35話 深夜1時ですね
「ほらほら、落ち込まないの。 ほぼゼロからのスタートにしては充分できること増えたじゃない」
「出来なくて悔しいのもそうっスけど……それよりも……」
眉をハの字にして、顔を下げたまま目だけでヒルベルタを見上げるリリィ。
「せっかく手を貸してもらったのに、こんなんじゃ申し訳ないっス……」
そう言って悔しそうに唇を噛むリリィを見て、ヒルベルタはやれやれと頭を振る。
「……悔しいのなら、申し訳ないと思うのなら、結果で示せ。 それが出来ないのならやめてしまえ」
「――っ!」
突き放すように言って背を向けるヒルベルタ。
俺が言えたことじゃないかもしれないが、なんとも不器用な激励である。
リリィは離れていくヒルベルタを追いかけるように顔を上げ、その背中に声をぶつけた。
「やめないっス!! 次の機会までには、必ず形にしてみせます!!」
銀色の髪が僅かに揺れる。
「今日はありがとうございました!!!」
「……ふん」
腰を悪くしそうなほどの勢いでお辞儀をするリリィに顔だけ向けて、ヒルベルタはぶっきらぼうに鼻を鳴らした。
俺の方からは表情は確認出来ないが、それでもピクピクと嬉しそうに動く耳は良く見える。
「……それじゃ、帰りましょっか?」
クリスタはご機嫌そうに伸びをして、俺を見る。
俺が「おう」と頷くと、幼馴染は頷きを返して、今度はヒルベルタの方へ向き直った。
「ところでさ、あなた宿とか取ってあるの? この町そんなに多くないからまだなら早めに取っといたほうがいいわよ」
場所分かんないなら教えるけど、と続け、クリスタは首を傾ける。
当然の質問だがしかし、ヒルベルタはピンと来ていない様子で顎に手を添えた。
「……? 旦那様の部屋で同衾すれば問題無いのでは?」
「問題しかないわ」
あっぶね。 これクリスタが訊いてなかったらいつの間にか家にいるやつだ。
「……ああ、ご安心を。 エルフは生殖能力が低いので大丈夫です」
「とんでもねぇや」
にっこりと笑うヒルベルタに、俺は魔王と対峙した時以上の恐怖を覚えた。
俺が確かな実感として恐怖を感じたのは、あとはディアナおばさんが怒った時くらいだ。
「コラ!いんらんエルフ!! あんたはまたそういうことを! 師匠を困らせるようなことは許さないっスよ!!」
少し顔を赤くして、リリィはビシッと指を差し、ヒルベルタはその指をジロリと睨んだ。
「なんだと? 私も貴様の師だぞ? それが師である私に対しての態度か?」
「それとこれとは話が別っ!! ……っていうかすごい振りかざすっスね!?」
そうして、ああだこうだと言い合いが始まってしまう。
お互いの譲れないラインがぶつかるためか、この2人はどうにも争いに発展しがちだ。
「……クリスタ」
「こればかりは手伝うわ、うん……」
これはマズいとクリスタと俺でどうにか説得を試みる。
結果は、以外にもあっさりだ。 3分程度の攻防の末「“今日は”宿を取ります」という言質を勝ち取ることに成功した。
明日、明後日、明々後日……果たして、俺の純潔はいつまで守られるのか。 願わくは俺の意思で散らせたいものである。
「とりあえずは落ち着けてよかったっス。 ……じゃあ、自分は一足先に帰らせていただきますね」
どうやら家でまだやることが溜まっているようで、リリィは急ぎ帰宅しなければならないようだ。 一人暮らしは大変だな。
彼女は俺達全員に丁寧にお辞儀をして、元気に手を振り、駆け足で帰って行った。
「……さて、俺達も帰ろうか」
「途中までご一緒しても?」
「ああ。 ついでだから宿の近く通ってくか。 いいよな、クリスタ?」
クリスタもこれを快諾し、ざっと道場内の様子を確認する。
異常などは見られないことを確かめ、戸締りをキチンとして道場を出た。
宿の場所を脳内地図で確認しつつ歩き出し、俺とクリスタの間に陣取るヒルベルタに声をかける。
「……なあヒルベルタ」
「はい、深夜1時ですね」
「言ってないなぁ」
耳が悪いとかの次元では無い。 聞こえてはいけない悪魔の囁きが聞こえてしまっている。
というかナニしにくるつもりなんですかね。 ……ああ、いや、言わなくていい。
「そうじゃなくてな。 お前、リリィに色々教えてくれただろ。 その報酬についての話がまだだったろ」
何が欲しい――言いかけて、遮るようにヒルベルタは口を開く。
「旦那様です」
「人以外で頼む。 切実に」
予測出来ていたのでたいして驚きもなく、要求を突き返す。
ヒルベルタは「むぅ」と小さく頬を膨らませ、そのやり取りを見ていたクリスタは肩を竦めた。
「で、どうだ? それ以外だと欲しいものはあるか?」
「……いえ、報酬は要求しません」
なぜだ、と俺が問うと、ヒルベルタは真剣な真っ直ぐな瞳で見上げて答える。
「まずもって、私はまだ貴方からの依頼を完遂出来ていない。 そのくせ報酬だけを要求するなど、私のプライドが許せません」
ただそれだけです、とその青い瞳を閉じる。
「……そうか」
誰にも気づかれないほど小さく、俺はフッと笑った。




