第5話 引きこもり歴20年。異世界転生保険の家族特約で転生します
人生やり直しには、保険が必要です。
俺。三枝正樹27歳、元社畜。
異世界に来て10日目の朝。
カッカッカッと軍隊ばりの足音が近づいて来て、個室のドアが蹴破られた。
ぴったり9時。
相変わらず腰に拳、足は肩幅に開いて仁王立ちなのはアカリ。
俺の上司だ。
機嫌取る? 知らんがな。だって異世界だもん。
「行くぞ、新人」
「だから新人じゃない!」
「では、奴隷」
「もっと嫌だ!」
引き立てられてアカリのデスクに向かう。
顔に落ちかかってくる銀髪をうっとうしそうに払いながら、アカリは書類をゴソゴソ探し始めた。
『もう少し机を片付ければ良いのに』と考えるけど口には出さない。
言ったがさいご、やるのは俺だからな。
10日あれば学べることは多い。
やっと見つけたファイルを差し出すアカリは、珍しく神妙な顔をしている。
「今日の転生者は、いささかフォローが難しい案件だ」
表紙の名前を見る。
異世界転生保険家族特約 対象者
氏名:木村信也
年齢:46歳
現状:引きこもり歴20年
死亡推定時刻:本日21時08分
「推定? いつもの死亡予定時刻じゃなくて?」
「向こうの世界で天白が現地に向かっているが、契約提示から締結まで余裕がない」
「なんで? 天白さんにしては珍しいな」
「天白はすでに一度、営業訪問をしたんだがな。それを木村は、自分の過度の飲酒が引き起こした幻想だと思い込んでいるんだ。
死因は、長期にわたる食生活の偏りと運動不足が原因の急性大動脈解離のせいで心タンポナーデを起こし、致死性不正脈に至る。ダメ押しに、現場が風呂場なんで、裸で転んで脳挫傷だ」
「……おおぅ……」
「その状態で正しく理解してサイン出来るかどうか」
アカリが淡々と続ける。
「引きこもりの原因は、大学受験失敗から不本意な就職。 排他的な態度で嫌われて孤立。 ハマったゲームのオフ会で女に騙されて貯金を全部盗まれた。投資に回していた分も暴落して溶けた。 社会復帰断念。 引きこもり開始で父親との不和。両親の離婚後、母親の掛け持ち労働と年金だけで20年暮らしていたが、半年前に母親が急死」
「……うわぁ……」
アカリが俺の肩をぽんと叩いた。
「行くぞ」
木村信也は胸を締め付ける凄まじい痛みが、ふっと消え去ったのに気付いた。
「……なんで……」
「先日お伺い致しました『異世界転生保険株式会社』の天白でございます」
「痴女か!!??」
「違います」
淡々と答えた美女は、風呂椅子を引き寄せて座った。
高さが30センチほどなので、自然と膝を立てる姿勢になり、ヒールを履いた形の良い足が至近距離にある。
だが、それどころではない。
ここは風呂場で、木村は一糸纏わぬ裸だった。
胸を鷲掴みにして極限までリンボーダンスのけ反りしている。
サングラスに黒革ロングコートを着ていれば、かなり格好良いポーズだったかも知れない。
「宗教も保険もいらん!」
出て行ってくれ、消えてくれ
木村は泣いた。身体はピクリとも動かせない。ただ心で号泣した。
真っ裸で、黒スーツにピンヒールの女に勧誘を受けるとか、どういうプレイだ。
「弊社は宗教ではございません」
「余計怖いわ!」
「このままですと、木村様はまもなくお亡くなりになります」
木村信也は顔をしかめた。
「それでも、いいよ」
もう、疲れたんだ、と漏れた溜息は鉄の塊のように重く冷たかった。
「最初は1年だけ休むつもりだった」
「……」
「気づいたら20年経ってた」
「……」
「母さんが、いつも飯を持ってきてくれてな」
笑う。乾いてヒビ割れた笑いだった。
「その母さんも、半年前に死んだ」
何度も泣かせてしまった。自分が至らないせいだと、皺だらけになった手を震わせていた。
「20年、何もしてこなかった。だから、もう、いいんだ」
「ただいまの木村様は、御母堂様の保険の家族特約条項に該当します」
「どういうことだ?」
天白が速記ノートを捲った。何処から出した。
「半年前に、御母堂さま、木村依子様に弊社の『異世界転生、満願成就。残された御家族に特約保険金。または、やっぱりあなたも異世界転生にしとく? 保険』をお薦めしました」
