第3話「マーリンさんがこっちを見ている気がする」
お疲れ様です、皆月葵です。
第3話「マーリンさんがこっちを見ている気がする」を公開しました!
平穏(?)だった鞘生活に、ついにあの人物が本格的に絡んできました。伝説の魔法使いは、この主人公(ただの鞘)の正体に気づいているのかいないのか……。
本日ものんびり(?)お届けしますので、ぜひ楽しんでいってくださいね!
転生して、ひと月が経った。
城の生活にも、すっかり慣れた。
謁見の間の空気、円卓会議のざわめき、訓練場から聞こえるガウェインの怒号、ケイの淡々とした報告の声——最初は何もわからなかったこの城が、少しずつ「場所」として感じ取れるようになってきた。
目がはっきりしない分、他の感覚で補っているのかもしれない。音の反響で部屋の広さがわかる。足音の重さで人の体格がわかる。気配の質で、その人がどんな気分でいるかが、なんとなくわかる。
鞘として生きる術を、身につけ始めていた。
ただ一つだけ、最初からずっと気になっていることがあった。
最初に気づいたのは、転生してまだ間もない頃だった。
アーサーが執務室に向かう廊下を歩いていたとき、ふと視界の端に——いや、視界というより気配として——何かを感じた。
誰かがいる。
廊下の角の方向に、人の気配があった。でもその人物は歩いていなかった。ただそこに立って、こちらを——俺を——見ていた。
気のせいかもしれない。
俺には目がないのだから、「見えた」という感覚自体が怪しい。
でも気配は確かにあった。そしてアーサーが角を曲がった瞬間、その気配は静かに消えた。
それから何度か、同じことがあった。
廊下の角。執務室の窓の外。訓練場の端。いつも同じ方向から、同じ質の気配が——俺を観察するような気配が、感じられた。
ひと月経って、俺はようやく確信した。
あれは気のせいではない、と。
その確信が正しかったとわかったのは、ひと月目のある昼過ぎのことだった。
アーサーが執務室で書類仕事をしていると、扉をノックする音がした。
「入っていいわよ」
アーサーが言う前に、扉が開いた。
「相変わらず返事を待たないんですね」
アーサーが小さく溜息をついた。怒っているわけではない。慣れているのだ、この人物に。
入ってきたのは、ひと月ずっと俺を観察していた気配の主だった。
輪郭が、なんとなく感じ取れる。長い黒髪。すっと通った背筋。年齢不詳な佇まい。そして手の中に——丸くて滑らかな、水晶玉のようなものがある。
「魔法の調整が終わったから報告に来たわ」
「ありがとうございます、マーリン」
(マーリン!!)
来た。ついに来た。アーサー王伝説の重要人物その二、魔法使いマーリンだ。伝説では老賢者として描かれることが多いが、この人物の気配は明らかに違う。落ち着いていて、余裕があって、何かをずっと面白がっているような——そういう気配だった。
そしてやはり、こちらを見ている。
マーリンはアーサーと話しながら、しかし注意の一部を明確に俺の方へ向けていた。アーサーは気づいていない。執務の書類に視線を落としたまま、マーリンの報告を聞いている。
(ひと月ずっと見てたのはこの人か)
気のせいではなかった。やはりそうだった。
「そうだ、アーサー」
マーリンが話題を変えた。
「最近よく眠れてる?」
「……そう、ですね」
一瞬の間があった。ほんの少しだけ、アーサーの気配が揺れた。
「それならよかった」
マーリンはそれだけ言って、また水晶玉を手の中で弄んだ。
(なんでそんなことを聞くんだ)
眠れているかどうかを聞く理由が、よくわからなかった。
マーリンが帰り際、扉に手をかけたところで立ち止まった。
アーサーに背を向けたまま、何かを言った。
「魔法というのはね、アーサー。かけるタイミングが全てなのよ」
「……どういう意味ですか?」
「そのうちわかるわ」
それだけ言って、マーリンは出て行った。
アーサーは小首を傾げて「相変わらず意味深なことを言う人だ」と呟いたが、すぐに書類に戻った。
俺は違った。
(タイミングが全て)
その言葉が、妙に引っかかった。魔法使いがそれを言う意味は何だ。何に対してのタイミングだ。誰に向けた言葉だ。
考えても答えは出なかった。
夕方、廊下を移動するアーサーの腰で揺れながら、俺はふと気配を感じた。
曲がり角の向こう。
マーリンがいた。壁に背を預けて、水晶玉を手の中で弄びながら、アーサーが通り過ぎるのを待っていた。
アーサーは気づかなかった。そのまま通り過ぎていく。
しかしマーリンの注意は、通り過ぎるアーサーの腰元——つまり俺——に向いていた。そしてアーサーが角を曲がった瞬間、マーリンは誰もいない廊下で、静かに微笑んだ。
俺に向かって。
明確に、俺に向かって。
輪郭が少しずつはっきりしてきた視界の中で、その微笑みだけが妙にくっきりと感じ取れた。
(やっぱり見てたじゃないか!!!)
マーリンはそのまま踵を返して、廊下の奥へ消えていった。軽やかな足取りで、まるで何事もなかったように。
俺は腰に吊るされたまま、その気配を感じ続けた。
その夜、アーサーが眠った後、俺は考えた。
マーリンは知っている。
何を知っているのかは正確にはわからない。俺がただの鞘ではないことを知っているのか、俺の中に何かが宿っていることを知っているのか、あるいはもっと別の何かを知っているのか。
ただ確実に言えることが一つある。
あの微笑みは、「何も知らない者の顔」ではなかった。
(……ひと月、ずっと見ていたのか)
改めて思うと、少し背筋が冷えた。いや、背筋がないのだが。
アーサーの寝息は穏やかだった。
体温は温かかった。
転生してひと月が経った夜、俺にはまだ何もわからないままだった。
「タイミングが全て」という言葉だけが、暗闇の中にまだ残っていた。
【第3話・了】
第3話までお読みいただき、ありがとうございます!
ついに登場したマーリンさんですが、原作のイメージとはちょっと違う、謎めいた雰囲気にしてみました。最後の不敵な微笑みの意味とは一体……? 次回以降、少しずつ物語が動き出していきます。
「続きが気になる!」「マーリン怪しすぎる」と思い応援していただければ、次の執筆の大きなエネルギーになります!
それでは、次回の第4話もお楽しみに!




