第5話「声が、届いた」
お疲れ様です、皆月葵です。
第5話「声が、届いた」を公開しました!
三ヶ月間、ずっと声が届かなかった主人公ですが、今夜ついに――。
マーリンの言葉の意味や、初めてはっきりと描かれるアーサーの表情など、大きな転換点となる回になっています。ぜひお楽しみください!
転生して、三ヶ月が経った。
俺はすっかり鞘として生きることに慣れていた。慣れたくはなかったが、慣れてしまった。これはもう諦めの境地というやつだ。
朝はアーサーに装着されて謁見へ。昼は会議か執務。夜はアーサーに抱きしめられながら眠る。先月からは時々戦場にも連れて行かれる。鞘のルーティンとして、これ以上ないくらい確立されていた。
ただ一つだけ、慣れないことがあった。
(なんというか……気になる人の腰に毎日吊るされてる状況に、どうやって慣れればいいんだ)
これだけはどうにもならなかった。
「気になる」というのが正確な表現かどうかも、よくわからない。守りたいと思っている。心配している。この子の声を、一言も聞き逃したくないと思っている。
それが何なのか、まだ言葉にできていなかった。
鞘に感情があること自体、三ヶ月前には想像もしていなかったのだから。
その日の円卓会議は、いつもより長かった。
北方の敵が動いているらしい。ランスロットとガウェインの意見が珍しく一致して、早期の大規模出陣を主張している。他の騎士たちもそれに同調する空気だった。
アーサーは黙って聞いていた。
いつものように。完璧な王として。一言一言を噛み締めるように。
会議が終わったのは、日が完全に落ちた後だった。
騎士たちが退室して、執務室にアーサーが一人残った。書類を片付ける音がしばらく続いて、それも止んだ。
深夜だった。
アーサーが立ち上がり、俺を手に取った。
寝室へ向かうのかと思ったが、違った。窓の前に立ち止まって、しばらくそこから動かなかった。
月明かりが差し込んでいた。
アーサーは月を見ていた。
視界が、少しずつはっきりしてきていた。輪郭だけだった景色に、少しずつ色と質感が戻ってくるような感覚。月明かりの中に立つアーサーの横顔が、今夜は珍しくくっきりと見えた。
疲れている。でも表情は、ただ疲れているだけじゃない。何かをずっと抱えたまま、それを誰にも言えないでいる——そういう顔だった。
どのくらいそうしていたかわからない。俺もただ、そこにいた。
「……ねえ」
アーサーが呟いた。
剣に向かって話しかけているのだと、わかっていた。いつもそうだから。「今日も、お疲れ様」と言って、それで終わりだから。
だから俺は、いつものように聞いていた。
「私、ちゃんとできてるかな」
静かな声だった。
会議室で聞かせる声でも、騎士たちに向ける声でも、戦場で響かせる声でもなかった。深夜の窓際で、月に向かって、誰にも聞かせるつもりのない声だった。
(できてるよ)
俺は思った。
いつものように、心の中だけで思った。
届かないとわかっていたから。三ヶ月間、ずっとそうだったから。
「誰かに聞いてほしかっただけ。答えなんて、いらないから」
アーサーが続けた。
その言葉が、何かに刺さった。
答えなんていらない。それはつまり、答えてくれる誰かがいないということだ。三ヶ月間、毎日見てきた。アーサーの周りには騎士がいて、リリナがいて、マーリンがいる。でも誰も、この声を聞いていない。深夜の窓際で月に向かって呟く声を、誰も知らない。
俺だけが、知っていた。
三ヶ月間、ずっと。
(できてるよ)
もう一度、思った。
届けたかった。届かないとわかっていても。三ヶ月間言えなかった言葉を、今夜だけは。
その瞬間だった。
部屋の空気が、変わった。
後から考えれば、あれがマーリンの魔法だったのだと思う。
二ヶ月前の廊下で聞いたあの言葉——「タイミングが全て」——の意味が、このとき初めてわかった。
マーリンはずっと待っていたのだ。俺が「届けたい」と思う瞬間を。心の声と感情が、完全に一致する瞬間を。
その瞬間が、今夜だった。
同時に、視界が——一気に開いた。
輪郭だけだった世界に、色が戻ってきた。月明かりの白さ。石造りの壁の灰色。アーサーの金髪の色。そしてアーサーの顔が——初めて、はっきりと見えた。
「できてるよ」
声が、出た。
俺の声が。
アーサーが、固まった。
月明かりの中で、動かなくなった。手の中の剣を、ただ握ったまま。
(……あ)
俺も固まった。
出るとは思っていなかった。三ヶ月間一度も出なかったのに。思わず言ってしまった。止められなかった。
沈黙が続いた。
五秒か、十秒か、もっと長かったかもしれない。
アーサーがゆっくりと、手の中の俺を見た。
今、その顔がはっきりと見える。
琥珀色の瞳が、大きく見開かれていた。
「……今、誰かが喋った?」
小さな声だった。
(俺です)
言うべきか迷って、でも止められなくて、また声が出た。
「俺です」
アーサーがまた固まった。
今度はもっと長い沈黙だった。
「……エクスカリバー?」
「鞘です」
「……鞘」
「はい」
また沈黙。
アーサーが窓の外を見た。月を見た。それから手の中の俺を見た。それからまた月を見た。
「私、疲れてるのかな」
「疲れてると思います。でも空耳じゃないです」
「空耳じゃない鞘が喋ってる」
「そうです」
「……そう」
アーサーはしばらく黙った。俺も黙った。月だけが静かに光っていた。
やがてアーサーが、深呼吸を一つした。
「わかった。信じる」
あっさりしていた。
(いいのか、そんなあっさりで)
「マーリンに魔法で何かされた可能性はあるし、夢かもしれないし、本当に疲れて幻聴が聞こえてる可能性もある。でも」
アーサーが続けた。
「どれでもよかった。答えてくれる声があるなら、それでよかった」
俺は何も言えなかった。
「名前、あるの?」
しばらくして、アーサーが聞いた。
「……前の世界では、ありました。でも今は鞘なので」
「じゃあ、つけていい?」
「どうぞ」
アーサーが少し考えた。
「さーくん」
「……それ、鞘から来てるんですか?」
「鞘の『さ』。くん付け」
(なんで俺の名前が鞘から来てるんだ)
「さーちゃんの方がいい?」
「さーくんでいいです」
アーサーが笑った。
初めて、その笑顔がはっきりと見えた。
会議室で見せる笑顔でも、騎士たちに向ける笑顔でも、戦場で浮かべる微笑みでもない。深夜の窓際で、月明かりの中で、十六歳の少女が笑う顔だった。
琥珀色の瞳が、細くなっていた。
俺はその笑顔を、今夜初めてはっきりと見ながら、ただ受け取った。
三ヶ月間、届かなかった声が、届いた夜だった。
その頃、城の廊下の一角で。
マーリンが壁に背を預けて、水晶玉を手の中で弄んでいた。
水晶玉の中に、月明かりの執務室が見えていた。
アーサーが笑っていた。
マーリンは小さく、しかし確かに微笑んだ。
「タイミングは、完璧だったわ」
誰にも聞こえない声で、そう呟いた。
【第5話・了】
第5話までお読みいただき、ありがとうございます!
ついに声が通じ合い、まさかの「さーくん」という名前が誕生した記念すべき回となりました。これまで孤独に戦ってきたアーサーと、彼女を見守り続けた主人公の関係が、ここからどう変わっていくのか……!
応援していただけると、次の執筆の大きなエネルギーになります!
それでは、次回の第6話もお楽しみに!




