第12話 異世界農家転生。俺は米で支配する。この叫びを聞け
人生やり直しには、保険が必要です。
インドには、生まれで終身の職業まで決まる身分制度があるらしい。
カーストとか、ジャーティーとかいうやつだ。
俺は昔から思っていた。
日本の農家も、大差ないんじゃないか、と。
「立派な後継の長男がいて良かったな」
近所の大人たちは、そう言った。
親も否定しなかった。
俺、相馬 恒一は、地方都市から車で三十分。山裾に広がる田園地帯で、曾祖父の代から続く米農家に生まれた。
春は田起こし。初夏は田植え。秋は稲刈り。冬は機械整備。
農閑期なんて、あるようで無い。雪の日ですら帳簿整理や修理、来季の準備がある。
友達と旅行の約束もできない。
みんなそうだから、誰も疑問に思わない。
だが、俺は違った。
この暮らしが、嫌いだった。
夜明け前から泥にまみれ、天候ひとつで収入が変わる。
どれだけ働いても「今年は米価が安い」の一言で、骨折り損のくたびれ儲けに終わる。
冗談じゃない。
「生まれた家が農家だったというだけで、人生の進路まで決められてたまるか。令和ぞ」
それが俺の口癖だった。
俺は必死に勉強した。
都会の大学へ進学し、西洋美術史を専攻した。
ルネサンス絵画、宗教画、図像学、バロック建築。
土の匂いがしない、高潔で美しい芸術の世界に逃げ込んだ。
俺は既存の資料から緻密に理論を組み立て、埋もれた真実を見つけるのが得意だった。教授からも期待され、卒業後は研究室に残らないかと誘われていた。
ようやく、俺は「相馬家の長男」ではなく、相馬恒一という個人の人生を歩み始めた。
そう、思っていた。
だが現実は、夏休みに追いついてくる。
大学3年の8月。母から連絡が来た。
『人手が足りないの。少しでいいから戻ってきて』
父が腰を痛め、祖父は高齢。パートもわずかしか集まらない。
俺は渋々、帰省した。
炎天下の倉庫。肥料袋の運搬。草刈り機の耳を突く音。農機具の油臭さ。
逃げたはずの人生は、相変わらずそこにあった。
事故は、4日目に起きた。
害虫被害が広がり、急きょ防除作業をすることになった。
古い動力噴霧器のホース接続部が、経年劣化で脆くなっていたらしい。
圧がかかった瞬間、接合部が弾け、毒性の強い薬液が霧となって俺の顔面に吹き返した。
「うわっ――!」
視界が白濁し、肺が焼けるような痛みに襲われる。有機リン系農薬だった。
「恒一っっっ!」
父が俺の身体に飛びかかってきた。
「救急車呼べ!!! 水だ! ホース繋げ!! 水で洗え!」
痙攣する俺を父とパートたちが必死に押さえつけ、服を剥ぎ取り、皮膚を大量の流水で洗浄する。
息ができない。
喉が、肺が、自分の意思に反して拒絶反応を起こしている。
父は震える手で、倉庫の緊急キットから解毒補助薬のアトロピン自己注射器を取り出し、俺の腿に打ち込んだ。
「恒一! 聞こえるか! 恒一!」
遠のく意識の中で、泥だらけの父の顔が歪んでいた。
それが、俺が覚えている日常の最後だった。
俺は生き延びた。命だけは助かった。
だが、後遺症はあまりに重かった。
強い倦怠感。割れるような頭痛。集中力の欠如。そして、文字を書こうとすれば止まらなくなる手の震え。
長時間座っているだけで吐き気がした。
講義の内容は霧のように頭を通り過ぎ、あんなに好きだった美術史のレポートも一行すら書けない。
半年後。俺は退学届を書いた。
美術史研究者になる夢は、泥の中に消えた。
実家に戻り、天井を睨むだけの日々が始まった。
最初は全てを恨んだ。
呼び戻した母を。古い機械を使い続けた父を。
何より、農家に生まれた自分自身を。
だが、ほぼ寝たきりの生活の中で、家の会話が嫌でも耳に入ってくる。
「肥料、また値上がりだってさ。海外の情勢が悪すぎる」
「出荷価格は据え置きか。これじゃあ共済の支払いも危ういな」
農家は、作れば儲かるわけじゃない。
種、肥料、農薬、燃料、機械、保険、電気代。
莫大な先行投資が必要だ。
天候不順や病害虫で収量が落ちれば即赤字。
豊作なら豊作で市場価格が暴落する。
消費者は「米が高い」と言い、農家は「それでも利益は薄い」と嘆く。
どちらも、本当のことだった。
流通の途中でコストは積み上がり、生産者の取り分は削られる。
規格外品は味に問題がなくても安く買い叩かれる。
小規模農家には価格交渉の場すら与えられない。
国の政策は猫の目のように変わり、複雑怪奇な補助金の申請書類は山のようだ。
俺は初めて知った。
父が晩酌を控えていた。
母が5年前と同じ服を着ている。
祖父が、死に体の機械を騙し騙し使い続けていた。
農家は、怠けて貧しいんじゃない。
社会の最底辺で文明を支えながら、構造的に報われにくいだけだった。
茶碗一杯のご飯。その向こうには、朝4時から泥にまみれる誰かの人生がある。
