姫君を守っていた騎士の話
勇者が、魔王討伐の褒美にお前との婚姻を望んでいる。
宰相殿からそう聞かされた時、初めは聞き違いかと思った。今回共に旅をした王子でさえも訝しげな顔つきをして俺と彼女の間に何かあったのかと問いかけてきたが、それは俺が聞きたいことだ。彼女が俺を望むなど信じられなかった。
俺と彼女の間には何も無かった。ただの護衛と護衛対象という間柄。ちなみに、勇者様と最後に交わした会話は「魔王の武具はどうされますか」だ。魔王を討伐した証に骸から奪ってきた杖や剣はそれぞれ相当に重く、今から華々しく飾られた街道で国民に歓迎される予定の勇者様が運ぶには見た目もよろしくない。
そうとはいえ、一応は魔王を倒した証となる代物。運ぶこと自体にも栄誉があるので、誰が運ぶのか最後まで揉めていたのだ。彼女が王子と俺に任すと言ったので、二人で分担してお運びしたが。王達の期待するような色恋漂う雰囲気は一切ない会話だったと言える。
その上、確か彼女に王子が求婚をしたと噂を聞いた。騎士とは言え、孤児の成りあがりである俺よりも王子を選ぶのが普通だろう。
誰も理由を知らないのならば、と慌てて本人に確認に行って改めて思う。彼女は決して俺なんぞを夫として求めてはいない。自分との婚姻を望んでいるのは本当か、と尋ねると彼女はその大きな瞳をより見開いた。
「婚姻って、私とあなたが結婚するってこと?」
まるでその話しを初めて聞いたかのような口ぶりだった。同意を示すと、暫く黙りこんだのちそっけなく「まぁいいか」と呟く。いつだったか、連れ立って城下へ下りた時に一番好きだという菓子が売り切れで仕方なく隣の陳列棚からビスケットを手にした時と、大して変わりの無い声音だった。
「あなたは……いいよね、私が奥さんになっても。魔王を倒したら何でもしてくれるって約束だったものね?」
そう言って彼女は唇を噛みしめた。今にも零れ落ちそうな涙を、必死に堪えて。初めて魔物に剣を振りおろしたあの日と、同じ顔をしている。
生涯妻は持たないつもりでいたが、誓いを破る訳にはいかない。
「私で宜しければ――」
膝をついて頭を垂れる。続きは何と言えばいいだろうか。僅かな惑いの間に頭上からか細い声が振ってきた。
「……うん、よろしく」
婚姻の誓いは神殿で行うことが常である。男女は神官を介し、神へ一生を共に過ごす許しを求め、その証として永遠の愛を誓うのだ。それを説明した途端彼女は誓いを捧げることを拒否した。神なんぞに許しを請う位なら結婚しない方がいい、と。国を上げて式典を行う積りだった上層部は大層混乱したようだが、結局のところ勇者の意が通された。
式一つでお前との結婚自体を取り下げられては困る、とぼやいたのは宰相殿だ。ここにきて、鈍い俺もやっとこの婚姻が彼女の意思ではないことに気付いた。
本当に勇者様が俺と婚姻を結びたいと言ったのか、と問えば宰相は口元に笑みを浮かべる。
「お前が欲しいと確かに言った。それが婚姻の望み以外に何と捉えられる」
「婚姻のご意思を御尋ねした所、勇者様は大層驚いていらっしゃいましたが」
「拒否はしなかったのだろう?ならば、それで正解ということだ」
どういうわけかは知らないが、宰相殿は俺と彼女が婚姻という確かな関係で繋がれることを望んでいる。宰相個人ではなく王が絡んでいるのかもしれないし、その他の貴族共が絡んでいるのかもしれない。夫に、と勇者へ宛がわれたはずの俺だけが何も知らないまま周りがとんとんと準備を進めて行った。
書面だけの婚姻は妻を得た実感を何一つ与えなかった。住居が王宮内へ移ったことが、大きな変化と言えよう。勇者様はこの国では成人したとはいえ彼女の世界ではまだ未成年だと聞いて同衾もしなかった。
祝いのために訪れた各国の王族や、商売の匂いを嗅ぎつけてやってきた商人達、媚びへつらう貴族達に囲まれた勇者様は、疲れ切った顔を無理やりに動かして笑っていた。
こんな風に、笑う方ではなかった。このような幼い方が勇者でいいのか、と戸惑った覚えがある程少女らしい方でいらしたはずなのに。
勇者が、何のために俺を求めたのかは解らない。
それでも俺を望んでくれたのならば、せめて笑顔のひとつ位は守って差し上げようと。自分の身全てを投げ出して、世界を救ってくれた彼女へ自分が出来ることと言ったら、それ位しか思いつかなかった。
「だからと言って、何故貴方が勇者様の命に全て従う理由になりましょうか?貴方は、何時の間に姫の下を離れたのです!」
侍女頭が怒りに耳まで赤くして、叫んだ。一緒について来た侍女たちも卑下するように目つきを鋭くし、小さく頷いている。ここまで来る道中、すれ違った騎士達もこちらを横眼で見るばかりで声すらかけてこなかった。彼らも彼女達と同意見ということか。
確かに、最近の勇者様は以前と行動が変わってきていた。王宮内に住まいを構え、姫様との謁見に俺を連れて行きたがる。俺はまだ姫君の護衛騎士であるはずだが、自分の護衛が足りないからと側に居るよう訴えた。宰相殿は、それ程までに俺を好いているのならばと所属替えまで考えているらしい。
ぼんやりと今の状況を考えている間に、みるみると侍女頭の眉がつり上がっていく。小さくため息を吐いて、彼女達と正面から向き合った。
「私は、彼女に『魔王を打って下さるのならば、望む全てを叶えるために尽力する』と誓いました。姫の下を離れることが勇者様の望みならば、従うつもりです」
「なっ!?姫様に取り立てて頂いた身で、何と言うことを!!」
悲鳴に近い金切り声に、自然と眉がよった。
「決して、姫の敵になる訳ではありません。私はただ、勇者様を御守りするのみ。それは姫自身の望みであったはずです」
城内に留まらず、街へも広がった噂も知っていた。姫が勇者様に元の世界に帰すからと嘯き、今まで戦わせていたというもの。姫は王族であるから、必要な嘘もあると理解している。同時に、故郷を奪われた勇者様が姫を怨む気持ちも解ってしまう。
この世界で頼る者もなく、たった独りになる心細さを知っているから。
「申し訳ありません。この世界の為に戦って下さった勇者様を独りにすることはどうしても出来ないのです」
深く頭を垂れた俺を、誰かが「裏切り者」と罵った。