第15話「記録されなかった物語」
お疲れ様です、皆月葵です。
第15話「記録されなかった物語」を公開しました!
前回の戦場から一転、城に戻ったアーサーの夜を描いた回です。
戦場では泣けなかった。祝宴でも泣けなかった。でも扉を閉めた瞬間——。
静かな回ですが、この作品で一番感情が詰まっている話かもしれません。ぜひお楽しみください。
城に戻ったのは、夕暮れ時だった。
騎士たちは勝利の余韻の中にいた。厨房では祝宴の準備が始まり、廊下を行き交う侍女たちの顔が明るかった。ランスロットが珍しく声を立てて笑っているのが、どこかから聞こえてきた。
アーサーは祝宴の席に座り、騎士たちの杯を受け、王として笑っていた。
完璧な笑顔だった。
誰も気づかなかった。
アーサーの左手が、ずっと胸元を押さえていることに。
祝宴が終わったのは、深夜だった。
リリナを下がらせて、寝室の扉を閉めた瞬間——アーサーは、崩れ落ちた。
膝から、ゆっくりと。
扉に背を預けたまま、床に座り込んだ。
鎧の内側から、そっと取り出した。
小さな破片だった。
戦場の土がついた、光る欠片。手のひらに乗せると、あの頃の体温を思い出すような気がした。思い出すような気がするだけで、もう温かくはなかった。
「……帰ってきてって、言ったのに」
声にならない声だった。
「さーくんが帰ってくるって言ったのに」
アーサーは泣いた。
声を殺して、泣いた。
戦場では泣けなかった。祝宴では泣けなかった。騎士たちの前では泣けなかった。王だから。泣いたら終わりだから。
でも今、ここには誰もいない。
扉一枚の向こうに世界があっても、この部屋には誰もいない。
だからアーサーは、十六歳の少女として、ただ泣いた。
破片を胸に押しつけながら。
声を殺しながら。
「北の塔、連れて行くって約束したのに」
誰にも届かない言葉だった。
「見せたいものがあったのに」
届かないとわかっていても、言わずにはいられなかった。
「……ありがとう、さーくん」
その言葉だけは、静かだった。
泣きながら、でも静かに、確かに言った。
破片を両手で包んで、額に当てた。
しばらく、そのままでいた。
廊下では。
マーリンが壁に背を預けて、目を閉じていた。
水晶玉は手の中にあったが、今夜は覗いていなかった。
覗かなくても、わかっていた。
扉の向こうで、アーサーが泣いていることを。
マーリンは動かなかった。
今夜のアーサーには、誰も必要なかった。そばにいる必要も、声をかける必要も、慰める必要もなかった。ただ泣かせてあげることが、今夜できる唯一のことだった。
どのくらい経ったか、扉の向こうが静かになった。
マーリンは目を開けた。
壁から背を離した。
廊下の窓から、夜空が見えた。星が出ていた。
マーリンはしばらく、その星を見ていた。
水晶玉を手の中で包みながら。
あの日から、水晶玉には何も映らなかった。
さーくんがいなくなってから、ずっとそうだった。
「……よくやったわ、鞘くん」
誰にも聞こえない声で、呟いた。
それだけ言って、マーリンは廊下の奥へ歩いていった。
軽やかな足取りで。
振り返らずに。
それから、アーサーは天寿を全うした。
アヴァロンには行かなかった。
伝説と違う終わり方だった。深手を負うことなく、妖精の島に送られることなく、ただ王として生き続けた。その理由を、誰も知らなかった。
不死の加護は、もうなかった。
鞘が砕けた日から、その力は消えていた。
それでもアーサーは生き続けた。
勝利の日も、困難な日も、老いていく日々の中でも——胸の内側に、あの光る欠片を持ち続けた。
いつかまた、声が聞こえるかもしれない。
そう思っていたかどうかは、わからない。
ただ破片だけは、最後まで手放さなかった。
かなわないとわかっていても——それだけは、手放せなかった。
それから長い年月が経ち、最後まで傍にいたのはベディヴィアだった。
アーサーが息を引き取った後、ベディヴィアは長い間、その手をじっと見ていた。
手のひらの中に、小さな光る欠片があった。
それが何なのか、ベディヴィアは知らなかった。
知らないまま、そっと手を合わせた。
後世の図書館に、アーサー王物語は眠っている。
分厚い羊皮紙の束。褪せたインク。何百年もかけて書き継がれてきた、伝説の記録。
そのページのどこを探しても、鞘の名前はない。
エクスカリバーの記述はある。円卓の騎士たちの記述はある。マーリンの記述もある。でも鞘については——壊れた、とだけある。戦場で、壊れた、と。
ただ一行だけ、こんな記述がある。
「アーサーは時に、少女として涙を流す夜もあった」
なぜ泣いていたのか。誰のために泣いていたのか。記録はそこで終わっている。
鞘の名前は、どこにも残っていない。
【第15話・了】
第15話までお読みいただき、ありがとうございます!
「北の塔、連れて行くって約束したのに」
この台詞を書くとき、13話でアーサーが笑いながら「絶対帰ってくるね」と言っていた場面を思い出していました。あの約束が、ここで喪失として戻ってくる。そういう構造を意識して書きました。
そしてベディヴィアが「知らないまま、そっと手を合わせた」という場面。
何も知らない人が、何も知らないまま敬意を払う。それが「記録されなかった」というこの作品のテーマを、一番静かに表している場面だと思っています。
残すは最終話です。次回の第16話もお楽しみに!
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