紛争が起きれば、真っ先に揺らぐのは食料だ。
輸入に頼る燃料、肥料、物流。
どれか一つが止まれば、都市のスーパーから食料は消える。
第一次産業とは、最底辺じゃない。
古い産業じゃない。
文明の「根」だ。
根が枯れれば、大学も、芸術も、最先端の技術も存在し得ない。
美術史を学んだからこそ、その真理が骨身に染みた。
豊かな時代にしか文化は咲かない。
飢えた社会では、人はまずパンを米を求める。
俺は、自分の命を繋いできた「根」を、あまりにも軽んじていた。
「……親父……」
ある晩。納屋でひとり、古いトラクターの部品を磨く父に声をかけた。
「俺……全然、知らなかったよ」
父は顔を上げず、レンチを動かしながら答えた。
「知る時じゃなかっただけだ」
「なんで、継げって言わなかったんだ」
「言えば、お前は逃げると思ったからな」
「言われなくても、逃げたよ。全力で」
「そうだな」
そこで父は、初めて笑った。不器用で、ひどく疲れた笑いだった。
「でも、戻ってきた」
喉の奥が熱くなった。
戻ってきたんじゃない。
壊れて、使い物にならなくなって帰ってきただけだ。
それでも父は、短く言った。
「よく帰ってきた、恒一」
その冬、俺の体調はさらに悪化した。
化学物質過敏症からくる免疫低下で風邪をこじらせ、落ちた体力は二度と戻らなかった。
雪の降る早朝。
最後に見たのは、泣き崩れる母の姿と、泥のついた父の作業着。
次に目を開けた時、俺を襲ったのは、強烈な匂いだった。
温かな土と藁、そして動物の体臭。
「うえっっ!? くっさ!!」
顔を上げると、角の生えた牛のような巨獣が、べっとりした鼻を俺の頬に押し付けていた。
「ご無事に転生なされて、なによりでございます、相馬恒一様」
振り向くと、非の打ち所がない醤油顔のイケメンが、爽やかな笑顔で立っていた。
「あ、私。異世界転生保険株式会社、現地転生者ケア事務所の三枝正樹です」
「……あの幽霊、夢じゃなかったのか」
死の間際、枕元に絶世の美女が立っていた。
彼女は事務的に書類をめくり、『転生時の補償内容についてご説明します』と言った。
「エラい美人なのに、幽霊になってまで保険売ってるなんて大変だな、って思ってたんだ」
「天白担当でしたか。それは災難……いえ、ご縁でしたね」
三枝は一瞬、同情の色を浮かべて頷いた。
今、言い直したよな、お前。
三枝は手元のファイルをパチンと閉じた。
「ではご案内します。
今から恒一様には『異世界転生者初期適応プログラム』の会場に移動して頂きます。講習は3日間。
その後、『豊かな小農ギルド』にご加入いただき、天白と契約された『新規転生農家スターターパック保険』の内容確認を……」
情報が多い。説明が早い。
頭上を、ワイバーンみたいな怪鳥が2匹、甲高く鳴きかわしながら飛んでいく。
俺は自分の手を見た。
震えていない。
めまいもない。
普通に、息ができる。
俺は理解した。
俺は死んだ。
そして、この妙チキりんな世界に転生したのだ、と。
笑いが込み上げてきた。
前世では、芸術に憧れ、土から逃げた。
土に殺され、土の価値を思い知った。
ならば、やるべきことは決まっている。
今度こそ。
村の外に広がる、荒削りな農地を見渡した。
「この世界も、農業、なめすぎだろ」
見える。
美術史で学んだ「中世の非効率」に似た欠陥が。
無計画な連作、脆弱な灌漑、保存技術の欠如、物流の未整備。
そして、飢饉の気配。
改善の余地しかなかった。
胸の奥で、前世の無念が業火となった。
父の沈黙。母の荒れた手。祖父の落ちた肩。
「……俺は……」
踏みにじられた農家の誇り。
食料を握る者が、国を守る。
市場を整える者が、人を救う。
土を支配する者が、時代を支配するんだ。
「農業王に、俺は、なる!!!」
俺は朝焼けの農村に向かって、腹の底から叫んだ。
「 米でこの世界を支配する!!! この、さけびを聞けぇぇぇ!!」
三枝正樹が静かに一礼した。
「『覇権農家プレミアムEX保険』へのアップグレード、承りました。特約として『市場独占・価格決定権付与』を追加します」
【第12話・終】
《参考資料》
異世界転生保険会社 農業転生者向け現地補助制度一覧
■ 新規就農スタート応援給付金
転生後30日以内に鍬を3回以上振った者へ支給。なお素振りでも可。
■ 未開墾地チャレンジ助成金
魔獣出没地域・呪われた土地・元古戦場など、誰も欲しがらない土地を耕作した場合に支給。
■ 水田造成インフラ交付金
畑しか存在しない地域に無理やり水田を作る者向け。
■ 品種改良挑戦支援金
「もっと甘い芋」「倒れない麦」「巨大トマト」などを作ろうとして失敗しても一部補填。
※人食い植物化は対象外
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