第14話 白皙の貴公子はすべての期待値の斜め上(1)
人生やり直しには、保険が必要です。
音もなく雨が降っている。
細かい霧のような雨が、朝の村を肌寒く閉じこめていた。
転生ケア事務所の窓の外を、人影がよぎる。
高く襟を立てたマントに包まれた細身の長身。
言いようもなく美しい青年だった。
通りすがりの女たちがため息を漏らし、男たちは羨望に胸を焼かれるほどの。
青白い頬。
濡れた黒髪。
彫りの深い横顔。
薄い唇は、笑みとも皮肉ともつかぬ弧を描いている。
事務所の扉が開いた。
青年は優雅な足取りでカウンターへ歩み寄ると、マントの中から何かを引っ張り出した。
と、見るや。
「おう!!! 元気にしてたか、ネコ!!!」
透き通る水晶のような声が待合室に響き渡る。
宙を舞ったのは、菰包だった。
「そら、食え!!!」
カウンターから跳び上がったにゃあさんが、見事にキャッチする。
くるくる二回転して着地した彼女は、即座にワラを引き裂いた。
中には虹鱒。
光る鱗が、その新鮮さを物語っている。
「サカナくさっっ」
カウンター席にいた三枝正樹は、思わず顔をしかめた。
だが美青年は、そんな反応などないかのように、優雅に佇んでいる。
待合室に響くバリバリという咀嚼音すら気にしていない。
「所長にお目にかかりたい」
「ええと、職員への餌付けはご遠慮いただけると……」
虹鱒を横咥えにしたにゃあさんが、凄まじい殺気のこもった目で三枝を睨んだ。
『そっか。好きなんだね、鱒』
もぐもぐしながら視線を外さない。
『怖い。けど、やっぱり可愛い』
職員間の軋轢を生んだ張本人は、優美に微笑んだ。
長い犬歯が覗く。
「気にせずともよい」
「何を?」
三枝の困惑を責める者はいない。
「ええと……どちら様でしょう」
「私はヴラド。魚屋である」
青年は胸に手を当て、優雅に一礼した。
「あ、はい」
転生強化版社畜、三枝の反応が鈍い。
「吸血鬼でもある」
「そこじゃない」
ヴラドは肩をすくめた。
濡れた睫毛が伏せられるだけで絵になる。
「失礼。前世で吸血鬼と誤解されて、殺された一般人だったのだ。今は、まぎれもない吸血鬼なのだが」
「いきなり個人情報ですね」
ヴラドは笑った。
白い歯が覗く。
犬歯が少し長いだけで、歯科医院の広告に使えそうな美しさだった。
「だが、人を襲って血を飲むようなことはしない。日光も平気、普通の食事もする。ああ、どちらかと言うと魚の方が肉より好きだが、偏食はしないよう努めている。身体が資本であろう?」
「その説明、必要ですか?」
「もちろんだ」
吸血鬼ヴラドは力強い。
「私は、相手の無知と思い込みで殺されたのだ。よって、誤解は先に解いておくべきだと学んだ。そうではないか?」
三枝が頭痛を覚え始めたころ、奥からネメシュ所長が顔を出した。
「ヴラドか。相変わらず朝が早いな」
「うむ。頼まれていた鱒だ、アンドレイ」
肩に担いでいた桶を軽く見せる。
満々と張られた水の中で、数匹の虹鱒が泳いでいた。
三枝は本格的に頭を抱えた。
『え? 真性の吸血鬼が棒手振りなの? その格好で魚売りに来たの? その桶、絶対重いよね? 片手でヒョイなの?』
ヴラドはそんな三枝を放置し、声を低くした。
「ネメシュ・アンドレイ。相談があるのだ」
軽薄さの膜が剥がれ落ちる。
古い友人の名を、正しくハンガリー風に呼んだことが、事態の深刻さを示していた。
所長は静かに頷く。
「私の部屋に」
小ぶりな鱒を食べ終えたにゃあさんへ桶を任せると、所長はまだ放心気味の三枝の肩を軽く叩いた。
初めてドラキュラと真正面から目を合わせると、大抵の者がこうなってしまうのだ。
「三枝さん。アカリと一緒に来てください」
転生ケア事務所所長、アンドレイ・ネメシュの部屋は、落ち着ける空間でありながら、どこか軍隊風の空気を漂わせていた。
にゃあさんが全員に紅茶を配って消える。
ただしヴラドの前にだけ、巨大なプリンパフェが置かれていた。
三枝は待遇格差に静かに傷ついた。
『餌付け効果か』
「さて。どうした、ヴラド」
「私の郷の魔物たちが荒れている」
ヴラドはテーブルに地図を広げた。
「魔物の幼体を拐うグループがいる、と私は見ているのだ」
指差した場所は、この事務所から徒歩なら2日ほど。
『その距離を棒手振りで魚売りに……?』
脳裏に浮かぶのは、重量感のあるシルクのマントを翻し、天秤棒の両端に縛り付けた桶を水平から微動だにさせず、夜明け前の空を飛ぶ美青年の姿。
『もういいや、吸血鬼だし』
理解を放棄した。
それより解明すべき深刻な事態が起きている。
ネメシュ所長の眉が寄った。
「人里への被害は?」
