ちていたことでリリィは命を拾う。
しかし、魔狼の攻勢は終わらない。
体勢を崩すリリィに対して後ろ足で立ち、前足による鋭い爪の応酬。
「……ッ! づぅッ……!」
リリィは退きながら受けるので精一杯だ。 それでも一部は防ぎきれず、爪がかすって腕や肩にいくつもの小さな傷が出来る。
それでも、圧倒的不利は脱した。 四足歩行の魔物がそう長く後ろ脚だけで動き続けられるわけもなく、攻勢は止む。
「――そこっ!!」
魔狼の動きが鈍ったところにコンパクトな振りで足元を薙ぐ。
斬撃は右前足に命中。 お互いに数歩距離を取る。
「グゥッ……!」
ガクッと魔狼の膝が折れる。 右足のダメージが効いたのだろう。
リリィはそれに反応して動きかけるが、踏みとどまり、しっかりと構え直す。
「……勝った」
俺は一人呟く。
ここで踏み込まないことを選択出来た時点で負けは無い。
「グルルルル……グガアアアアアアッ!!」
最後に魔狼が選んだのは何の工夫もない、やけくその噛みつき。
機動力の落ちた突進を、冷静になったリリィが捌けないはずはない。
「――はあッ!!」
リリィは噛みつきを躱し、そのまま相手の勢いを利用して斬りつける。
「ガッ……!!」
刃は深く食い込み、ドシャっと音を立てて魔狼は地面に崩れ落ちる。
同時に、想像以上に剣が深く入ったためか、リリィは勢いに負け、尻もちをついた。
「ガハッ……ググ……ガ……」
魔狼は呻き、じたばたと体を動かそうとするが、急所だ。 もう体はろくに動かない。
「ハァ、ハァ……やっ、た……?」
肩で息をしながら、リリィは顔だけを倒れた魔物に向ける。
俺は木から下りてまだ呆然とした状態の彼女に歩み寄った。
「お疲れさん。 お前の勝ちだ」
「あ……し、師匠……」
倒れ伏した魔狼に目をやると、まだ微かに息があるようだ。
「……まだ息があるな。 さ、ここまでやったんだ、お前がトドメを刺せ。 そんで楽にしてやれ」
「は、ハイ……!」
俺は、力が抜けた様子のリリィに「立てるよな?」と手を差し出してやる。 が……
「……いえ、自分で、立ちます」
リリィは首を横に振って、ニッと笑顔を作る。
「……そうか」
俺はなんだか嬉しくなって、差し出した手を下ろす。
「ハイ!」
グッと力を入れ直し、リリィは一人で立ち上がる。
そして、地面に大量の血を流し、細く呼吸をしているだけの魔狼に向き直った。
「…………」
剣を振り上げ、まるで「ありがとう」と言うようにリリィは小さく頭を下げた。
直後、剣は振り下ろされる。
「……ふぅーーーー……」
リリィは瞳を閉じ、長い長い息を吐いた。




