第71話 自己欺瞞
「一人か」
ほんの少し前までは当たり前だった、いつもの朝のはずなのに、自分の独り言だけが響く部屋の中で拓海は重たい頭をもたげ、ベッドの上に座ったまま固まっていた。
(そういや、クニヌシも戻ってこなかったな)
夏樹たちが出て行った後、拓海は上げた拳を降ろすこともできず、部屋の中を熊のようにぐるぐると歩き回った。最初は、夏樹がモノカミとデキていた、と想像した絵面に怒り狂い、思いつく限りの悪態を脳内で轟かせ、疲れ切った後、ふと思いだした。
夏樹のこれまでのことを。そして、自己嫌悪。そこに明日香の家での己の情けない姿も加わり、明け方まで自問自答を繰り返したという。
(よく頑張ったなって、なんで夏樹に言ってやれなかったんだろ)
喉の渇きを感じた拓海はゆっくりとベッドから出ると、静まり返った台所によたよたと歩いて行った。赤い玉を飲んだ翌日、夏樹が慣れない手つきで朝食を作っているシーンがフラッシュバックのように目の前に現れた。
「可愛かったな、夏樹。すごく恥ずかしそうに朝食・・・作ってた」
台所の入口で立ち止まると、夏樹が積み上げてきた小さな思い出のカケラが台所のあちらこちらにあることに気づく。期限付きという辛い状況下に生まれ出でた夏樹からもらった優しいモノが、拓海の心から吹き出すように溢れてくる。台所に入る手前で、拓海はその場に泣き崩れた。
何をどうすれば良かったのか、答えが出ずにいた拓海はやっと一つその鍵を見つけようとしている。
「俺は夏樹を信じていたはずなんだ。信じられなかったのは、俺自身だ」
「拓海、また泣いているのか?」
子供のように大きな涙をポタポタと床に落としていた拓海は、背後から聞こえてきた優しい声に顔を上げた。振り返ると、ただいま、と満面の笑顔でクニヌシが立っているではないか。
「うるせえな・・・。っていうか、クニヌシ、お前・・・服、着ろよ」
この神の眷族は霊体化して部屋に戻ってきたが、すぐに実体化したようだ。この世のものではないクニヌシの本来の装束は、実体化した瞬間に消え全裸になってしまうという非常に面倒くさい事象を起こすのが難点。
すまんな、とクニヌシは言いながら、いつものようにタンスから拓海のTシャツと短パンを取り出すと、全裸であるにも関わらず、慌てず優雅に着替えをしている光景もこの家では既にお馴染み。
着替えが終わり、クニヌシはやや短髪となった髪を両手ですくい上げ髪型を整えながら、ふてくされた拓海に話しかけた。
「泣くほど後悔するなら、最初から心で感じたことをそのまま快く受け入れてみよ。簡単なことではないか」
拓海はクニヌシの出現で急に元気を取り戻したのか、スクッと立ち上がり当初の目的だった冷蔵庫へ向かい、冷やしてあった麦茶を取り出した。拓海がグラスに麦茶を注ぎいれる間も、クニヌシは終始にこやかに拓海を見守っている。それが嬉しいような恥ずかしいような、だが嫌ではない感触が心を満たしてくれるのを拓海は心地よく感じていた。
「簡単なわけないだろ・・・ずっとこうなんだよ、俺は」
「安易な憎まれ口で無用な不幸を招くことはない」
相手を怒らせる言動をしてしまう拓海に対し優しく咎めるクニヌシ。拓海の自己否定が続く限り、また無意味に誰かを傷つけてしまうだろう。堂々巡りである。
「お前は本当に一人ぼっちで生きてきたのか?そうではないだろう。お前を愛し、心配し、気にかけてくれる人が周りにいると思うのだが、そうは思わんか?」
そうすれば、拓海の口から出てくる言葉は、もっとマシなものになっているだろう。人生はいつだって選択の連続。拓海は黒縁眼鏡を外し、おもむろに涙をぬぐった。
「ばあちゃんもいたし、母さんもいる。明日香も夏樹も、それにモノカミだって」
「うむ。淳之介や文乃もそうだ。そして、俺もだ。あとは・・・承服しかねる部分もあるが、お前の父も」
「自分だけが見えているモノがリアルなのか分からなくて・・・そんなの・・・普通は薄気味悪いだろ。バレたら嫌われてるんじゃないか、って不安でたまらなかった。だから人とは距離を置いてきたんだ。そのくせ、相手にそうじゃないって態度で示して欲しかったっていうね・・・。俺は、こんな自分のことが大嫌いだ。最低、なんだ」
自分のことを静かに語れるようになった拓海を、クニヌシはキュッと抱きしめた。
「自己欺瞞はいかんな。まず、お前は自分のことをもっと好きになれ。そして人を試すな。相手の好意を素直に喜んで受け容れろ。そうすれば、つかなくて良い嘘や悪態を吐くこともない。それだけで、お前の人生は好転する、と俺は思うがな」
拓海はクニヌシの腕の中でコクリと頷いた。
読んでいただきありがとうございます。自己欺瞞とは、自分の心を欺くこと。自分で自分の心に嘘をつき、相反することをやってしまい、それを無理やり正当化しようとする、浅はかなこと。自分にも言い聞かせているところです。。。