「まだ無い。だが時間の問題であろう」
ヴラドは窓の外を見た。
雨脚が強くなっている。
アカリがノートをめくる。
「魔物のテリトリー越え報告は何件か来てるわ。でも人的被害が出てないから、王宮は本腰を入れてないみたい」
「愚か者どもめ」
ヴラドが鼻を鳴らす。
「子を奪われた親ほど、理性を失うものはないと言うに」
「犯人の心当たりは?」
「ある」
ヴラドは地図の一点を叩いた。
「山の旧坑道だ。勇者が討伐した盗賊団の残党が潜んでいるようだ」
「勇者って、あの勇者?」
「また行方不明の」
「相変わらず行方不明の」
所長とアカリ、三枝の声が重なった。
「今回は?」
「温泉地近くで消息を絶ったらしい」
「セージ君。平常運転ね」
全員がため息をついた。
比類なき力を持ちながら、目的地に絶対辿り着けない方向音痴なのだ。
もはや稀有なスキルか、呪いだ。
「勇者の助力は期待出来ない、と」
「現地での確認と対処が必要だな」
所長の雰囲気が変わった。
「うちからはアカリと記録官が出る」
命令に慣れた声が響く。
「アカリ。冒険者ギルドから護衛と魔物研究の2人を選んでくれ。それから、王立契約審議院から出向中の審議官。後になってうちの独断専行だとか、イチャモンを付けられないようにな」
片目をつぶって
「そして最後が君だ、ヴラド」
「少なくないですか」
物騒な事態に馴染んでいない三枝は心配そうだ。
「人数だけ増やしても足手まといよ」
アカリはナイフの鞘を撫でながら笑う。
これほど凶暴なのに『美人だ』と見惚れる三枝は、異世界適応性が高い。
「それに」
アカリはヴラドを見る。
「50人程度までなら、この人ひとりでだいたい終わるし」
「過大評価だ」
ヴラドは謙遜した。
「せいぜい20人くらいであろう」
「十分化け物よ」
アカリは立ち上がった。
「メンバー呼んでくるわ」
その背を見送った三枝は、おずおずと所長とヴラドに尋ねた。
「おふたりって、長い付き合いなんですか?」
彼らの気安い空気は特別なものに見える。
「そうですね」
ネメシュ所長は柔らかく笑った。
「この男はルーマニアのティミショアラの大地主の息子。私はハンガリー貴族の三男でした。ハプスブルク君主国が繁栄していた頃ですね」
「急に世界史始まった」
ヴラドがパフェのさくらんぼを咥える。好物は最後に食べるタイプらしい。
「私は先天性日光不耐症候群、慢性鉄欠乏性貧血、先天性犬歯萌出異常の三重苦であった」
「吸血鬼セットだ」
「父には私しか息子がなかったので、自力でどうにかしようとペシュト大学医学部へ進んだのだ。もちろん、当時はそんな病名はついていなかったが、膨大な症例の中に、似たようなものがあった。おかげで、大いに助かった。だが……」
ヴラドは眉をしかめて所長をちょっと睨む。
「そんな私をモルモットにして論文を書きおったのが、こやつであった」
ネメシュ所長は、はははと爽やかに笑う。
「私の方は、卒業後、ハプスブルク軍の軍医官になりました」
この優雅さの中にピシリと通った芯は、その体験からか、と三枝は思う。
「別々の時間と場所で死んで、別々に転生して、この世界で再会なのだから、腐れ縁ですね」
ヴラドも、ネメシュの言葉に笑い返す。
嬉しそうだった。
「私は『吸血鬼特約保険』で、誤認による殺害被害者で、来世特別補償対象と見なされてな。
こっちに来てからは、輸血費用請求に棺桶型寝具の家財補償も付けてくれて、実に手厚い。ありがたいものだ」
「え、そうなのか? サービス良いなあ。私のは砲弾で吹っ飛ばされる時の簡略版だったからかなぁ」
「輪廻異界渡航互助組合の判断は、あの頃かなりファジーだったから、仕方ないのでは?」
「輪廻、異界渡航、互助組合、ってなんですか?」
聞き慣れない名前を舌を噛みそうになりながら三枝が聞き返した。
ネメシュの「砲弾で云々」は、あえて聞き流す。
「私たちの時代には、まだ株式会社の形態がなくてね。うちの会社の前身さ」
「保険のセールスも茫洋とした感じだった。私の担当者は『迷信案件専門調査官』だ」
「……名前だけで、なんだか嫌な感じ……」
18世紀に流行ったロココ様式のドレスに高々と結い上げた髪で、ルーマニアの辺鄙な村に現れる女。
顔は天白純佳に自動変換。
『うわー。祓いたまえ清め給え、くわばらくわばら、リンピョウトウシャ!!』
知る限りの厄祓いを並べているそこへ、アカリが追加メンバーを連れて戻ってきた。
熊の獣人。
険しい面持ちの女戦士。
妙にはんなりした色男。
そして引きこもり歴20年だった木村信也。
三枝は静かに目を閉じた。
『……クセが強い……(神は死んだ)』