「なんだ、その面妖な商品名は」
「御母堂さまがおっしゃるには」
そこで天白の声がガラリと変わった。
「お嬢ちゃん、年寄りを甘く見たらいかんよ」
木村の目に、雷に打たれたような衝撃が走った。
紛れもなく母親の声だったのだ。
「あたしはもう十分生きた。それ以上どうするんだってくらい懸命に働いて生きた。もっと頭が良かったら、信也をちゃんと助けてやれたのかも知れないけど、これがあたしには精一杯だった」
母は、なにもかも、信也のために捨てたのだ。
「出来損ないの息子なんか要らん」と信也を罵った父親は、依子にホウキとフライパンで殴りつけられて縁側から落とされた。離婚届と一緒に。
天白がヒラリと手を振ると、母親と一緒の彼女の映像が風呂の湯気の中に浮かび上がった。
「いまは、あんなだけどね」
母は笑った。
「あんなになっても、あたしにはいつまでたっても可愛い子供なんだよ。
つまずき方がひどくて、起きあがり方が分からなくて、あんなだけど」
天白を覗き込む母の視線が息子に向いている。
「もし生まれ変わりたいとあの子が望んだら」
木村依子は、天白の手を握った。
壊れやすいガラス細工のように撫でる。まるで祈るみたいに。
「あの子が本気で願ったら、その保険を使ってやってくれないかい」
消えた母親の姿を追って、木村は泣いた。
硬直した身体から出てこない涙はいっそう熱かった。
「……それでも……それでも、外は怖いよ……」
鉄壁の営業用の笑みがひび割れた。
天白純佳は知っている。
一度止まった人間が再び動き出す怖さを。
背中を押される怖さを。
「先日、私が担当した27歳の男性ですが」
風呂の湯気を華奢な指がかき混ぜる。
「会社で心が死んでいた方でした」
木村がこちらを見たのを感じる。
「毎日怒鳴られて、眠れなくて、辞める勇気もなくて」
「……」
「でも事故で亡くなられてお辞めになりました」
「理不尽だろ」
木村は少し笑った。今までとは違う笑いだった。
天白が静かに契約書を置く。
「木村様」
「……」
「次の人生を始める方は、少なくありません」
「俺みたいなのでもか」
「むしろ多いです」
営業トークがトガっていた。
木村は長く黙り、やがて震える手でペンを取った。
「……次は……」
声が掠れる。
署名した。
光が弾ける。
視界が真っ白に染まる寸前、天白の声が楽しげに響いた。
「お母様はパンダに転生して、幸せにお暮らしです」
「なんじゃ、そりゃーーーーー!!???」
目を開けると、空だった。
青空。山。風。鐘の音。
「おお、元気だな」
さっきまで会話していた天白純佳の別カラー版みたいな女が、仁王立ちで彼を見下ろしていた。
咄嗟に裸でないのを確認した木村を責める者はいないだろう。
着ていた。寝巻きにしていたファストファッションの擦り切れたジャージだったけれど。
「天国?」
「違います」
横から声がして、やけに整ったしょうゆ顔の男が人好きのする笑顔を向けてくる。
「転生先現地支援の三枝です。こちらは鬼…アカリです」
銀髪緑目バージョンの、天白にそっくりな女に渾身の力で殴られても、三枝と名乗った男の笑顔は揺るがない。
身体強化とかの転生補正だろうか。
引きこもりプロの木村は、かなり異世界に詳しかった。
「では木村様。『異世界転生者初期適応プログラム』会場まで同行します」
「そんなの、あるのか!!??」
「主契約内のサポートです」
その時、にこやかな声が響いた。
『木村信也様。異世界到着おめでとうございます。現世担当の天白です。今後の転生先でのご活躍をお祈りしております。なお、苦情受付は平日9時から18時までとなります。』
やけに早口だ。
「待てえええーーー!!!」
木村は叫んだ。
「パンダの話の続きを教えろ!!!」
『個人情報の、ご本人さまの同意なき開示は禁止されております』
「俺の母親だぞ!!!!!」
『……標高3000メートルに位置する……150センチ、110キロの……飼育……冬眠はなさらず……』