王立契約審議院から出向している現地審議官は、熊の獣人ミシェコだった。
その体躯から、三枝は勝手に前衛職だと思い込んでいた。
『いや、だったらその鎧、いる?』
つぶらな瞳の熊は、立板に水で喋り始める。
「魔物の動向異常。その原因が密猟行為によるものだと仮定した場合、法的介入は十分可能です。
まず、魔物狩り自体は違法ではありません。
ですが、継続的かつ組織的な捕獲活動をギルドへ未申告で行った場合、資源管理違反に該当する可能性があります。
魔物は討伐対象であると同時に、生態系資源でもありますから」
熊は眼鏡を押し上げた。
『小道具か? どっから出した』
「さらに、魔物の生態を攪乱した結果、人間への敵対行動を誘発した。
これは危険発生責任を問える可能性があります。
人的被害が出る前でも、未必の故意あるいは重大過失として介入できますね」
にこやかだ。
なのに内容が怖い。
「一番早いのは、ギルド未登録討伐と違法取引です。
搬送経路と売買先を押さえれば即決ですね」
ミシェコは巨体を震わせて笑う。
「ヒョッヒョッヒョッ」
完全に悪役だった。
三枝の頭痛はさらに悪化した。
『この熊、絶対仕事できるタイプだけどさ』
冒険者ギルドから派遣された2人も曲者だった。
見た目も役割も正しく前衛の戦士の女性は、ウルスラと名乗った。
そしてアカリと全身を舐め回すような視線を交わした後、ガッシと拳をぶつけ合った。
同類が連んだことに、三枝は脅威を感じないわけではないが、その矛先がこちらに向くことはない、はず。たぶん。
もう1人は、やたらシンナリはんなりの青年だった。
特に目立つ風貌ではないのに、彼を包む空気だけが、どこか違う。
『そうだ、京都行こう』
三枝の脳裏に名作キャッチコピーが響いた。
はんなりはレルと名乗った。
魔物研究分野では第一人者らしい。新種の魔物を見逃さないためだけの目的で、冒険者ギルドに入ったそうだ。
『マッド・はんなりだった』
「魔物はなぁ、基本的には縄張り意識と繁殖行動で動いてます。子を攫われ続けた群れは、いずれ集団暴走を起こしますなあ」
柔らかい声で、とんでもない話をする。
「最悪、山ひとつぐらい軽く越えて、人里に降りてきますわ。途中で他の群れも巻き込みますな。そうなると、軽く百や二百はいきます」
「それ、有名なスタンピードってヤツでは?」
三枝は蒼白になりつつ、ツッコんだ。
転生補習の翌日に村を襲ってきた魔物の群れですら、30頭を超えてはいなかったのだ。
はんなりはにっこり笑った。やたら嬉しそう。
「だから、わてが呼ばれたんです」
最後のメンバー。
調査記録官の木村信也は、部屋の隅で、既にうちに帰りたそうだった。
前世20年引きこもり。
母親の保険の家族特約で転生後も、徹底したインドア派である。
当然だが、今回も戦闘には参加しない。
録音魔導具と記録水晶による記録担当だ。転生保険株式会社の保険適用、免責、違約判断のための証拠保全。
極めて重要な役割である。
だが本人は完全に顔が死んでいた。
ネメシュ所長が、そっと信也を部屋の隅へ導く。
「無理強いはしません」
信也の顔がぱっと明るくなる。
その瞬間。
ネメシュ所長が耳元で囁いた。
「プライベート配信、されていますよね」
木村信也が固まった。
アンドレイ・ネメシュの、妙に色気のある笑みが迫る。
「公開許可範囲で、題材使用を認めましょう」
「行きます!」
即答だった。
『ちょろい』
三枝は心の中で呟いた。
だが同時に思う。
事務所保安担当アカリ。
吸血鬼ヴラド。
法務官、熊のミシェコ。
マッド魔物研究者レル。
ベテラン冒険者で強力な戦力のウルスラ。
そこに木村信也の記録能力が加わる。
バランスが良い。
異常なほど。
『密猟者側、ちょっと可哀想じゃないか?』
三枝は密かに同情しかけた。
準備が整ったのは、小一時間後だった。
「では、随時連絡を」
ネメシュ所長は静かに敬礼する。
部下たちの能力も、そして作戦の損失の可能性までも誰より把握している男の目だった。
「お気をつけて」
三枝の挨拶は、本心からのもの。
外に出ると、灰色の雲の切れ間から、細い光が差している。
ヴラドが空を見上げる。
「向こうの雨は、まだ止まないな」
その赤錆色の瞳は笑っていなかった。
パート2は6/10の19時です。
6月は週1水曜の更新になります。
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@OhashiS202604 (大枦詩乃@異世界転生保険株式会社)
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