天白の声が、無線障害のような雑音に紛れて切れ切れになって消えていく。
「戻ってこーーーーい!!!」
虚空に拳を振り上げる木村信也。
家族特約異世界転生はつつがなく行われたようである。
天白純佳は古色蒼然としたマイクのスイッチを切った。
硬質プラスチックのマイクグリルを爪でカリカリ引っ掻いて、それっぽい雑音を自己演出するのは大変だが、やり切った。
「ふふん」
鼻息で自分を誇る彼女を、隣の席の同僚、丹波が呆れたように見遣る。
「相変わらず力技なんだから。部長に怒られますよ?」
「マニュアル通りで間に合わないより、よっぽど良いです」
ふんっっ! と同僚に見切りをつけて立ち上がり、給湯室に向かう。
甘いものとカフェイン補給の聖なる儀式の時間だ。
ピンヒールの高い靴音に紛れて、天白の呟きは誰の耳にも届かなかった。
「もう二度と、間に合わなかった、なんてことにはしませんから」
【第5話・完】
《参考資料》
『異世界転生保険株式会社』第一営業部 新人研修資料
営業マニュアル & 苦情文テンプレート集
社外秘資料
無断転載、異世界持込、勇者への開示禁止。
第1部 営業マニュアル
第4章 NG行動
トラック待機中または何らかの競技中の人へ笑顔で近づくこと
「どうせ現世終わってますし」と言うこと
異世界の当たり外れを漏らすこと
契約前の説明時に推し世界を勧めること
担当者個人の連絡先を教えること
死亡予定秒数をカウントダウンすること
《追加資料》
『クライアント木村依子様 特殊案件詳細 作成・第一営業部 天白純佳』
天白純佳は困惑していた。
異世界転生保険株式会社に勤めて、そこそこ長いが。
営業成績は常にトップ3から落ちることなく、顧客満足度96%を誇る彼女だが。
こんなに対応に困るクライアントは初めてだ。
「木村さま」
「なんだい、お嬢ちゃん」
ニコニコと応じる木村依子75歳。
「転生の、ご希望が」
営業たるもの「ええと、あのね、でもね、だけどね」はご法度だ。
だが今こそ使いたかった。
「パンダ、で、間違いございませんでしょうか」
「そうさ!」
依子は胸を張った。
「あたしはね、いままで1分1秒を惜しんで働いてきたんだ。朝のコンビニ、昼間の食堂、夕方から居酒屋、深夜の清掃もね。この頃さすがに身体がキツくなったから、在宅の配信をやってみようかと思っていたんだよ」
「……おお……」
さっきの感動を返して、と天白は思った。
木村依子が引きこもり息子を想う心に、迂闊にもうるりとしてしまったのに。
「だから、ね、お嬢ちゃん」
木村の手は、ゴツゴツ節が目立つのに、温かくて柔らかい。
「転生してまた人として生きるなんて、まっぴらごめんなんだよ」
『そこにあの子が、信也がいないなら』
固い決意が滲む。
「だから。パンダにしておくれ。良いよね、パンダ。そこら辺に転がってるだけでチヤホヤ、歩くだけでキャーキャー言われてさ。実はツキノワグマを1発で倒せるぐらい強いんだよ。それなのに竹だけで生きていける。エコだよねえ。未来の希望じゃないかい」
キラキラした眼差しで、パンダへの憧れを早口に語る老女。
「あ、そうだ、野生はいやだよ。ちゃんと上げ膳下げ膳で飼ってもらわないとね」
したたかだった。
「『異世界転生、満願成就。残された御家族に特約保険金。または、やっぱりあなたも異世界転生にしとく? 保険』と致しましても、かなりの特例となりますので、一旦持ち帰らせて頂いてよろしいでしょうか」
駄目だ、溜息まで出てしまった。
木村依子は満面の笑顔で頷いた。
こういう時、彼女の要望が通らなかったことは1度だって無かったのだ。
そして、この綺麗な女の子が、必ず息子に助けの手を差し伸べるだろうことも確信していたので。
【終】
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第6話「営業成績1位の天白純佳。笑顔の営業は泣かない、異世界転生を崇めない」
5/4 19時更新します。
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